第五十八話
5月14日 11時20分
マーカル諸島 ダレシア島
車窓に流れる景色が、賑やかな港湾地区の風景から未だ木々が生い茂る緑豊かな風景に変わるまでそう時間は掛からなかった。車1台がやっとすれ違うことができそうな狭い未舗装の道を、レッゲルスを乗せたニホンの車が軽快に走り抜ける。所々、森が切り開かれて整地された場所があり、そこでは大型の重機や多数の人間が何かの作業を行っていた。
「設営隊はやっとるようだな」
「はっ、あと1ヶ月もすれば一通り作業は終わる予定であります」
レッゲルスの隣に座るニホン海軍の将校と運転手との何気無い会話に耳を傾ける。この島に何かを設営するようだが、何を設営するかまでは分からない。
前方に見える低い山の連なりの頂上には、丸みを帯びた白い構造物が建ち並び、何かの施設が置かれているのが見てとれた。
やがて狭い一本道を抜けると、前方に木造建築二階建ての立派な建物が姿を現す。門の前ではニホン海軍の軍服を着た何人かの男が待ち構えている。車はその一団の前で静かに停車した。
レッゲルスはその一団が、ニホン海軍の中でもかなりの地位にあることを一瞬で見抜く。詰襟の軍服をスマートに着こなし、そして常に紳士的。腰の短剣は彼らが栄えあるニホン海軍軍人であることを示す証だと聞いたことがある。
「お待ちしておりました。どうぞこちらへ」
彼の知識が正しければ、今声を掛けてきた男の階級は大将。おそらくこの中では最も上位に位置する男であろう。そんなことを考えながらレッゲルスは男に続いて建物に入る。
「履き物はこちらに……」
言われるがままに履いていた靴を脱ぎ、綺麗に磨きあげられた木の床に足を踏み出す。
「こちらです」
見たこともないデザインの引き戸を開く男、幾本も交差した木の骨組みに白い紙が貼り付けられた引き戸であった。
部屋に足を踏み入れると椅子は置かれてなく、何やら床に変わった物が敷かれている。
「どうぞお座りください。長旅でお疲れでしょう」
レッゲルスは床に直接座るのに一瞬戸惑う。
「座布団という物です。お使いください」
四角いクッションのような物を渡され、見よう見まねで座ってみる。思いの外座り心地はいいようだ。
「紹介が遅れましたな。私は帝国海軍大将の古村です」
帽子をとった男の風貌は年相応と言えばそうだが、若々しくも見える。そして滲み出る覇気のようなものを感じさせる何かがあった。これがニホンの大艦隊を率いる男だと実感する。
「共和国陸軍大将兼臨時政府外交担当のレッゲルスです。歓迎に感謝します」
二人は自然に握手を交わす。
「さて、日本の酒が口に合えば良いのですが」
古村が手をたたくと、数人の女が料理や酒を持って部屋に入ってくる。
「私は鹿児島出身でしてね、酒が大好物なんですよ。ささ、どうぞ」
古村はレッゲルスのお猪口に酒を注ぐ。
「カゴシマとは……ニホンの一地方ですかな?」
レッゲルスは当然の疑問を口にする。
「おっと、これは失礼した。その通り我が日本帝国の48道府県庁の内の一つです」
レッゲルスの疑問に対し、古村が申し訳なさそうに説明をした。
「そうでしたか。それより、あなた方の軍は強い。政府はこれ以上の戦闘は無意味とし、貴国と停戦したいと……」
レッゲルスは本題を切り出す。
「存じております。しかし、外務省の担当者が来なければ話は進みません。明日には到着するかと思います。それまでは何もない場所ではありますが、暫しお待ちください」
「そうでしたか、ならば仕方ありませんな。それにしても……あのキイという軍艦、あれは今まで見たどんな軍艦より大きく、そして力強い」
10万トン超という驚異の排水量を誇る紀伊に対して抱いた印象を語るレッゲルス。巨大ではあるが美しさすら感じさせる優美な船体のライン、その大きさに相応しい大口径主砲、上部構造物は機能的でありながら力強さを損わないようなデザインだと思った。
