第四十八話
5月5日 8時30分
バルアス共和国首都タレス
防衛対策本部会議室
防衛省内部にある会議室。そこには徹底抗戦を唱える継戦派のリョセフ少将と、早急なる講和を目指す停戦派の軍人たちが集まっていた。
向かい合って着席した彼らの間には重苦しい空気が流れ、お互いに睨みあったまま数分が経過しようとしていた。
「今日ここに集まっていただいたのは睨み合うためではない筈です」
口を開いたのは陸軍のデネロー・ラルト少佐だ。
「リョセフ少将、確認しておきたいのだが……空軍の出撃に貴官が関わっていたというのは事実かな?」
マーティン元帥は昨日の大敗北を思い出す。ニホン艦隊を撃滅するために攻撃隊が出されたことを知ったのは、攻撃隊が壊滅して5時間も過ぎてからであった。
「出すなら出すで全軍に周知するのが筋ではないか?」
「そんなことを言っても、戦う意思を失ったあなた方には通じないでしょうな。元帥、祖国を真に愛しているのであれば徹底的にニホンを排除するべきではないですかな? 海軍を束ねる身でありながら、閣下は何も分かっておられない」
自信に満ちた表情で言うリョセフ。その言葉から空軍の大部隊を失ったことへの後悔など微塵も感じられない。
「無礼な!」
「何も分かっていないのはリョセフ少将、君の方だよ。我が共和国は最早引き下がることはできまい。しかし、まだ止めることは可能だ。このまま破滅まで突き進むか……止められるところで止めるか、共和国にとってどちらが最善かは考えるまでもない」
「では元帥、あなたはまともな講和が可能だとでもお思いか? 戦争を止めるにはもう遅すぎだ!」
「リョセフ少将、よく顔を出せたものだな。君は今圧倒的に不利な立場にいるのがわからないのか? そのうち君に味方する者はいなくなる」
「私を拘束したところで何も変わらん! これは北部軍全体の意思だからな」
リョセフはニヤリと笑う。それを見た停戦派の面々は背中に冷たいものが流れるのを感じていた。
「北部軍は止められん。今や北部軍は独自の意思で行動している」
「同じ国の軍ではないか! 意思統一ができなくてどうする」
「我々を縛る上級組織は存在しない。臨時政府の命令など受け入れられるものではないな」
「貴様! 一部とはいえ独断で軍を動かし、その戦力の過半を喪失させた張本人ではないか! これは重大な違反だ」
座っていた停戦派将校が立ち上がり、リョセフに怒号を浴びせる。
「私が何故この場に来たのか……あなた方を説得するために来たのです。最後まで戦わずに降参するのは真の共和国軍人とは言えません。ニホンは強大かもしれませんが、勝てぬ相手ではない。そうは思いませんかな?」
リョセフは相変わらずニヤニヤした表情で言った。
「ふざけるな! この戦況を見てまだそんなことを言うつもりか! 今こうしている間にもニホン軍は首都を狙ってるんだぞ」
「リョセフ少将、今度は何をやらかすつもりだ……」
マーティンは静かに問い掛ける。
「ブレミアノとダステリアの中間点に防衛ラインを構築しました。ニホン軍を足止めし、大打撃を与えるためにね」
「どうなっても知らんぞ? これまでどれ程の若者を失ったか考えてみろ」
「もう止められないのですよ、元帥閣下」
リョセフの言葉の後に訪れたのは長い沈黙だった。
18時20分
バルアス共和国
ダステリア地方東方某所
「こちら隊長、状況を報告せよ」
迷彩の野戦服のあちこちにカモフラージュのための葉っぱや枝を付けた男、帝国陸軍軍曹の近藤は無線機に向かって喋る。
『バルアス軍の斥候らしき小集団を三つ確認』
「なるほど」
近藤は傍らに置いていた小銃を手に取ると立ち上がった。
「監視を継続せよ」
『了解』
「今夜は野営か。適当な場所を探すぞ」
近藤が声を掛けると、茂みの中から数人の兵士が現れる。彼らも近藤と同様のカモフラージュを全身に施していた。
偵察機だけでは得られない敵情の把握。それが斥候兵としての任務だ。
「軍曹殿、本当に敵はいるのでしょうか?」
「間違いないだろうな。俺達は敵の本土にいるんだ。必ず全力で守りにくる!」
ーーそれにしても深い森だーー
「軍曹殿、どうかされましたか」
「いや、こういう風景は見覚えがあるよな」
「青木ヶ原……」
「たしかに雰囲気は近い」
ガサガサガサ……
「おい! 今のはなんだ」
音に反応した今村は、背の高い雑草が生い茂る場所の前で立ち止まった。
「どうした今村」
「何かがいます、軍曹殿」
「敵か!?」
近藤は銃を構え、ゆっくりと草むらに近付く。
ガサッ
「誰だ!」
音のした方に銃を向ける。しかし彼はすぐに警戒を解いた。その視線の先には一匹の猫らしき動物。
「大きいな。山猫ってやつか?」
日本では見かけない大型犬に匹敵するサイズの山猫は、しばし近藤らを見つめたあと走り去った。
「さっきのは本当に猫でありますか?」
「まぁ、世界には大きい猫もいるってことさ。よし、俺達も行くぞ!」
「まさかこんなところまで来ているとは……」
茂みの中で息を潜めていた男が小声で呟く。茶色の野戦服に戦闘帽、共和国陸軍の主要歩兵装備であるA13ライフルを担いだその姿は紛れもなくバルアス陸軍歩兵だった。
「早く行け……早くここから去ってくれ」
彼は祈るように呟いた。慣れない南部、来たことのないダステリアでの作戦。だが初めて見たニホン兵への衝撃はそれ以上に不安を掻き立てるものに感じられた。
戦化粧でもしているのだろうか、ニホン兵は彼らが着用する服と同じような色の何かを顔に塗っていて、持っている小銃はおそらく自動、その銃にまで森林に溶け込むような塗装がされ、個人装備が充実しているように見える。
「本当に同じ人間なのか……?」
匍匐前進でゆっくり移動するバルアス兵、北部軍管区、陸軍第26師団所属の一等兵であるフレル・マイヤーは率直な疑問を口に出す。
フーッ……フーッ……
「!?」
気配を感じて振り返った先、そこには何処かへ走り去った筈の山猫が毛を逆立て、フレルを威嚇するような唸り声を上げながら近付いてくる姿があった。
「まずい!」
全体に灰色がかった毛皮、逞しく引き締まった筋肉、鋭い眼光、鋭い爪……襲われたら人間など無力。そう思わせるオーラを存分に醸し出す山猫。
素早く体勢を整えたフレルは山猫に銃を向けるが、すぐに銃口を下げた。
「ここで撃ったらニホン兵に気付かれる」
仕方なく銃剣を手に取り、ゆっくりと、山猫を刺激しないよう静かに着剣する。
「来いよ……」
鋭い牙を剥き出しにして、フレルを睨み付ける山猫がいきなり飛び掛かってきた。
「くっ!」
ギリギリのところで山猫の一撃を躱すと、山猫を仕留めるべく銃剣を突き出した。
シャアァァァーッ!
