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異界の帝国  作者: 赤木
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第五十話

5月9日 8時15分

バルアス共和国首都タレス

共和国陸軍総司令部




司令部地下に位置する作戦室。作戦地図や無線機、電話機が並ぶこの部屋にリョセフはいた。室内に掲げられているのは共和国の国旗。それが、かつては茶、青、緑の3色で構成されていたことを彼は知っている。それぞれに広大な大地、豊富な水源地、豊かな森林……それらを色で表現した単純な国旗であった。

しかしある時を境にバルアス共和国の国旗は鮮やかな赤地の中央に大陸を描き、その上で銃と剣が交差しているものに変わった。通称「統一旗」、大陸統一と共和国の力の証明となっている旗だ。

だがリョセフからすれば侵略の象徴以外の何物でもない。その旗の下で侵略が正当化され、併合された国でどれ程の命が失われたか? それらの国のなかには人口の2割を失った国もある。

「それにしても忌々しい旗だ」

リョセフは共和国の国旗を眺めながら呟く。

「北部のレデロン、デストリア、西のダステリア……」

30年前、実際に存在した国家の名であった。バルアス王国時代、飽くなき領土欲に酔狂したとある王が提唱した拡大政策。記録上では500年前、現在の首都タレスを中心とした都市国家バルアスの王であったタレス・リサール・ドレアヌス6世の野心である。彼は都市国家の枠を大きく超える巨大国家を創造することを夢見ていた。当時の大陸では沿岸部の都市が栄えており、内陸部は人口も少なく集落も疎らで国家の保護下には置かれていなかった。

そこに住む民と土地の保護を目的としたバルアスの遠征が頻繁に行われるようになり、バルアスは都市の城壁を乗り越えた本格的な大国への道を歩み始める。半世紀程で領土は大きく膨れ上がり、当時都市国家として既に存在したレデロン、デストリア、ダステリアの3国とバルアスとの間で国境を明白にするための条約が結ばれることになる。それから暫くは平和が続いた。30年前までは……

「今、再び独立への道が開かれた。ニホンがこの国を占領し、3国を解放するはずだ」

その時、作戦室のドアがノックされた。

「入れ」


「失礼します!」

入ってきたのはリョセフの副官、ノリス中佐だった。


「いよいよニホンとの戦いに身を投じるときが来たな。渡しておいた資料には目を通したかな?」


「はっ! しかしこれは真実なのですか? 現状で空軍からの支援は絶望的、共和国南部における制空権をニホンに握られてしまっており、地上部隊は……現在までに判明している情報から予測されるニホン軍の攻撃の前に3日ともたない……」

ノリス中佐は青ざめた顔で言った。


「そんなにも差があるという事実。この世界は広いな。まぁ共和国解放の日は近い」

リョセフは陸軍将官用の略装姿だった。彼は傍らに置いていた略帽を手に取り、それを見つめる。架空の生き物である赤獅子を象った帽章は、バルアス共和国が王政時代より使用してきた伝統的なものだ。


「閣下、前線に赴くなど反対です! これは自殺行為ですよ。停戦派との不和、まとまりのない軍隊など……」


「私はもう何も怖くない。ノリス中佐、君はここに残っても構わん」

リョセフは略帽を被り、立ち上がった。

「聞いてくれ中佐。ブレミアノは、ダステリアがニホンに掌握された時点で住民の大多数が出ていった。我々の部隊はニホン軍と戦闘をしつつ市街地まで後退、そこでニホン軍を消耗させる」


「しかし閣下、相手は大規模な戦車部隊を持っております。それに市街地ごと爆撃で吹き飛ばされたら……」


「その時は、仕方あるまい。運命には逆らえない」


「なぜそこまで?」


「祖国のためさ」

リョセフは静かに言った。その言葉には何か別の感情が存在する……ノリスはそう感じ取っていた。


「私は最後まで閣下の副官として任を果たします」


「ならば一緒に来るがいい。昼までに出発する」


「はっ!」

後にノリス中佐が残した手記にはこう記されていた。ーーリョセフ閣下の略装姿を見たのは初めてでした。その時直感したのです。閣下は死ぬつもりだと。そう感じた時から身に纏った略装がまるで死装束のように見えましたーー




10時13分

バルアス共和国

ブレミアノ、ダステリア境界付近

共和国陸軍宿営地




森林の中に設営された宿営地には無数の天幕があり、開けた場所には対空砲が置かれ、その砲身は天を睨む。狭く、荒れた未舗装の道を戦車が通り過ぎる度に地面は揺れ、休む将兵達に一種の不快感をもたらしていた。

