指切り
「小野田さん、少し時間をもらえる?」
病室に長谷川先生が来て、パーテーション代わりのカーテンを開け、視線を私に合わせた。
「先生、おはようございます。早いですね、何かありましたか?」
「今日は三ヶ田さんの退院日だそうだね。彼の見送りが終わって、あなたが落ち着いた頃に面談をしたいんだけれど」
「ええ、終わったら水上さんに報告します」
「無理はしなくていいから、またね」
先生は私を気遣い、次の患者さんの元へ向かって行った。
晴れた日。健一さんは、ひっそりと仲が良かった数人に挨拶をしてお礼を伝え、元気付けたりしながら退院までの時間を過ごしていた。夜和室で語り合ったこともあり、私は遠慮しお姉さん達とゆったり彼の様子を眺めていた。
「ウッピー悔いはないの?」
心配そうにお姉さんたちが口々に質問してきた。
「全く悔いがないといえば嘘になりますし、不安もあります。でも健一さんから支えになる言葉をもらったから」
「恋は乙女を大人にするな。お姉さんは羨ましいよ」
私の答えに対して彼女たちは、本気で羨ましそうだった。無邪気さが可笑しくて救われた。
健一さんのお母さまがいらして、いよいよ退院が近付いてきた。彼が私に手招きをした。急いで駆け寄った。
「母さん、紹介するよ、こちらが小野田幸さん。僕の大切な人だ」
突然の紹介に面食らい、私は彼の目を見つめた。いつもの穏やかな表情だった。
「初めまして小野田と申します。いつも、三ヶ田さんにはお世話になっています」
緊張のため震える声で名乗った私に、お母さまは穏やかに微笑んで挨拶して下さった。
「健一の母でございます。小野田さんのことは手紙で度々きかせてもらっていました。どんなお嬢さんなのか、会えるのを楽しみにしていましたの」
「そんなもったいないです」
「やっぱり可愛らしいお嬢さんね。頑固な健一が惹かれるのも何となくわかるわ。ぜひ東京に遊びにいらっしゃい。気兼ねなく家に連絡してきて構いませんから」
厳しそうで上品なご婦人だったが、目じりの笑い皺に優しさを感じた。
「必ず再会しよう。約束だよ」
健一さんは小指を差し出した。迷わずに自分の小指を絡めた。
「距離が離れても、いつもどこかで繋がってると思っています」
泣きそうになるのを堪えながら、それだけをようやく伝える。
「僕も治療が辛いとき、人生の壁に当たるとき、幸ちゃんに恥じないよう立ち向かうよ」
雨の中の偶然の出会いから別れの日まで、あっという間だった気がする。その短い時の中で、健一さんは大切な人になった。
手続きが終わり、彼は病棟から外の世界へ戻って行った。彼が退院すると気が抜けてしまい、心に痛みが襲ってくる。水上さんに、見送りが完了したことを伝えた。
「長谷川先生には私から伝えとく。しばらく部屋で休まんね」
促され自分のベッドで少しの間ゆっくりすることにした。