「この世界に飛ばされる前から、構想自体は存在していました。ですが予算の問題で実現できなかったと言っておきましょう。あの艦は、巡洋艦数隻分では賄いきれない予算を投じて建造されました」
古村は紀伊が莫大な予算を投じて建造されたことを説明する。事実、兆単位の金が動いていた。中でも紀伊型の為だけに特別に設計された51cm主砲塔は、相当な金額になると容易に予想できる。
報道によっては総額4千億~5千億の建造費が投じられたと報じる向きもあった。だが実際にはもっと多額の建造費が必要だと論じる専門家がいたのも事実だ。
「莫大な予算……ですか」
レッゲルスの顔に好奇の色が浮かぶのを古村は見逃さなかった。
「そうですな、あなた方の国の巡洋艦ならば、5隻……いや、10は確実に建造できる予算とでも言いましょうか。海軍省の大臣も変わり者だったということです。おかげで旧式巡洋艦の近代化改装は先行き不透明なままで、このまま行けば退役に追い込まれる艦も出てくるでしょう。戦争が長引けば、戦費の調達も難しくなってくる」
古村は総額数十兆にも及ぶ軍事予算の使い道に思いを馳せる。今年度はその内の6割近くを海軍に割り振り、残り4割を陸軍と空軍に、という形となっていた。だがそれでも物足りなさを感じる……ただでさえ金を喰う原子力空母を維持し、その他艦艇や航空隊、将兵に支給する戦地手当等、金はあっという間に吹っ飛んでいく。保有トン数は200万トンを超え、人員総数58万人にも達する帝国海軍は、金のかかる組織であった。
「なんと……いや私は陸軍の人間ですからな、軍艦にどれ程の金が必要かは判断しかねます。しかし、陸戦兵器なんぞ比較にもならない金が要るのは間違いない。それにしてもコムラ提督、この島は過ごしやすい場所ですな」
幾分、緊張の解れたレッゲルスが言う。
「そうでしょう、ここは良い島です」
開け放たれた窓からは心地好い風が入り込んでくる。古村は外に目をやった。
「どうです? 紀伊を見学するというのは」
窓からは紀伊の高く聳えるマストを確認できる。
「是非お願いしたい」
レッゲルスも帝国海軍の巨艦に興味があるらしく、見学には乗り気なようだ。
「メイヤー大尉、あれを同じ人間が作り出したものだと思えるか?」
巡洋艦レスターの甲板から、ニホン海軍の軍艦を眺める副長が言った。彼の視線の先には、レスターなど簡単に捻り潰してしまうであろう巨艦が居座り、その存在感を誇示しているように見える。
「副長、あれは間違いなく人間が作り出したものです。しかし、あのような巨砲、どんな場面で使おうと言うのでしょう」
メイヤーは、そこらの建造物よりも巨大な主砲塔を見て、疑問を口に出す。
「バルデラ島艦砲射撃を知っているか?」
それを聞いたメイヤーはハッとして副長の方を向く。
「天然の洞窟陣地を除き、あらゆる塹壕、防空壕、分厚いコンクリートに護られた地下陣地が、あの巨砲の前には無力だった」
淡々と語る副長。それは辛うじてバルデラ島を脱出した空軍将校が持ち出した戦闘詳報の内容だった。
「現代の対艦戦闘の大半は、長距離からのミサイル戦が占めている。しかし時に、砲の届く距離……この広い海上において近距離での戦闘が起こることもあるんだ。そして何より、軍艦の主砲は陸上の砲より大口径であることが多い。あんな巨砲で対地艦砲射撃なんかされたら後に残るのは破壊の爪痕だけだ。強いて言うなら共和国海軍でいうところの巡洋艦か」
共和国海軍における近代的巡洋艦の登場は統一戦争前まで遡る。20cm主砲と魚雷で武装した強力な打撃力と、大出力の機関、蒸気タービンの採用で従来の装甲艦とは比べ物にならない戦闘力を発揮するに至った。統一戦争前に相次いで就役したそれら巡洋艦は、装甲艦の全てを退役に追い込む。