「躱されたか!?」
一瞬躱されたと思ったが、山猫の体から滴り落ちる血を見てなんとかダメージを与えたことを実感する。だが傷が浅いのか……思いの外山猫はピンピンしている。
「くそっ! あっち行け!」
フレルの思いが通じたのか否か、山猫は彼に背を向けると足早に去っていった。
「助かった……」
しばしの間その場に立ち尽くしていたフレルは任務を思い出し、歩き始める。
ブレミアノ郊外に設置された本土防衛部隊司令部。フレルの部隊がそこに到着したとき、陸軍総司令部のリョセフ少将の話を聞く機会があった。
「私は陸軍総司令部参謀のリョセフだ。君達の到着を心から歓迎する!」
リョセフは到着した第26師団の面々を見渡す。
「君達も知っているかと思うが、ニホン軍はあろうことかこの神聖なる我が共和国本土に土足で上がり込んでいる! しかし、その兵力は少なく、装備は我が軍より劣り、その戦術は我が軍の組織的戦術の前では歯が立たないだろう!」
フレルは黙って総司令部参謀の話に耳を傾けていた。
「君達は野蛮なるニホン軍を叩き潰し、奴らを国に追い返す。近代国家、高度な文明を誇る我が共和国の軍人なら難しいことではない筈だ」
「海軍や空軍の作戦はどうなっているのですか?」
一人の士官がリョセフに聞いた。
「海軍、空軍共に作戦は順調に推移している。君達の心配には及ばない。海軍はバルデラ島近海で行われた海戦で大勝利、ニホン海軍に大出血を強いたのだ。海軍に負けず、我ら陸軍もニホン軍に大打撃を与えようじゃないか!」
ーー海軍が大勝利!? そんな話初耳だぞーー
フレルはニュースでも聞いたことがない海軍の大戦果に驚いた。情報統制が敷かれていれば、そういった情報も入ってこないのだろう。
「空軍はムルゼス閣下率いる北部飛行軍団が加勢する予定だ! 戦力が揃ったら必ずやニホン空軍に大打撃を与えるだろう!」
「北部飛行軍団も来るのか! それは心強い!」
「共和国空軍最強と言われるあの北部飛行軍団が!」
「ニホン軍は終わったな! 来月には共和国本土から一人残らず駆逐されてるだろうよ!」
周りにいた兵士たちは北部飛行軍団を絶賛する。
「静粛に!」
一気に静まり返る兵士たち。
「とにかく、君達はニホン軍を追い払えばいい。精鋭なる共和国陸軍にはそれが可能だと信じておるぞ」
「北部飛行軍団の作戦はどうなったのかな」
森林地帯を進むフレルは空軍の作戦が気がかりだった。
「予定では昨日実施されてる筈だ。ん? この音は戦闘機か!?」
微かに聞こえるジェットエンジンの爆音に耳を済ます。
「近付いてる……?」
彼は木々の隙間から空を見上げながら呟いた。徐々に大きくなるエンジン音、空気を震わせる轟音……
「速い! 味方の戦闘機じゃない……」
直後、彼の頭上を一機の航空機が過ぎ去った。夕陽を受けてギラギラと輝く機体は見たこともない形状で、灰色の塗装に、主翼に描かれた赤い丸、それは明らかにバルアス空軍のものではなかった。
「ニホン空軍……!? なぜだ、戦況は共和国有利じゃなかったのか?」
ニホン軍機は一機だけではなかった。次々と彼の頭上を通り過ぎていく灰色の機体。彼はそれを静かに見守ることしかできない。
バルアス共和国
ダステリア、ブレミアノ境界付近上空
「富嶽よりハゲタカ01、状況を報告せよ」
無線機から聞こえる管制官の声。
「こちらハゲタカ01、敵陸上部隊が展開しているが詳細は掴めない。森林地帯は思ったより深い……」
西岡は眼下を眺めながら言った。
「専用の偵察機を送る必要がありそうだな。了解」
「バルアスに戦闘機は残ってるのか? この辺りでは見かけないな」
疾風の操縦席から周囲を見渡すが、見えるのは後方から追従する味方機のみ。
「空戦はないかもな、物足りないが仕方ないだろう。敵が早く降伏すればそれでいいか」
西岡は静かに呟いた。