古村の回想
2014年 12月
タリアニア
連合艦隊旗艦 神通
この日、古村は自室に籠って対バルアス戦の推移について考えていた。机の上には山積みの資料、壁には偵察機からもたらされた各種の写真や戦略地図が貼り付けられ、彼がどれだけバルアス共和国を調べているかが分かる。
「目が疲れるな。私も歳か……」
彼は立ち上がると舷窓の方へ歩み寄る。
「今日の海は穏やかだ」
――コンコンコン――
唐突に響くノックの音に振り返る。
「入れ」
短く答えると再び椅子に腰掛けた。
「失礼します!」
入ってきたのは舷門当番の水兵であった。
「長官、田之上中将が長官にお会いしたいと……」
「田之上? まぁいい。通せ」
「はっ!」
水兵は敬礼をすると出ていった。
数分後、一人の男がやって来た。
「田之上……あの田之上か!」
「そうだ。海兵104期、田之上 憲一郎」
男は帽子を脱ぐと控え目な笑みを浮かべる。
「貴様、久しぶりだな!」
「古村、貴様もな!」
二人は懐かしそうに握手を交わす。
「貴様元気にしとったか。ここ最近姿を見せんから死んだと思ってたぞ!」
「しばらく北海道にいてな、なかなか帰ってこれんかった。貴様は今や連合艦隊司令長官とは随分出世したもんだ。104期の誇りではないか」
「俺は俺なりにやってるだけだ。しかし、こうやって話していると昔を思い出すな!」
古村は懐かしそうに言った。
「ところで、今日はどうしてここに?」
「今日はたまたまタリアニアに用があってな、神通が停泊してると聞いて来てみたんだ。夕方の特別便で帰るが、久しぶりに貴様の顔を拝んでおこうと思ったんだ」
「そうか! まぁ狭苦しいところだがゆっくりしていけ」
「あぁ、すまんな。貴様も忙しいだろうに」
「いや構わんよ。昔話でもしようじゃないか」
「悪いな。ところで古村、竹内さんを覚えているか?」
「竹内さんがどうしたんだ?」
「竹内さんだが……先日亡くなったらしい。癌だそうだ」
「何!?」
古村は頭を何かで殴られたような錯覚に陥る。それほどの衝撃を受けたのだ。
「竹内さんが」
彼は昔を思い出していた……
1971年10月
江田島
海軍兵学校
「待てい!」
その声を聞いた古村は直ちに足を止めて直立不動の姿勢をとる。
「兵学校の階段は二段ずつ上がる! やり直し!」
そう言ったのは第三分隊一号の竹内生徒だ。
「はい!」
もう一度やり直すと次は問題なかった。竹内生徒はそれを見送ると自身は階段を駆け下りていった。
「なぜ俺ばかり!」
古村は入校以来毎日のように竹内に呼び止められ、様々なことをやり直しさせられていた。
「おい古村、どうしたんだ?」
寝室に戻ると同期の田之上が声を掛けてきた。古村の様子に気が付いたのだろうか。
「いやなんでもない……わけでもないか。竹内生徒はどうして俺ばっかり!」
「貴様、竹内生徒の恨みを買うようなことでもしたんじゃないのか? 覚えはないのか」
「ないな。俺のことが気に入らんのならはっきり言ってほしいよ!」
「古村! 貴様考えすぎだ。竹内生徒も貴様のことを考えてやってるんじゃないのか?」
「いや、あいつはそんないい奴じゃない。俺は認めんぞ」
1972年1月
「待て!」
内心、またかと思いながら、少々反抗したくなった古村は無視して通りすぎようとした。だが今回は竹内生徒ではなく別の一号生徒であることに気付き慌てて足を止めた。
「貴様! 待ての声が聞こえんかったのか!」
その一号は古村に近付くなり、いきなり拳を振るう。
「ぐっ!」
なんとか持ちこたえた古村だが、再び殴りかかろうとする一号生徒が視界に入り目を閉じる。
「目をつぶるな!」
もう一発もらうことを覚悟していた古村は意を決して身構えた。だがいつまでたっても殴られない。
「こいつは俺に任せてくれないか?」
竹内生徒だった。
「こいつたるんどる! 四号のくせに!」
そう言って古村を殴った一号生徒は去っていく。
竹内は軽く頷くと古村の前に立った。しばし古村を見ていた竹内は唐突に口を開いた。
「よし、かかれ!」
殴られるものとばかり思っていた古村は、竹内に敬礼をしてその場を走り去る。
どうしてだ?