統一戦争では沿岸砲台による2隻の喪失を除けば、海戦による喪失はなく、その打撃力で敵艦隊を翻弄する活躍を見せることとなった。喪失が少なかったのは、その打撃力に見合う重防御によるものだとメイヤーは思う。徹底した水雷防御と砲戦を意識した重要防御区画など、このレスターをはじめとするフリューダー級にも採用された設計思想であった。だが、ミサイル戦を強く意識したセレス級は必ずしも十分な防御力を備えているとは言い難い。時代の流れと言えばそれまでだが。
「雷撃を受けてほぼ無傷、空軍決死の攻撃で体当たりを受けても損害軽微……どれ程の防御力を備えているのでしょう?」
「どうかな。我が国の巡洋艦に近い設計思想なら、あの巨大な主砲による攻撃にも耐えうる防御が施されているだろう。そうなると防御区画は厚さ数十cmの鋼鉄に覆われていることになる。あれだけの巨艦なら、ぶち抜かれても問題ない区画もある筈だ。もっとも、それをぶち抜く為に奴よりも強力な主砲が必要だがな」
砲術に関して副長は人一倍詳しかった。自艦の主砲に耐えられる防御力は、共和国海軍の巡洋艦設計では基本的なものだ。ニホン海軍の軍艦キイにそれを当てはめた結果導き出された答えは、単純ではあるが彼らの想像を遥かに超えるものとなる。
「共和国の兵器では対抗できない」
メイヤーが呟く。
「あぁ、そうだ。我が国にはあんな主砲を作り出す技術もない。大重量の爆弾を真上から命中させれば撃沈できるかもしれんが、そんな物を運搬できる爆撃機はない、あったとしても鈍足な爆撃機は近づく前に撃墜される」
副長はお手上げといった感じで語る。
それを見たメイヤーは、海軍病院に入院中のことを思い出した。司令部参謀と話したニホン海軍ヤマトのことを。
「ニホンにはヤマトという軍艦があります。開戦初頭にあの艦を見たせいか、キイも現実なのだと実感することができました。海の王者とは、ああいうものであると。それらは戦艦と呼ばれるらしいです。ニホンのいた世界ではかつて、戦艦が海軍の主力として君臨していた時代があります。各国海軍が挙って戦艦を建造していました。ニホンの雑誌で得た知識ではありますが、一般向けにあれほど詳しく解説してくれる雑誌が共和国にあるでしょうか」
可能な限り雑誌の内容を思い出す。この世界とニホンがいた世界では成り立ちが違う。列強と呼ばれる大国の干渉を受けないためには自らも強国として対抗しなければならない。結果、ニホンは自身よりも強大なアメリカという国との戦争へと突き進んだ。この世界にはバルアス共和国の他、強国と呼べるのは共和国より1万kmを隔てた海の向こうに存在するレスタニア王国くらいだ。共和国とは貿易等で交流があるくらいで、軍事的な同盟は結んでいない。軍事力では共和国と大差ないことから、ニホンに対抗することは難しいだろう。今のところあの国は傍観を決め込んでいるように思えた。
「副長、レスタニア王国はニホンと接触していないのでしょうか?」
「ニホンとは位置的に正反対、おそらく接触はしていないと思うが。ニホン側もこの戦争が落ち着くまでは動かないだろうな。それにあの国はあまり外には進出しないタイプの国だ。ニホンから接触しない限り話はしない。共和国もわざわざ外務省が出向いて国交を結んだんだ」
レスタニア王国はこの世界に古くから存在する国家のひとつだった。豊富な資源、高い食料自給率、3億人に達する人口……対外的に進出しなくとも自国だけでやっていけるだけの要素が十分にある。実際、そうやって千年にも渡って国を維持している。
「この世界は、異世界から見知らぬ国や島、大陸が時々やってくる。そうやって成り立っている世界だ。カール大陸も、ニホンも……そして共和国ですらな」
副長の言葉を聞いて、古い伝承を思い出す。
「一夜にして星の位置が変わり、巨大だった月は小さくなり果てた……」
遠い昔から伝わる先人が遺した言葉だった。
「本当に不思議な世界だ、神の悪戯か」
副長がそう言葉を発した時、キイの方から小型の船が近付いてくるのが見えた。どうやらキイの搭載艇らしい。
