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異界の帝国  作者: 赤木
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第五十七話

 5月12日 4時45分

 バリエラ南東海域




「周辺に対空、対水上脅威なし」

 艦橋の見張り所に詰める見張り員から定時連絡の声が上がる。駆逐艦ヘナンは10ノットの速力で北東に大きく迂回するように航行していた。今頃タレスやバリエラに停泊していた艦艇がこちらを捜索していることは、数時間前より傍受し始めた無線通信により明白。時間を経るごとにヘナンの捜索に加わる艦が増えていることを、傍受した通信から乗員達は感じ取っていた。ゲイル大将はそれらの監視の目を掻い潜り、なんとか北部方面に離脱しようと目論んでいたが、それを達成するにはヘナンの損傷は酷すぎるように誰もが感じていたが、口に出す者はいない。

「タレスから共和国最新鋭の巡洋艦クローフトがこちらに向かっているか。見つかったら逃げることは出来んだろうな」

 今となっては、共和国の従来の艦艇に比して大幅に強化された通信設備を破壊してしまいたい衝動を抑えてゲイルは言った。ヘナンは駆逐艦ではあるが、その指揮通信能力は大型艦並であると言われている。艦橋に被弾しても継続して戦闘を行えるように、艦の深部に置かれた戦闘指揮所や最新の電子兵装を惜し気もなく投入するあたり、今後の共和国海軍の主力が巡洋艦から小型軽快艦艇を重視する戦略にシフトしていくとする意見もあるくらいだ。

 だが、未だに巡洋艦の火力は絶大であり、大型の対艦ミサイルや大口径の主砲は駆逐艦には無い圧倒的な破壊力を持っている。接近して魚雷を撃ち込む戦法は最早時代遅れとさえ言われるが、ヘナンが巡洋艦に対抗する唯一の手段であり、それが致命傷を与えうる戦法だった。

「装填していた魚雷は投棄、再装填するにも……」

 既に火災は鎮火したが、投棄した魚雷は戻ってこない。長期の戦闘を想定していなかったヘナンの弾庫にはたった数本の魚雷と訓練用の模擬弾しか残されていなかった。

「私が甘かったか……!」

 思えば全てが想定外。やはり北部艦隊総出でレスターを追い詰めるべきだったとゲイルは己の判断の甘さを悔いた。その時、近くに気配を感じて彼は顔を上げる。

「艦長か、どうした」

 目の前には座ったまま黙り込んでしまったゲイルを心配そうに見詰める艦長の姿。気付けば艦橋内は重苦しい空気に包まれ、機器類の発する音だけが存在する空間に成り果てていた。指揮官の不安は伝染する……そんな言葉を思い出す。

「閣下、私も無事に帰れるなどと思ってはおりません。閣下におかれては既に、総員凄絶戦死の覚悟ありとお見受けいたします」

 悲壮感漂う艦長の表情に、ゲイルは少々驚いた。普段はこのような物言いをするような男ではない筈だが。しかしそれで気圧されるゲイルではなかった。

「艦長、言いたいことは分かるが私は死ぬつもりはないぞ? 作戦が失敗したからといって死ぬ必要はない。全員で帰らねばならんが、もし誰かが責任を負って捕らえられるとすれば、私一人で行こうじゃないか。この戦争が終われば王国は復活するだろう。今や共和国の停戦派が優位に立ち、我々主戦派は排除される……しかし10万からなる陸軍北部軍管区の将兵が独立を果たすために動き始めた。我々の勝利に揺るぎはない」