そんな疑問が浮かぶ。今回は珍しく竹内に助けてもらったことになる。
「なぁ田之上、竹内生徒はどうしたんだろうな」
寝室に戻った古村は田之上に話し掛けていた。
「何かあったのか?」
「いや、俺が殴られているところを助けてもらったんだ。どうしてだろうな。今までは俺を目の敵にしてたのに」
「さぁな。それは本人に聞かんと分からんだろう」
古村は竹内生徒を探した。竹内は八方園に佇んでいた……
「竹内生徒!」
「貴様、何しに来た」
竹内は振り向くと静かに言った。
「あの!」
「ここに来て死んだ親父に祈ってるんだ。俺は兵学校生徒だから親父の死に目にはあえなかったがな」
竹内はいつもより穏やかな口調で語る。
「親父は死ぬ前、俺に知らせることを拒んだらしい。家族の反対を押しきってな。最後まで頑固な親父だ」
古村は黙ってその話を聞く。
「貴様に話すことではなかったな。俺に何の用だ」
「はっ! 竹内生徒は、どうして私を助けてくださったのですか!」
「なに、気分が良かったんだろう」
「いえ! 本当のことを仰ってください!」
「貴様、長野の出身だと言ったな?」
「はい、確かに私は長野出身であります」
「俺もそうだ。貴様とは中学も一緒だ。貴様を見たとき、昔の俺を思い起こした。こいつは放っておけないと思ったんだよ」
「そうでありましたか」
「俺も中学時代は喧嘩ばかりしてた。貴様のような奴を見ると、どうしても放っておけないんだ」
「竹内生徒……!」
古村は竹内生徒の言葉に感激した。
「私は、竹内生徒を憎んでおりました。しかし、それが間違いだったと気付かされました! 申し訳ありません!」
竹内生徒に対して頭を下げる古村。
「おい、貴様いきなりどうしたんだ! いいからもう戻れ」
「しかし……」
「もうよい、早く戻れ」
この日から古村の竹内生徒に対する考えが変わった。竹内を慕うようになった。一号生徒が卒業まで時間は残されていなかったが。
1972年3月
温習室には第三分隊の一号から四号が集まっていた。四号生徒達は整列させられ、対面するかたちで竹内生徒が立っている。
「あと数日で我々一号はこの江田島を卒業する。貴様らに気合を入れるのもこれが最後になるだろう。よく刻み付けておけ、そして、忘れるな!」
竹内生徒はそう言うと四号の前に歩み寄り、靴下を見る。
「だめだ!」
「貴様もだめ!」
「全員だめだ! なっとらん!」
四号全員の靴下を見終わった竹内は怒鳴る。
「全員足を開いて歯を食いしばれ!」
その夜、なかなか眠れない古村の布団の上に何かが置かれた。竹内生徒が四号の寝台を回り、綺麗に洗い上げられた靴下を置いていたのだ。古村は自身の布団の上に置かれた靴下を見る。真っ白に洗い上げられた靴下……それを見ると竹内が去ることに寂しさを覚えてしまった。
卒業式当日
校庭には卒業する一号生徒達が整列し、長きに渡って兵学校の景色の一部として佇む千代田艦橋、その上には軍艦旗が翻っていた。
「第101期生徒、御下賜品拝受者、田村直樹!」
軍楽隊の演奏する『見よ勇者は帰りぬ』の下、その生徒はゆっくりと前に進み出る。
竹内はその光景を静かに見守っていた。
古村は通路に整列し、卒業生らがやって来るのを待っていた。やがて少尉候補生となった卒業生が姿を現す。
「ありがとうございました! お元気で!」
「江田島精神を忘れるなよ!」
「お世話になりました!」
見送る下級生、送られる卒業生……やがて古村の前に竹内がやって来た。
「貴様、元気でやれよ!」
古村と竹内は固い握手を交わす
「竹内生徒!」
「俺はもう少尉候補生だぞ?」
「はっ、そうでした!」
「俺はもう何も言うことはない、貴様は貴様らしくやれ!」
「どうか、御壮健で!」
「あぁ、貴様もな」
いよいよ最後、行進曲『軍艦』が演奏される中、少尉候補生達が下級生や教官らが並ぶ間を行進していく。左手に軍刀を持ち、敬礼をしながら歩く彼らの中に竹内の姿を見出だす。竹内も古村の方を向いている。
やがて竹内は前に向き直るが、古村はその背中をしばらく目で追っていた。候補生達は桟橋に差し掛かり、下級生らは桟橋のある方に駆け寄っていく。
候補生を乗せた船はゆっくりと動き出す。
「帽振れー!」
「総短艇よーい!」
この日、214名が兵学校を卒業した。
その後の竹内は大佐となった後、予備役に編入され、古村と会うこともなかった。
「おい、古村。昔を思い出していたんだな?」
神通の艦内で田之上が声を掛ける。今は神通の自室にいることを思い出した。
「あぁ。竹内さんのことは忘れたことがない。なぁ田之上、昔に戻りたいもんだな!」
「戻れるものならな! しかし現実はそうはいかん。我々は今を生きねばならん」
「それもそうだな。内地に戻ったら竹内さんの墓参りをしよう。貴様も行くか?」
「あぁ、そうだな」
二人は静かに笑った。若き日の竹内を思い出していたのかもしれない。