「はぁ……」

木々の狭間から見える太陽に眩しさを感じた陸軍一等兵フレル・マイヤーは溜め息をひとつ吐いた。


「第4小隊は1100、司令部前に集合!」

小隊長が大声で伝えて回るのが目に入る。


「なぁフレル、なんで俺達なんだろうな?」

横に座っていた同じ一等兵のレオンが言う。


「もしかしてニホン軍と一発やってこいとか……?」


「おい! 冗談はよしてくれよ。それじゃ死ぬ確率が格段に上がるじゃねぇか!」


「まだそうと決まった訳じゃない。でも可能性はあるよな。ここは前線なんだ」


「フレル、お前知ってるか? ニホン軍の戦車はトーレス戦車を一回り以上大きくした化け物で、歩兵は人間じゃない……捕らえた捕虜を殺してその肉を喰らう怪物らしいぞ!」

真剣な顔で信憑性の低い噂を語るレオン。


「レオン! それは噂でしかない。たしかに奇妙な格好をしてるが、ニホン兵も同じ人間だよ。そんな噂は信じるものじゃない」


「そ、そうだよな。人間の肉を喰らうなんてあるはずない」


「タリアニアに潜入していた情報部の人が何枚かニホン兵の写真をくれたんだ」


「情報部に知り合いがいるのか?」


「まぁね。参考のために持ってきてるんだ。これを見てみろ」

懐から三枚の写真を取り出してレオンに手渡す。

一枚目は「憲兵」と書かれた腕章を付けたニホン兵。白黒の写真でもその鋭い眼光が感じ取れるようだ。二枚目は本から切り抜かれた写真。ニホン兵の集団が行進をしている光景だった。三枚目はどこかの門の前で警備をするニホン兵。門柱には「大日本帝国海軍ロッセル島根拠地」の文字があるが当然彼らには読めない。ロッセル島はタリアニアから200km離れた孤島だが、タリアニアの民なら観光地として訪問も可能であった。


「たしかにどれも普通の人間だな。それにしても目が鋭いな……こんなやつに睨まれたら縮み上がりそうだ」


「同じ人間だからこそ、戦争がなかったら仲良くやれるんじゃないだろうか? ニホン人のことはよく知らないけどな」


「そうかもな。でも今は戦争やってんだよな……俺は人も殺したことがないんだ。フレル、お前は敵を殺せるか?」


「30年前に戦争やった時は、初めて人を殺した人間なんて無数にいたはずだ。それに、躊躇したが最後、自分が死ぬことになる。だから生きようとして敵を殺す……みんなそうじゃないかな?」


「ちょっと待て、それはニホン兵も同じじゃないのか?」


「そう思うが。もうすぐ時間だな。司令部前に行くとするか」


「そうだな」

二人は丘の中腹、かつて炭坑だった場所に設置された司令部に向かう。


緑溢れる中にポッカリと空いた穴。何年か前まで実際に炭坑として使われ、比較的良好な状態で残っている。穴の前には電信隊の天幕があり、人間の出入りがひっきりなしに行われていた。天幕の中の通信兵は、高い位置に設置されたアンテナを通じてタレスの総司令部とやり取りをしているのだろう。

フレルは天幕の中を少し覗いてみた。数人の通信兵が電鍵を使ってモールス信号による通信を行っているのが目に入り、ヘッドホンを装着した者が聞き取ったモールス信号を直ちに書き写す姿がある。


「おい、ニホン軍は装備、練度に劣る一個旅団規模らしいぞ」

通信兵の一人が通信の内容を見て隣の通信兵に話し掛けた。

「本当か? 馬鹿な奴らだ。味方が完膚なきまでに捻り潰してくれる!」


「一個旅団? それも装備、練度で劣る……本当かよ」

フレルはその通信内容に納得できなかった。彼が見たニホン兵は少なくとも自軍より性能の高そうな銃を持っていたし、練度が低いとも思えない。事実、ダステリアの防衛部隊はニホン軍に降伏している。上官は皆、愚かな指揮官の独断だと豪語していたが、フレルは降伏せざるを得ない状況だったのではないかと推測していた。

「ダステリアにいるニホン軍は……とんでもない精鋭じゃないのか? 俺達より劣るのなら、守備部隊が負ける理由が見つからない。まともな指揮官なら損害が増える前に降伏を決断しても不思議じゃないな」

ーーグイッーー 突如、後ろから野戦服の襟を引っ張られ慌てて振り返る。


「よぉ、一等兵。何してんだ?」

彼を引っ張ったのは上官のジェイス軍曹だった。

「もう時間だ。戦闘中なら貴様のせいで全滅してたな」


「ジェイス軍曹……申し訳ありません」


「盗み聞きは良くない。で、何か気になることでも言ってたのか?」


「いえ! とくに何も……」


「そうか。小隊長から話があるらしい。早く来い」


小隊長は若い。去年、士官学校を卒業してこの部隊に配属された。第一印象はいかにも勉強ができそうな男……悪く言えば頼りなさそうな感じだ。

その小隊長といえば、皆の前に立ち、フレル達の到着を待っていた。

「小隊長! 遅れてすみません」


「いや、いいんだ。じゃあ始めるか」

小隊長は細身ながら背は高く、その軍服の下に引き締まった肉体を隠していることは明白だった。頼りなさげな印象は拭えないが、動作はまさしく軍人のそれであり、小隊の面々に見せていない部分が未だ多く存在するのだろう。

