第四十四話
4月30日
大日本帝国
石川県 帝国空軍小松飛行場
バルアス共和国海軍ドレイク中将は、ニホン空軍の司令官の後に続いて広大な飛行場の敷地へと足を踏み入れた。建物の中でも聞こえていたジェットエンジンの爆音は、外に出たことによって更に近くに感じられる。しかしドレイクはその音源を未だ見出してはいなかった。
「閣下、ここから先は整備に精通した山下少尉がご案内します。どうぞお楽しみください」
ニホン空軍の司令官はドレイクに笑顔を向ける。
「閣下、はじめまして。私は戦闘機の整備を担当する山下少尉であります」
「先程から聞こえてくるこの音は?」
ドレイクはジェットエンジンの音が気になっていた。
「今から向かいます。こちらへ」
若いニホンの少尉に促され、歩き始めるドレイク。
「ニホン空軍の歴史はどんなものなんだ?」
「はっ、我が帝国空軍は創設されて50年です。帝国陸軍から航空隊を分離し、空軍が創設されたわけです」
歩きながら説明する山下少尉。
「海軍にも航空隊が存在するようだが、それは分離されなかったのか?」
「海軍には航空母艦があります。海軍は空母航空団を管理するために各地に独自の航空基地を持っております。もちろん空軍と海軍共用の飛行場もあります」
山下が説明している間に滑走路上で濃緑色に身を染めた一機の戦闘機が轟音を発しながら加速していた。ドレイクは足を止めてそれに注目する。
濃緑色の戦闘機はあっという間に離陸速度に達し、信じられないほど急角度で上昇を始める。
「あれは……!」
非現実的とも言えるニホン戦闘機のあまりにも凄まじい上昇力を目の当たりにしたドレイクは言葉を失った。
「あれは海軍の戦闘機です。日本海を航行中の空母大鳳の航空隊です」
山下は立ち止まって動かないドレイクの横で説明を付け足した。
「す、すまない。ニホンの戦闘機を近くで見るのは初めてなんだ」
そう言って再び空に目を向ける。その間にも次々と海軍の戦闘機が飛び立っていく。それを見送ると彼は歩き出した。
「さぁ着きましたよ」
山下は格納庫の巨大な扉の前で止まると、ドレイクの方を向いた。彼の到着を待っていたかのように巨大な扉はゆっくりと動き出す。
「行きましょう」
ドレイクは山下に促されるままに格納庫の中へ足を踏み入れる。そしてその中で彼を出迎えたのは、一機の航空機、灰色の塗装を施され、共和国空軍のTA―87よりも大柄ではあるが洗練されたフォルム、二枚の垂直尾翼は外側に傾いていた。外見から目立った武装は見当たらないが、それが戦闘機であることは分かる。
「我が帝国空軍が誇る最新鋭戦闘機、疾風です。この機体は前世界の仮想敵国が運用する新鋭戦闘機を圧倒するために開発されました。しかしながら……転移によって配備数は大幅に削減されましたが」
「武装が見当たらないが……」
「吉村、装備品をお見せしろ」
疾風の近くで待機していた整備兵の一人が疾風に取り付き、翼下や胴体下の兵器格納庫を解放する。
「なっ!」
露になった大小様々なミサイルに驚きを隠せない。共和国空軍の戦闘機は爆弾やロケットを装備する場合、翼下や胴体下に吊るすのが当たり前だ。しかし今目の前にある戦闘機は武装の全てを格納庫に入れると言う。
「ニホンではこれが普通なのか?」
「いえ、主力のF―15や海軍の烈風は違います」
「この戦闘機の実力は?」
「疾風は実戦経験こそありませんが、200戦以上行われた模擬空戦で無敗記録を更新中です」
「なるほど……敵はいないか」
そう言うとドレイクは疾風と呼ばれる戦闘機を隅から隅まで観察していく……見た限りではTA―87よりも半世紀以上進んでいるのは間違いなさそうだ。操縦席を覗き込むと、三つの画面らしきもの、照準器はガラスの板のようなものがあるだけ。
多数の計器やメーター類が並んでいるものと予想していた彼は少々拍子抜けした。
「この機には速度計が無いのか?」
「必要な情報は三つのディスプレイに表示されます。また、武器システムとヘルメットに装備されたディスプレイを連動させることで、操縦者は目標を見るだけでロックオンが可能です」
