丸眼鏡
「初めましてかな、傘を用意するのが面倒で。こんなに沢山降ると思わなかったから助かりました」
傘に入った男性は、同じ病棟の患者だそうだった。丁寧にお礼を伝えられちょっと恐縮する。異性とは距離をしばらく取っていたのだが、気取らない雰囲気に、こちらの緊張もほどけていった。そもそも、こんなひどい降りでなければ、決して声をかけなかっただろう。
私の傘は大きかったのだが、その人は背が高かったから私が傘を持っていると濡れてしまう。すると、
「僕が持つよ、気は使わなくていいからね」
と私の腕から傘を優しく取り上げて雨から守るようにさしてくれた。私たちはゆっくりと歩幅を合わせて病棟に辿り着いた。
病棟の入り口で水上さんが、
「小野田さんお帰り。三ヶ田さんが一緒だったんね」
と安心したようだった。
三ヶ田さんは、私より一回り年上だと道すがら教えてもらった。風貌は丸眼鏡が似合う文豪のようであったが気難しくはなさそうだと思った。知的で人の好さそうな印象を受けたのだ。
「小野田幸です」
「三ヶ田健一です。傘に入れてくれてありがとう。初めて会ったね。最近、入院してきたのかな」
「ほとんど部屋の人以外とは話さないし、和室とかにはまだ入ったことがないから……」
そのまま病棟のロビーでソファーに座って少し話をした。
三ヶ田さんは強迫神経症で入院しているそうだった。『また機会があったら話しましょう』と伝え、自分の部屋に戻る。久しぶりに落ち着いて異性と話せて気持ちが少し明るくなった。初対面から無防備になれる人なんて滅多にいなかった。
「ウッピーなんかいい事あったん? 部屋出るときと全然顔が違うで」
お姉さんが言う。
「三ヶ田さんっていうお兄さんと話したんです」
私は明るく返答した。
「三ヶ田さんかぁ。いい人やであん人は」
関西のお姉さんが男性を褒めた。見る目が厳しいお姉さんが、珍しい。私は驚いた。
「ウッピーの気が晴れたならよかったわ」
その言葉に、彼女たちが私のことを案じてくれていたんだと実感する。つまらない自分を心配してくれる人がいるんだと、こそばゆく温かい気持ちになった。
そしてごみのように感じていた自分のことを、わずかに大事にしたいと思うのだった。