「先刻、総司令部より入った連絡によると、リョセフ閣下が前線視察に来るらしい。そこで、我々第4小隊がリョセフ閣下の護衛として選ばれた」


「おいフレル。俺達はここにいる18000人の中で一番運がいいと思わないか?」


「なんでそう思うんだよレオン」


「参謀殿の護衛ってことは、ニホン軍との戦闘では間違いなく後方にいられる。真っ先に戦死する心配もしなくていい」


「そうか? そうだといいな」

そうは言ってみたものの、嫌な予感しかしない。フレルはこれから先、とんでもない事態に巻き込まれていく気がしていた。




13時53分

バルアス共和国

首都タレス

共和国海軍司令部




電信室の前で一人の男が立ち止まる。男は少し考え込んだ後に軍服のポケットから鍵を取り出し、鍵穴に差し込んだ。

ーーガチャンーー

扉を開けて中に入る。そこには誰もおらず、暗闇と沈黙をもって男を迎え入れた。

電灯のスイッチを入れ、通信機を立ち上げる。

「さて、原稿はこれか」

ポケットから折り畳まれた紙を取り出す。そして紙に書かれた内容を読んでニヤリと笑う。

通信機の前に座った男は、一心不乱に紙に書かれた文を打電し始める。

「くっくっくっくっ! さぁどうする。あの男には止められまい!」

電信室内に男の笑い声が響き渡った。





バルアス共和国

バリエラ軍港

巡洋艦レスター




当初はタレス軍港への移動が決まっていた巡洋艦レスターだが、近海をニホンの艦隊が我が物顔で徘徊し、水中から共和国海軍の息の根を止めようとする恐ろしい水中艦の存在を警戒したマーティンの指示で今はバリエラに戻っていた。

バリエラを母港とする第6艦隊は数少ない無傷の艦隊でもある。


レスターの電信室にいた通信兵は、数日間沈黙を保っていた通信機が何かの電文を受信していることに少々驚いた。

「これは!? 第6艦隊に告ぐ、第6艦隊はバリエラ沖に存在するニホン艦隊を、全力をもって撃滅せよ。海軍司令部……!?」


「どうしたんだ?」


「これを見てみろ!」

通信兵は同僚に紙を手渡す。


「これは!? 早く報告しよう!」





ブレミアノ郊外

廃工場地下




「何が始まろうとしている? マーティン元帥が攻撃命令を出すとは思えん」

時を同じくして海軍司令部からの電文を確認したレッゲルスは困惑した。

「陸軍は第26師団が動いている。リョセフめ、何をしようとしている!? 海軍の首謀者は誰なんだ? 艦隊を潰すつもりか……」

レッゲルスの呟きは静かな室内にありながらも、誰も聞き取れない程の小さな声だった。





タリアニア東方沖200km

ロッセル島

帝国海軍ロッセル島根拠地内

海軍情報局




「村井大佐、敵さんの通信が最近活発なようですな」


「ん? 何か気になる情報があったのか」

デスクに向かい、書類に目を通す第一種軍装の男が顔を上げた。


「はっ、ただいま解読中です」


「ここでバルアスの諜報員が持っていた情報が役に立つとはな。バルアスの暗号は我々だけじゃ解読できんかっただろう」


「村井大佐、我々はいつ内地に帰れるのでしょうかね? この何もない島には飽き飽きしてます。せめて海軍料亭くらいあってもいいかと」


「どうせ貴様の目当ては芸妓だろう? それに、こんな小さい島じゃ無理だろう」

村井は退屈そうな顔をした部下の顔を見て言った。


「久しぶりにタリアニアのレスでインチと呑みたいですな。ここ何ヵ月も行ってないもので」


「次の休暇にでも行ってこい。ま、いつになるか分からんがな」


「そうですな。お、どうやら解読できたようです」

部下は解読された通信内容が記された紙を村井に手渡す。


「どれ。ほぅ、これは攻撃命令だ。バルアス海軍第6艦隊の戦力は分かるか?」


「巡洋艦が4隻、小型艦14隻の艦隊です」


「バリエラ沖の艦隊は既に距離をとっている筈だ。バルアス海軍が出てきたところで何になる?」


「たしかに……何を考えているのでしょうか。しかし司令部には伝えておくべきでしょう」


「そうだな。古村長官に伝えておくとしよう。では頼むよ」

村井はそう言うと再び書類仕事に戻った。

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