「このミサイルを誘導するのにレーダー照射を必要としないのか? 共和国海軍が装備する対艦ミサイルは終始レーダー照射が必要だが」
「そうです」
短く答える山下。それを見たドレイクは腕を組んで考え込んでしまう。
「この機体の最大の特徴は、敵に発見されにくいということです」
「どういうことだ?」
ドレイクは疾風を見つめる。だが彼にはその理由が分からなかった。
バルアス共和国首都タレス付近上空
高度12000m、空中給油機と別れてまもなく1時間が経過しようとしていた。
西岡一馬大尉は、疾風の操縦席から周囲に目を向ける。見渡す限り広がる、何も邪魔するものが存在しない空。
『こちら空中管制機富嶽。ハゲタカ01、偵察目標空域には脅威なし。状況に変化があれば連絡する。以上』
「ハゲタカ01了解」
西岡はゆっくりと高度を下げていく。ここ数日、敵空軍の動きが活発化しつつあり、今後の日本軍全体の作戦行動に影響を及ぼす事が懸念されていた。そこで帝国空軍はステルス機による偵察を行うことを決定する。
「町か……」
西岡は眼下に見える風景に目を奪われた。現代日本ではほとんど見られない風景、未舗装の道、木造の建築物、線路上を煙を出しながら進む蒸気機関車……それらはどこか懐かしく、忘れていた何かを思い出させてくれる。
「敵国の空とは思えんな」
『富嶽よりハゲタカ01、敵機がそちらに向かっている。数は8機、貴機の北西、距離450、速度620、高度7000。見つからないよう注意されたい』
管制機からの通信は、今が戦時であるという現実を西岡に突きつける。
「ハゲタカ01了解」
西岡はすぐにディスプレイを確認する。そこに表示された敵機を示す赤い印……
「単機で相手をするのは賢い選択ではないな」
不可能ではないが、彼の任務はあくまでも偵察だ。無意味な戦闘を行う必要もない。
『ハゲタカ01、やむを得ない場合を除き、武器の使用は許可しない。万が一発見された場合は直ちに安全な空域まで退避せよ
「了解!」
『偵察目標だが、山を越えた先、盆地になっている場所が存在する。敵の極秘基地だ。最初に説明した通り基地は発見されているが、滑走路しか見つかっていない。秘密の格納庫が存在する可能性が高い』
「あれか」
2000mから3000mの山々が連なる山脈を越えると、眼下には長大な滑走路があり、ちょうどレシプロの大型爆撃機が飛び立とうとしていた。
「たしかに……格納庫は見当たらんな」
上空から見る限り、滑走路と管制塔くらいしか見当たらない飛行場。衛星で発見された当初はあまり重要視されておらず、何の障害にもならないと思われていた。
「駐機場は狭いな。しかし格納庫が無いとはな」
西岡は滑走路全体に目を凝らす。
「ん? あれは!」
突如、ただの芝生しか存在しない場所から一機の戦闘機が姿を表す。
「なるほど、巧妙に偽装を施していたんだな」
彼は思いきって高度を下げることにした。幸いなことに、敵はこちらの存在に気付いていない。偽装箇所を確認するために低空を高速で飛び抜ければ、対空砲にやられる心配も無さそうだった。
バルアス共和国
ガドナー盆地
共和国空軍ガドナー飛行場
比較的内陸部に位置し、周囲を山脈に囲まれたこの場所には、共和国南部の空軍戦力の3割にも及ぶ120機の航空機が偽装された駐機場に並んでいた。
ニホン軍の空襲により、タレスやダステリア、バルデラ島などの主要な基地を潰された共和国空軍は、戦力の温存も兼ねてこの場所に戦力の集積を実施していた。
「さすがのニホン軍もこの場所までは来ないだろう。来たとしても、偽装された駐機場までは見つけられん」
レムルス少将は自信ありげに言った。偽装は彼の発案であり、ニホン軍の空襲を恐れた空軍上層部はその案をすんなり受け入れたのである。
「さすがは閣下です。ニホン軍もこれには気付かんでしょう」
その時、共和国空軍の航空機とは違うエンジン音が聞こえてきたが、彼らはとくに気にする素振りは見せない。
「おい、あれを見ろ!」