「は! 申し訳ありません」

 先程より幾分表情に明るさを取り戻した艦長は、頭を下げると持ち場に戻っていった。

 艦橋から眺める空、それほど離れていない空にどす黒い雲が広がっている。

「バリエラ気象観測所から入電、バリエラ東方海域に低気圧。気圧は945ミリバール、当該海域においては暴風雨と波浪に注意せよ。以上です」

 見れば海は徐々にではあるが、ヘナンに対してその圧倒的な波の力を誇示せんと、確実に荒れ始めていた。

「移動物の固縛を厳に、荒天に備えよ!」

 艦長は近年のバルアス近海の状況を熟知しているようで、すぐに乗員に指示を出す。





「協力?」

 艦橋の窓ガラスを叩く波しぶきを横目に、濃紺の一種軍装を着用した男が聞き返す。

「は、バルアス海軍関係者は一隻の駆逐艦を拿捕するために我が方に協力を求めていると」

 報告を行う士官は男に一枚の紙を手渡した。

「それなら、紀伊が足止めしたのではないのかね」

 受け取った紙に目を通しながら男は言う。

「紀伊は、バルアス海軍の司令部からとある電報を受けとりました。今お渡ししたものが、その内容ということです」


「なるほど。駆逐艦の名はヘナン、現在バリエラ南東から北に向かって航行中と思われる。尚、ヘナンには主戦派重要人物であるゲイル大将が座乗……」

 紙面を読み終えた男は思考する。

「つまり、生け捕りにしたいと。紀伊もダレシア島に向かっている、今から追うには遅いか」

 マーカル諸島ダレシア島に向けて航行する神通の艦橋で、古村は呟いた。紀伊はバルアス海軍のレスターを引き連れダレシア島を目指している。状況からしてヘナンの拿捕はバルアス側に一任するしかないようだ。

「バルアス軍に打電。我、位置的にヘナンを拿捕することは不可能……」

 古村は通信兵に伝えると、彼は椅子に腰掛けた。肘掛けに肘をつき、リラックスした姿勢をとる。

「この世界には、まだ見ぬ国があるのだろうか」

 ふと思い出す、彼が兵学校を卒業して少尉候補生となった時を……


「古村候補生、少し付き合え」

 分隊監事の峰岸大尉に呼ばれ、古村は彼の後ろに付き従った。

「古村、貴様は四年前とは比べ物にならん程成長したな。辞めてやると言っていた奴とは思えんぞ」

 峰岸大尉は歩きながら背後の古村に言う。

「は、あの時は自棄になっていたのかもしれません。峰岸大尉の言葉がなければ落第していたでしょう」

 古村は真剣な表情で語る。

「はは、貴様はあの程度で潰れるような男ではないと信じていたよ」

 唐突に峰岸は立ち止まった。

「古村候補生! 今後貴様は色々なものを目にすることになるだろう。もっと広い世界に目を向けろ。世界には我が日本のような国ばかりではない」

 峰岸は古村の方に向き直る。

「は! しっかりやってみせます」

 古村は背を正して峰岸に宣言した。

「実はな、俺も新しい任地に赴くことになった。マリアナの航空隊の司令部だ。まだ見たこともない世界を知ることが出来そうだ」

 峰岸は新たな任地に赴くことを楽しむかのように笑う。

「そうでありますか、どうか御壮健で」


「あぁ。今じゃ平和な世界だ、マリアナも直に独立を果たすだろう。貴様も元気でな」



「広い世界か、今や日本は過去とは断絶された異世界に存在している」

 古村は神通の艦橋から見える海を眺めた。

「海はどこへ行っても同じか」

 そこに広がる海は前の世界と何ら変わらず、どこまでも広がっている。だがこの世界にはバルアス共和国のような未知の国が無数に存在しているのであろう。古村はこれから出会うであろうバルアス人との会談を設定していた。この世界をより知るための考えからである。

「長官、バルアス軍より入電! 了解したとのことです」

 艦橋に駆け込んできた通信兵が古村に報告をする。





「ゲイル閣下、戦闘指揮所へ」


「いや、私はここで構わん」

 いよいよ波も高くなり、気を利かした艦長がゲイルに比較的安全な戦闘指揮所への移動を提案してきたが、彼はそれを断った。

「そうですか、ならば私もここにいましょう」

 艦長はあっさりと引き下がり、持ち場へと戻る。割れた窓から否応なしに波しぶきが入り込み、狭い艦橋の床を水浸しにした。軍服はあっという間に全身が濡れてしまい、それがもたらす不快感にもゲイルは顔色ひとつ変えずに座ったままだ。

 ともすれば波のうねりに飲み込まれてしまいそうな小さな船体を揺らし、時折艦首や艦尾を完全に水没させ、そして時には赤い艦底を露出させる。猛烈な時化だった。

「心配ない。共和国の持てる最新技術を全て投じて建造されたこの艦が、時化で沈むことはない」

 強固なリベット接合と幾分進歩した溶接技術を用いて建造されたヘナンは、波浪に対する船体強度が従来艦より高くなっている。共和国もただ現状を黙って見ていたわけではないようだ。

