第五十三話
戦闘が始まってどれ程の時間がたったのか……第1即応連隊に属する安田 誠上等兵は、トラックの荷台に揺られながら物思いに耽っていた。しかし味方戦車が進撃した跡、履帯の生々しい跡を見れば、ここが激戦の前線に近いことを嫌でも感じ取ることができる。
「敵が近い」
安田は確信できなかったが、この一帯に漂う独特の重苦しい空気……それが戦場特有のものであることに気付き始めていた。
彼ら第1即応連隊に与えられた次なる任務。それは敵地への空挺降下、小規模部隊による後方撹乱を主任務とする第1即応連隊のもうひとつの一面。その創設以来軽歩兵としての性格が強い部隊ではあるが、帝国陸軍内から選抜された精鋭ばかりを集めたことにより、戦闘力だけをとってみれば完全武装の敵1個師団を相手にしても勝てるとさえ評価されている。それらを踏まえて司令部は純粋な正面戦力として第1即応連隊を投入することを決定、今回の攻勢の主力の一躍を担うこととなった。
今回の攻勢部隊には第1即応連隊の他、第76師団、第5機甲師団を基幹とする総兵力三万人が参加している。第5機甲師団はその圧倒的な戦車部隊を何の躊躇もなく前線に投入し、敵の戦車部隊をあっという間に蹴散らしてしまったことは既に全部隊の知るところとなっていた。そして当初心配されていた敵飛行場も海軍の攻撃機により無力化されている。
暫くしてトラックが停車した。
「総員降車!」
そう言ったのは小隊長の山口少尉だ。安田はトラックの荷台から飛び降りると、自分の上官である山口少尉に目を向ける。周囲の兵士と何ら変わらない野戦服の上に防弾衣を纏い、戦闘帽の上に鉄帽を被り、その手には89式小銃が握られていた。
「安田、どうかしたか?」
「いえ、なんでもありません!」
「そうか」
怪訝な表情を浮かべたのも一瞬、山口少尉は近付いてくる一台の装輪装甲車に注意を向けている。装甲車が停車し、中から一人の男を吐き出す。見るからに屈強……鍛え上げられた筋肉をその将校服の下に隠しているのは誰の目から見ても明らかで、その男が過去に様々な海外任務に従事してきたことを第1即応連隊の全ての兵士が知っていた。
「ご苦労、諸君」
装甲車から降り立った男は周囲を見回すと、威厳溢れる声で一言目を発する。彼こそが第1即応連隊長、木村 基次大佐だ。中学を卒業した直後から帝国陸軍士官学校に入校、北海道の第7師団に4年、台湾方面軍に3年、朝鮮方面軍に5年等、内地、外地を問わず陸軍内でも精鋭とされる部隊で軍歴を積み重ねてきた木村は、その経験と能力を買われて帝国陸軍即応軍団に引き抜かれる。そこでは本格的な特殊作戦教育を受け、数々のPKO派遣部隊指揮官、PKF参加を経験しながら転移前までを過ごしてきた。その軍歴は既に30年。
「連隊長に敬礼!」
「楽にしてよし!」
部下達に答礼した後木村は言った。
「我々に新たな命令が下った。単刀直入に言う、76師団を補助し、敵根拠地の一つであるブレミアノをこちらの勢力下に置くことだ。しかし敵の規模は大きく、今まで以上に熾烈な戦いとなることが予想される! 諸君らは全力をもって敵を排し、速やかに作戦を遂行してもらいたい」
安田は装甲車の前で訓示をする木村大佐の姿を、並んだ兵士達の間から凝視する。どちらかと言えば士官よりも下士官……それも鬼軍曹、それが初めて木村大佐を見た時に抱いた感慨だ。そして木村が前線の兵士と何ら遜色ない戦闘技量を持っていることも、既に知っていた。
前方で蠢く無数のヘルメット、装備の擦れ合う音、軍靴の響き……リョセフは丘の上から双眼鏡を覗き込み、ニホン軍の動向に目を凝らしていた。彼らは驚くべき速度で突き進み、その大兵力をもって散発的な抵抗を見せる味方陣地を次々と制圧していく。
「ダメだ……防衛線は突破された」
突破されるのは分かっていた。兵力差を考えれば当然のことだからだ。しかし共和国陸軍の……海軍、空軍も含めた全軍があらゆる面においてニホン軍に圧倒されていることについて、理解しがたい状況に陥っているリョセフがいた。
「奴らは何故強い! 技術力の差か!? それとも戦乱の異世界からやってきたとでも!?」
