二重生活
私は中学までは活発で、お節介なところさえあった。また学級委員や部活の世話役に推薦されるくらいの人望は持っていたようだ。通っていた中学校は六組あり一年ごとにクラス替えがあった。どのクラスでも自分の居場所はしっかり確保し、同級生はもちろん教師たちとも上手くやっていた。
幼少期に知恵付きが遅く、仲間外れを経験していたのでいじめに参加することはなかった。その主義を通しクラスで浮かないようにするには、それなりに力がなければならなかった。私は優秀な成績を維持することで、達成した。少しずれた点があったが、天然だと言われるくらいですんだ。男女問わず友人がたくさんいて、学校はとても過ごしやすかった。
反して帰宅すれば、思うように昇進できない自衛官の父にいつも当り散らされた。自室に逃げ込み息を殺した。彼のようにならないよう、地元で一番といわれる高校を目指して勉強に励むことを習慣にしていた。私はなんとか辛い二重生活から、自力で抜け出したかった。
両親は同じ村の出身で、見合い結婚だった。母はお茶、お花と師範代の腕前だったし、実家も裕福で真面目な性格であった。両親の世代にしては珍しく、名門といわれる私大を卒業していた。母は高卒の父から根拠なく馬鹿にされながら、耐えることが何より問題の解決になると信じているようだった。
父がギャンブルで大きな借金を作ったとき金策をするのも、妹が万引きしたとき矢面に立つのも常に母だった。それを目の当たりにしながら、理不尽だと怒りを感じていた。彼女が悪いわけではないが、家の中の不平等は助長されていくばかりだった。
三歳年下の妹は要領がよかった。家族内の不条理に、噓を吐くことで対抗する妹と、正論を吐いて戦いおうとした私。どちらも歪んでいた。