「しかし、船体の軋む音は気分の良いものではありませんな」

 艦長が言う。彼は駆逐艦より小型の水雷艇の乗組員を長年経験してきた。大型のもので排水量500t程度しかない水雷艇は、外洋に出れば少しの波で転覆しそうな感覚に陥る。武装を充実しようとすればする程、船はトップヘビーになる。共和国の水雷艇も小型の船体に武装を詰め込んだ重武装の船であったが、転覆事故が相次いだことで武装が見直された過去を持つ。

「艦長、追手は来ていないか?」

 ゲイルは、手摺に掴まりながら片手で双眼鏡を覗き込む艦長に問い掛けた。

「は、この波の高さでは……。しかしそれはあちらも同じこと、逃げ切るには好都合かもしれません。無事にこの嵐を切り抜けることが出来れば」

 艦長は航海長を一瞥する。艦橋に詰める人間の中では、ゲイルの次に軍歴の長い男だった。

「ゲイル司令、それに艦長。この嵐は、まさしく我々が向かうべき進路と重なっています。不本意ではありますが一旦南に離脱することを進言します。このままではレデロンの軍港に行き着くどころか、海の藻屑です」

 航海長は低気圧を突破するのは無理だと言わんばかりに南への離脱を進言する。

「しかしそれでは燃料がな。私は……」

 艦長はゲイルの方に目を向けた。

「艦と運命を共にするのなら本望だ。このまま進む」

 ゲイルは航海長の進言を一蹴して困難な道程を行くことを即断する。




 バルアス共和国

 ブレミアノ東方



 海岸沿いの道を一台の軍用車が西に向けて走っていた。バンパーに括りつけられた白旗は、ニホン軍に発見された際に使者であることを明らかにするためのものだ。その後部座席では二人の男が黙って座っており、タレスを出発してから現在に至るまで終始無言を貫いている。これから向かう場所で何が起きるか……それを考えると、隣に座る上官に掛ける言葉も見つからないとマルセスは思った。

「どうだ? 緊張しているのか?」

 数時間の沈黙を破り、アナト大佐が口を開く。

「えぇ。彼らは我々の提案を受け入れてくれるでしょうか。停戦の合意が為されなければ、タレスが戦場になります。当然、防備部隊が対抗するでしょうが、ニホン軍は大規模です。まともな防御陣地のないタレスは数日と持たずに陥落するでしょう」

 マルセスが最も懸念する事態。停戦に関する合意が得られなかった場合の最悪の事態を口に出す。

「ニホンも無用な戦闘は避けたい筈だ。我々の提案に完全に合意することはなくとも、蹴ることはないだろう。それにレッゲルス閣下が交渉に向かっている」

 全てはレッゲルス大将に託している。

「共和国は占領地を放棄し、3国の独立を承認」

 マルセスは先日の会議で語られた内容を思い返す。マーティン元帥は、ニホンとの交渉にあたって一つの目標を掲げた。3国併合、共和国拡大の糧となり、バルアスを一気に大国へ押し上げたきっかけである併合条約を破棄することだ。

「あとは、ニホンからどんな条件を突き付けられるかだな」

 アナトは明るくなりつつある空を車窓から眺めた。

「まもなく市街地に入ります」

 運転手が二人に知らせる。

「気を付けて進め。大聖堂があるだろう? あそこに行こう」

 アナトが小高い丘の上に建てられた大聖堂を指差して、そこに向かうよう指示を出す。

「条約破棄後、この街より西は別の国ですね」


「あぁ、そうなる」

 二人は住民が退去して、異様なほど静まり返ったブレミアノの風景を眺めていた。

「ここで珍しい料理を出す店があったんだが。確かダステリアの郷土料理だったかな? 私は気に入ってたんだ。是非店主には戻ってきてもらわねばな」

 アナトは昔を懐かしむような表情で語る。

「その為にも、我々は停戦を」

 マルセスの言葉にアナトは軽く頷く。二人を乗せた車は、大聖堂の敷地を囲む壁の内側に吸い込まれるように消えていった。





 5月14日 10時30分

 カール大陸東方120km

 マーカル諸島 ダレシア島




 ダレシア島の軍港より数百メートルの沖合に位置する係船浮標に、巨艦が係留されてからそれほど時間は経っていなかった。巨大な錨を海中に投じて静かに佇むその姿、これまでの戦闘によって生じた損傷は紀伊が潜り抜けてきた戦場を思い起こさせる。