リョセフ自身、ニホンの表面的な軍事力について知ってはいたが、その背景に関する事を一切知らない。知ろうとしなかった……と言った方が正しいだろうか。思えば反戦派の軍人は皆、ニホンの何かを恐れていた。
「閣下、ここも安全ではありません。移動しましょう」
副官のノリス中佐が背後から声を掛ける。
「いや、移動はしない。司令部の周囲の塹壕を使って最後までここで戦うぞ」
「しかしネイド中将が後退を画策しておるのです。このままでは……」
ノリスは途中で言葉を切った。リョセフが前線に送った斥候兵が戻ってきたからだ。
「参謀殿……!」
斥候兵は息を切らしながらも、リョセフの近くまで駆け足でやって来た。
「ニホン軍の攻勢は熾烈を極め、前線のトーチカも何の意味も為しておりません。彼らは強固な陣地を見つけると、火力を一気に集中し、戦車まで投入して無力化しています。彼らの持つ銃の命中精度は高く、その有効射程も我々のそれを上回り、そして何よりも……ニホン兵の圧倒的なまでの士気」
彼はそこで一旦息を整えた。
「前線で防備を固めていた第5中隊の生き残りが、同程度の兵力を持つニホン軍の部隊に白兵戦を仕掛けました」
「白兵戦だと!? 共和国陸軍のような近代陸軍が白兵戦なぞ野蛮なことを!」
ノリス中佐が声を荒らげて批判する。
「中佐、落ち着け。それでどうなった?」
リョセフはノリスを宥めつつ、斥候兵に話の続きを促した。
「全滅です」
「全滅!? どちらが」
「第5中隊は全滅しました」
「仕方あるまい。一斉射撃を受けて全滅したんだろう」
「それが……ニホン軍は第5中隊の突撃を受けて立ち、白兵戦を制してしまったのです」
「うむ……ニホン軍め、恐ろしい奴らよ」
リョセフは険しい表情もそのままに呟いた。
5月10日 14時20分
バルアス共和国
バリエラ沖18km
共和国海軍大尉のメイヤーは巡洋艦レスターの甲板からマストを見上げる。そこに翻る信号旗……それが戦闘の意思がないという意味を持つことを彼は知っていた。先日突如として下されたニホン海軍への攻撃命令を受け、準備に取り掛かっていたが、そこへマーティン元帥が陸軍のレッゲルス大将を伴ってやって来た。元帥の話によれば、そんな命令は存在しない……では何が起きたというのか? 海軍内では概ね停戦に持っていく方向で固まっているのをメイヤーは知っている。艦隊の保全、地位、保身……将官連中の思惑はどうであれ、戦争を早期に終結させること自体には賛成だった。
「命令は……誰が発したんだ」
当然の疑問を彼は口に出す。あの日タレスの海軍司令部に停戦を快く思わない輩がいたのは間違いないのだ。
「メイヤー大尉、考えていても仕方ないぞ」
「レッゲルス閣下!」
メイヤーは驚きのあまり、大声で叫んでいた。その反応を、彼の目の前に佇む男、共和国陸軍総司令部司令官だったレッゲルス大将は苦笑いを浮かべて見つめている。
マーティン元帥は出港前、このレスターに要人を乗せると言っていた。それがまさか陸軍内でも高い地位にあり、その軍令を司る総司令部トップに君臨していたレッゲルス大将だとは誰も思わなかっただろう。マーティン元帥は何としてでもニホンとの交渉の糸口を掴みたがっており、そのための作戦すら考えていたほどだ。
「作戦は単純、ニホン海軍に電文を送り続けるんだ。勿論平文でだ。ともすれば……ニホン海軍が迎えに来てくれるだろう」
メイヤーはマーティン元帥の言葉を思い出す。あまりに単純明快……なんと馬鹿馬鹿しい、元帥たるものが考えることではない。そう思わずにはいられなかった。しかし船は既にバリエラ軍港を出港し、どこにいるか分からないニホン艦隊に電文を送り続けている。
「あの、レッゲルス閣下」
「何かな? 若き海軍士官よ」
「ニホン艦隊は本当にこちらを迎え入れるでしょうか?」
「さぁ……」
その問いにレッゲルスは困ったような顔をした。そして甲板から海を眺め、言葉を絞り出す。
「この海の何処かにいるのは間違いないだろう。私は、この船が沈められないことを祈っているよ。国へ帰れないのは嫌だろう?」