「誰か乗ってるぞ」
船上で仁王立ちする、ニホン海軍の濃紺の軍服を纏った男。金色の参謀飾緒が眩しい。
「あれは将官ではないか、出迎える準備をしろ」
双眼鏡で近付く男を観察していた副長は、それが将官であると判断し、乗組員に指示を出す。
突然の将官の登場に、埠頭でレスターを眺めていたニホンの将兵たちも姿勢を正した。
男は一旦下船し、埠頭に立つ……そして暫くレスターを眺めたあと歩き始める。将兵たちの敬礼に、軽く答礼しながら。両手の白い手袋には汚れひとつ無いように見える。
「来客か?」
いつの間にかメイヤーの隣に立っていた艦長に驚く。
「どうやらそのようです」
男がレスターの甲板に一歩踏み出す。連合艦隊の参謀として神通に乗り込んでいた中川は、古村からの頼み事を果たすために紀伊を訪れ、そしてこのレスターに足を踏み入れた。
彼の目の前では異国の将兵が敬礼で出迎える姿がある。それに対して答礼する中川。
「突然の訪問、失礼しました。私は帝国海軍中将、中川です。今日は皆さんを招待したく、ここに来た次第」
偉そうな素振りなど全く見せず、丁寧な言葉で話すニホン海軍のナカガワ中将を見てメイヤーは感心した。
「いえ、ようこそレスターへ。ところで招待とは」
ナカガワ中将を出迎えた艦長が聞く。
「これは失礼。明日、紀伊の艦上でレセプションを開催します。そこで皆さんをゲストに招きたいと長官が言っておりますので、是非ともお越しください。レッゲルス閣下も参加されます」
そう言ってナカガワ中将は手を差し出す。
「お招き頂き感謝いたします。是非行かせて頂きます」
艦長はその手を握り返した。
「では明日、お待ちしております。ところで、少し見ていってもよろしいですかな?」
「勿論。メイヤー大尉は私と一緒に、副長はあとを頼む」
ナカガワ中将の申し出を快諾し、メイヤーに付き添いを命じる。
「どうぞこちらへ」
彼らは、被弾して破壊された副砲の前に差し掛かった。
「ここは」
中川が立ち止まり、艦長に聞く。
「主戦派の艦と戦闘になった際、被弾した場所です」
無惨にも破壊された副砲は、嫌でも目に入る場所にあった。ここで副砲要員が全員戦死するという事実、それもニホン相手ではなく主戦派艦艇を相手にした戦闘で。その元凶となったヘナンの行方は未だに不明なままだ。
「そうですか」
中川は脱帽し、哀悼の意を捧げる。艦長とメイヤーもそれに同調した。
「艦長、ヘナンは逃げ切ったのでしょうか?」
小声で艦長に問い掛けるメイヤー。捜索に出た艦艇はいずれもヘナンを見つけることが出来ずに帰投している。
「逃げ切られたなら仕方ない。今は気にするな」
艦長も気になってはいるだろうが、それを表には出さない。
海に浮かぶ多数の救命ボート、そこからそれほど遠くない場所で1隻の軍艦が波間に呑み込まれようとしていた。その外観は沈み行く軍艦とは思えない程綺麗で、なぜ沈むのか一目見ただけでは判断できない。
それもその筈、この艦は戦闘によって沈む訳ではなかった。
「敬礼!」
開け放たれた水密扉を、浸入した海水が通り抜けていく。完全に浮力を失ったヘナンは、あっという間に海面下に没した。
彼らは結果として低気圧をやり過ごし、北部へ近付くことができた。しかし、燃料の尽きたヘナンが最早役に立たないことは明白であり、ヘナンが浮いていれば停戦派に発見されるリスクが高まるとの判断から、ゲイルに自沈という選択を決断させるに至る。
「救助が来るまで3日か……」
自沈させたことを少々後悔していたゲイルが呟く。自沈前に北部海軍司令部に救助要請の電文を打電した。それまでは生き抜かなければならない。
ゲイルは水筒の水を口にする。
「共和国海軍の艦は追ってこないでしょうか」
艦長が言った。
「おそらく、ここまでは追ってこない」
ゲイルは穏やかな海に目を向ける。その顔は出港前よりも老けたように感じられた。