 ここで投錨した紀伊は、暫くの間ここダレシア島に停泊することが決まっていた。内地から故障した電子装備の交換部品が届き、修理が完了するまでは乗員達に上陸の許可が出ている。士官らが次々と連絡艇で島に向かうなか、水兵達は短艇の準備に大忙しだ。

 島に上陸する者がいる一方で、内火艇の上からバルアス軍戦闘機の突撃を受けた舷側を改めて確認する者もいた。分厚い装甲には戦闘機が衝突した際に生じた傷跡、爆発による凹みがその威力の凄まじさを物語っている。

「ここの修理は内地かタリアニアのドックに入らねばならんか」

 副長の西田中佐はそれを見て呟く。だがそれが戦闘には全く支障がないことも見抜いていた。その傍らでは事業服姿の乗員が剥げた塗装の塗り直しを行い、艦橋やマストに設置された電子装備を点検する姿も目に入る。艦橋の側面に設置された、500km以上もの探知範囲を持つ72年式8型対空電探……そのうちの1基が完全に破壊され、その機能を喪失していた。

「案外、手酷くやられたな」

 西田は艦橋を見上げると、誰に聞こえるでもなく呟く。彼は何気なく島の方向に目を向け、連合艦隊旗艦である神通の姿を確認した。

「長官は今頃、島の料亭で待っているところか」

 バルアス側との会談の場所に選ばれたダレシア島海軍料亭は、夕方頃までは立ち入ることができない。今後行われる外務省担当者との会談に先立ち、連合艦隊司令長官である古村大将との会談が設定されていた。今頃会場となる料亭では海軍の将官達がバルアス側の到着を今か今かと待ち構えている筈だ。



「敬礼!」

 レスターの甲板には正装に身を包んだ将兵達が、レッゲルス大将を見送るために整列していた。

「世話になった。これからニホン海軍の司令官と話してくる」

 レスターが横付けした埠頭には、ニホン海軍の将兵が多数集まっている。その集団を引き裂くかのように黒塗りの車がレスターの目前まで接近し、停車した。

「出迎えに感謝するとしようか」

 レッゲルスは艦長と一言交わした後、ニホン海軍の案内役に連れ添われて車へと乗り込んだ。

 メイヤー大尉はそれを見送ってから周囲の港湾設備に目を向ける。レスターの位置からは見えないが、丘の向こう側にはニホン海軍の旗艦が入港しているらしいと誰かが言っていたのを思い出す。別の方角に目を向ければ、キイが沖合に投錨し、その巨大な艦体を休めているようにも見えた。

「あれは?」

 何気なく目を向けた沖合、黒い何かがゆっくりと進む姿をメイヤーは見つける。だがそれは船と言うにはあまりにも異常な外観をしていた。

「あれはニホン海軍の水中艦だな。私も初めて見たが、あれで潜ることが出来るとは」

 ニホン海軍の水中艦の噂は聞いたことがある。彼が海軍病院に入院していた頃、司令部参謀から聞いた話だ。

「あれ一隻で、共和国の一般的な艦隊は壊滅させられる……か」

 メイヤーはニホンの水中艦が島陰に消えてしまうまで見入っていた。暫く海を眺めていた彼は、ひとつ思い出して艦橋側面のラッタルを駆け上がる。

 艦橋では副長が甲板の様子を静かに見守っていた。

「副長、ひとつ確認したいことが」

 副長が振り返る。

「メイヤー大尉、どうしたのだ?」


「は、駆逐艦ヘナンはどうなったのでしょうか?」


「ヘナンか……どうやら見失ったらしい。今朝入った電文だ」

 副長が一枚の紙をメイヤーに手渡す。

「これは」

 電文に目を通したメイヤーは険しい表情を浮かべた。捜索海域の低気圧の影響で捜索は困難である旨が、その電文には記されていた。

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