「たしかに……しかし、ニホン軍は既に気付いているかと。彼らの探知網は……驚異的な目と耳を持っているようなものです。レスターが向かう先、もう待ちくたびれてるんじゃないでしょうか」
メイヤーは自身の経験から導き出された答えをレッゲルスに言った。ニホン艦隊と戦った者にしか分からない感覚……否、空気と言うのだろうか。その空気が、彼には目の前で急速に増幅しているように思えて仕方がなかった。
「ニホン軍はこちらの存在を察知し、直に姿を見せるでしょう。それが偵察なのか、迎えなのか、または……明確な攻撃の意思を持ってやって来るのか」
レッゲルスは黙ってメイヤーの話に耳を傾けるのと同時に、メイヤー自身が若者らしからぬ熟練指揮官が身に付けるような戦場感覚を持っていることに驚きを感じる。
「そうか」
「はい」
《対空レーダーに感! 南東方面より航空機が急速接近中、総員配置につけ》
突如、艦の各所に設置されたスピーカーから戦闘指揮官の声が響き渡る。
「来た……!」
メイヤーは南東の空に目を凝らす。ニホン軍の戦闘機が、共和国空軍のTA‐87を遥かに上回る俊足の持ち主であることを彼は知っていた。目視可能な距離まで接近していてもおかしくない。
「メイヤー大尉! ここは危険です! どうか中へ」
近くで待機していた水兵がメイヤーに退避を促す。
「どこも変わらん。沈められれば一緒だ」
そう言って水兵を黙らせつつ、目は南東の空を凝視していた。雲一つ無い快晴……その青空の一点、そこに明らかに空の色とは趣の違う硬質な輝きを放つものが見える。かなり注意深く見なければ見失ってしまいそうな程、それは空の色と同化していた。だがそれも一瞬、気付けばその硬質な輝きを放つ物体は明確な航空機の形となって彼の目に飛び込んでくる。
「速い……!」
その航空機は瞬く間にレスターに接近し、まさしく一瞬のうちに上空を通過してしまった。そんな短時間のコンタクトではあったが、レスターの乗員を驚愕させるにはそれだけで事足りる。空を見上げていた水兵、対空機銃に取り付いていた者、艦橋から一部始終を目撃した艦長、そしてメイヤー自身。皆がニホン軍戦闘機が去っていった方角を眺め、呆然と立ち尽くす。すると、旋回して引き返してきたニホン軍戦闘機が、今度は先程よりも速度を落として上空を通過する……灰色の大柄な機体下部には武装が満載されているにも関わらず、その機動力の一切に何ら影響を及ぼしていない。自軍の戦闘機が勝てないのも頷ける。
「戻っていく」
「メイヤー大尉、ニホン海軍のお迎えが楽しみになってきたな」
レッゲルスは戦闘機が去っていった南東の空を眺めながら言った。彼も未だ興奮冷めやらぬといった感じだ。
「攻撃の意思が無いことは伝わった……そう思いたいです」
メイヤーは絞り出すように言った。
カール大陸北方海域
連合艦隊本隊
旗艦 神通
「どうやら、攻撃の意思が無いことは本当らしい」
連合艦隊司令長官の古村 峰夫大将が、赤城偵察機からの報告を読み返していた。
「しかし長官、罠ということも考えられます。ここは慎重に判断しましょう」
参謀の山川中将は神妙な顔つきで言う。
「山川参謀、彼らも交渉したがっているということだ。乗ってみるのも一つの手じゃないか?」
「しかし……つい先日、バルアス海軍はバリエラの艦隊に対して戦闘命令を出しております。乗るにしても、保険は必要かと」
「紀伊を向かわせよう」
古村の言葉に、作戦室に集まった面々は驚愕の表情を浮かべる。ただ一人を除いて。
「それは賛成です長官!」
声を上げたのは参謀の一人である村越少将だった。彼自身、大和乗組を経験するなど、他の者に比べて人一倍戦艦への愛着が高かった。
「村越参謀、君もそう思うか」
「は! 紀伊を向かわせることで敵の停戦派重要人物を迎え入れる。そして罠だった場合、紀伊の全戦闘力をもって敵を叩く。これで保険は成立です」
「なるほど、それなら比較的安全に事が運ぶ」
山川中将も納得した表情で頷く。
「そうと決まれば話は早い。紀伊に打電だ」
古村は近くに控えていた電信員に打電の指示を出す。そして集まった司令部の面々を見渡した。
