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先生と私  作者: 綿花音和
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 父の独演会を聞きながら、やはりとんちんかんな人だという思いが強くなった。彼にとって相手の質問は重要ではない。他人は自分の気持ちと考えを表現するための舞台装置に過ぎない。

 入院前は父の生き方や振る舞いを、受け入れられなかった。突き放して、こんな奴なんだと諦められれば楽だったのに。家での記憶を振り返り、自分の存在の軽さが悲しく、可笑しくて体を固くして苦笑する。ずっと父に支配され、圧力を受けてきた。今は少し離れて、その姿をみられている気がする。


「娘は私に似て優秀だったので、妬まれいじめられとったみたいです。その点は学校の先生にもしっかり教育制度の歪みだと言っておきました」

 父の演説は十分以上続いていた。あなたにだけは似ていたくないと思いながら、先生の顔を見た。彼は静かに頷きながら父の話を聴いていたが、私と目が合うと困ったなという顔を一瞬みせた。水上さんは、ずっと私の手を握り擦り続けてくれていた。

 あぁ、私は一人じゃないんだと強く感じた。だから、勇気を全身から搾り出して言葉を発せられた。

「お父さんは自分が正しいと思うことを全力でしてくれたのだと思います。感謝しています。ただし、それが私にとって正しかったのかは別のことです。ごめんなさい、退院しても家には戻りません」

 父は狼狽し母に何かうめいた。彼の戸惑いなど、どうでもいい。先生との面談を重ねるたびに、肉親からの愛情に期待を持っている限りこの地獄から抜け出せないという思いを強くしていた。

「だいたい姉さん一人で暮らしていけるの?」

 妹の美幸が、父の顔色を窺って質問してきた。

「小野田さんの治療計画については、今後、作業療法士、ケースワーカーも入れて全力で支えていきますよ。妹さん、お姉さんのことが心配なら黙って見守ってあげてください」

 珍しく先生が刺々しさを感じるような声で言った。美幸は気まずいのか、下を向いて黙ってしまった。

「これからは一人暮らしの準備と、就労の支援を中心に治療を行っていきます」

 先生が説明し、家族面談は散会となった。もう父と同じ土俵に立つ必要はないんだ。それがわかっただけでも、自身にとって大きな区切りとなった。

 妹は何かを言いたげだったが、結局私に声をかけることはなかった。母と楽しそうに話しながら父の車に乗り込み帰っていった。

 ぼんやり彼らを見送っていると、長谷川先生が、

「小野田さん、大きな山を一つ越えたね。苦しかったと思う。よく頑張ったね、あなたは意志が強いね」

「私の意志は強くないし、心だって弱いと思います。一人では怖かったし、言いたいことを伝えるのもお二人がいなければ望めないことでした」

 先生と水上さんに、やっと本来の笑顔を浮かべお礼を伝えた。

「そんなこつない。頑張ったのは小野田さんよ」

 彼女の言葉に胸が熱くなる。私、僅かでも前に進めているのかな、そうだったら嬉しい。

「今日は疲れたと思うから、ゆっくりするんだよ」

 視線を合わせるために、長身をかがめた先生は精神状態をはかるように、じっと私を見ていた。

「大丈夫ですよ」

 そう返答するとよかったと言って白衣をひるがえし、彼は別の患者の元へ行った。

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