一人のパイロットが叫びながら指差した先……見たこともない航空機が低空で飛行場の上を飛び去った。
「あれは!」
直後、爆発のような音、襲い来る衝撃波にたまらず地面に伏せる。そんな中、僅かに見えた翼に描かれた赤い丸、それがニホン軍であることを示すものだと彼らは知っていた。
「レーダー員は何をしておった!?」
「まさか、偽装に気付いてはいないだろうか?」
「飛行中の航空隊全機に命令せよ! あのニホン軍機を仕留めるんだ!」
レムルス少将は基地司令部に駆け込む。
「しかし、敵機の位置が分かりません! あのニホン軍機はレーダーで捕捉できていないのです!」
レーダー画面の前に座っていた管制官が戸惑いながら言う。
「そんな馬鹿な事があるか! 我々は幽霊でも見たというのか!?」
「ご自身の目で確認をしてください」
管制官に促され、レーダー画面を確認するレムルス。彼はそこで言葉を失った。
「目で見えるのにレーダーでは捕捉できておりません。航空隊を誘導する前に逃げられてしまいます」
管制官はレーダー画面を見ながら、速度も違い過ぎると付け加えた。よく見てみれば施設の窓ガラスは衝撃波で割れている。
「窓が割れておる……」
レムルスはその場で立ち尽くすしかなかった。
「ハゲタカ01より富嶽、敵飛行場は駐機場が巧妙に偽装されている。100機近くが隠されていると思われる」
『こちら富嶽、それは本当か?』
「近くで見たんだ。間違いない」
『では統合司令部に伝えておく。帰りの燃料は問題ないか?』
「念のため給油を頼みたい」
『よし、では給油機を手配しておく。合流ポイントは……』
大日本帝国
江田島
海軍兵学校
この日、三木は考え事をしていた。彼は早くも夏休みにどうするかを考えていたのだ。そんな状況のため、何をするにも身が入らない状況であった。今のところ一号生徒には咎められていないため、やることをやっておけば大丈夫だと思い始めているのも事実だ。だがそれも長くは続かなかった。
「待てーい!」
階段で呼び止められた三木は、ハッと我に返る。階段を駆け上がってはいたが、二段ずつではなく一段ずつ上がっていたことに気付く。
「貴様たるんどる! 兵学校の階段は二段ずつ駆け上がることを忘れたか」
そう言ったのは一号の野口生徒だ。
「はっ! うっかりしておりました!」
「貴様、娑婆っ気が抜けとらんようだな。俺が気合を入れてやるから覚悟しろ!」
それを聞いた三木は、背中に冷たい汗が伝うのを感じる。
「両手を後ろに回して足を開け! 歯を食いしばれ!」
身構える三木の左頬に野口生徒の右拳が叩き込まれるが、その一撃に耐えきれず倒れてしまう。
「立てい!」
即座に立ち上がった三木だったが、次は右頬に野口生徒の左拳が叩き込まれ、再び倒れてしまった。
「分かったか!」
倒れた三木にそう言うと、野口生徒は立ち去った。
「三木、大丈夫か?」
その様子を近くで見ていた石村が声を掛ける。
「あぁ、大丈夫だ」
「三木、今回は殴られても仕方ない。最近の貴様はたしかに様子が変だったからな」
「自分でも分かってる。目が覚めたよ……しかし痛いな」
三木は頬を押さえながら言った。
その夜、三木は哀愁漂う巡検ラッパを寝台の上で聞きながら、まだ痛む頬を気にしていた。だが近付いてくる足音が聞こえたため寝たふりをする。どうやら四号生徒の服を床に投げ出しているようだ。一通り投げ出したのか、足音は遠ざかっていった。
三木は自分のチェストの上を確認する、案の定服は床に落とされていた。周りの四号生徒たちは静かに起き出して服をたたむ。
服をたたみ再び布団に潜り込んだ。入校してから今日まで毎日同じような感じだ。だからこそ夏休みに故郷へ帰ることを考えてしまう。
こういうときは殴られた頬がやけに痛む。そこへ再び近付いてくる足音を聞き、三木は目を閉じた。足音は自分の寝台の横で止まったように感じる。
「何も気にせず寝ろ。明日は明日の風が吹く。山本元帥も、今の古村長官も、四号生徒時代があったんだ」
足音の主は三木の布団を掛け直しながら言う。それは明日も頑張ろうと思わせてくれる、救いの言葉に聞こえた。