「バルアス共和国には、停戦派と継戦派が存在する。それが分かっただけでも、よしとしようじゃないか」
「あの国にも、まともな人間がいるということですな」
山川中将は椅子に腰掛け、舷窓の向こう側に見える海を見つめながら呟く。
「しかし紀伊を送り込むとは……前の防空戦闘で敵戦闘機の体当たり攻撃を受けたにも関わらず、損害は軽微。あの艦は武運に恵まれてるのでしょう」
林原大佐はニヤリとした。
「まぁ、大和を超える戦闘力を授けられたんです。当然といえば当然ですな」
「さて、紀伊からの報告を待つとするか。私は自室に籠って報告を待つ、何かあれば報せてくれ」
古村は立ち上がると、足早に作戦室から退室した。
21時35分
バルアス共和国ブレミアノ市郊外
「真っ暗だな。なにも見えやしない」
「ジェイス軍曹、こんな偵察任務受けることはなかったんです」
「黙れ、レオン一等兵。俺達が行かないで誰が行くんだ」
「そうだレオン、お前は落ち着け。騒がしくて仕方ない」
共和国陸軍一等兵フレル・マイヤーは、レオンの背中を小突きながら言った。
「フレル一等兵の言う通り、ここはニホン軍の陣地に近い。騒がしくて見つかってしまったら意味がないだろう」
ジェイス軍曹もレオンのヘルメットを軽く叩きながら言う。
「軍曹……! あれはニホン軍の野営地ですよ。うわーとんでもない数だ。見つかったら絶対ヤバイ!」
フレルは数百m先に見えるニホン軍野営地を見て腰を抜かしそうになった。ニホン軍戦車や、あらゆる軍用車が並び、周囲を多数のニホン兵が警戒する姿が確認できる。
「あぁ、あれは危険だ。ここに即席塹壕を掘って監視する。ほら急げ」
「は、はい!」
「眠いですね軍曹。ニホン軍はこんな夜中でも活発に動いて、俺達を休ませない」
フレルは時計を見た。即席塹壕を掘ってその中に入ってから既に三時間が経過している。
「俺は伍長と一緒にここで監視を続ける。貴様らは歩いて目を覚ましてこい」
「了解……」
フレルはレオンと共に塹壕を出て歩き始めた。
「なぁフレル」
「なんだよ」
「さっさと家に帰りたいよなぁ。美味い飯食って風呂に入って、休みの日は昼まで寝るんだ」
「お前らしいなレオン。当分家には帰れないさ。戦争が終わるまでは」
「ジェイス軍曹はああ言ってたが、座って休もうぜ。足が痛くて仕方ない」
「まったく、仕方ない奴だな。少しだけだぞ」
フレルは言葉ではそう言ったが、内心はレオンと同じことを考えていた。
「はぁ、たしかに疲れた」
「だろ? ちょっとくらい休んだって誰も咎めやしないよ」
レオンは地面に座り込むと、水筒の水を半分近く飲む。
「そんなに飲んで大丈夫なのかよ。もっと大事に飲め」
フレルは呆れた表情を浮かべた。
「大丈夫大丈夫……て、おい!」
「ん?」
急に小声になったレオンに怪訝な顔を向ける。彼は静かにしろと身ぶり手振りでフレルに伝えていた。
「どうしたんだ」
口を押さえ、フレルの後ろを指差すレオン……その顔には尋常じゃないほどの焦りの色が浮かんでいた。それを見たフレルはゆっくり振り向く。
「あ……み、見つかった」
レオンが情けない声を上げるが、それには耳を貸さずに背後を見つめるフレル。誰かが近付いてくる……味方ではない誰かが!
暗闇の中から10人ほどの集団が現れた。特徴的な柄の野戦服、星の形をした帽章、それらはニホン兵の見分け方を教えられた際に聞いた特徴。それが今彼らの目の前に立っていた。
「……」
両者の間に暫しの間、睨み合いが勃発する。座ったままのフレルとレオン、立ったままこちらを観察するニホン兵。だがそれも長くは続かなかった。ニホン兵の一人が「行くぞ」と言った瞬間、10人ほどの集団はフレルとレオンに興味をなくしたかのように暗闇の中に去っていく。
「……なぁ」
ニホン兵が消えていった暗闇を呆然と眺めていたレオンが声を出す。
「どっか行っちまったよ……ニホン兵」
「そ、そうだな」
二人は顔を見合わせる。
「寿命はかなり縮まったけど」
「ジェイス軍曹の所へ戻ろう」
二人は立ち上がると、早足で歩き始めた。