第四十三話
4月28日
バルアス共和国
首都タレス
旧大統領宮殿
よく手入れされた庭園、かつて国王が自分の飼っていた動物を放していた小さな森、巨大な池の中央付近には小島が浮かび、王政時代には数千人規模の兵が駐屯していた古い兵舎は今となっては誰も使わず朽ち果てていた。
そして数日前、共和国を震撼させたあの事件が起きる。当初は大統領自身が自決したものだと思われていたが、時間の経過によって徐々に真相が明らかになる。陸軍総司令部のリョセフ少将が鎮圧に動こうにも、彼が動かすべき第6師団をはじめとする首都近郊に駐屯するほとんどの部隊が反乱に加勢していた。第6師団に至ってはダステリアに入ることなく兵力の半数以上を首都に戻して警備にあたっている。
「デネロー少佐! またリョセフ少将が来ておりますが、いかがしますか?」
部下に声を掛けられ、デネロー・ラルトは振り向いた。その顔は、また来たのかと言いたげな感じだ。
「我々はリョセフ閣下を受け入れることはできん。それより、レッゲルス閣下を早く見つけ出さねば」
「レッゲルス閣下は何処に……」
「今はおとなしくしているニホン軍だが、動き出すまでには時間が無いだろう」
「はっ! ニホン軍の偵察機は、多い日には10回くらいタレス上空を飛行します。それも、我が軍を嘲笑うかのように」
部下は遥かな空の高みを見つめる。その視線の先には、ニホン軍の偵察機が我が物顔で飛行する姿があった。
「やれやれだな。俺達はニホン軍のことを詳しく教えてもらってない。上層部ですらニホンの実態を知っている人間は少ないだろうな。だが、レッゲルス閣下は早い段階でニホン軍の力を冷静に分析していた。そして情報部からもニホンの強大な軍事力を甘く見てはならないと……ニホン陸軍は104個師団186万人の兵力を持ち、ニホン海軍は我が共和国海軍を遥かに上回る数の艦艇を保有するのみならず、戦闘機600機以上を持つと言われ、ニホン空軍は2000機にも及ぶ作戦機を持っている。全てが事実なら、共和国はとんでもない国を相手に戦争をしていることになる」
デネローは深刻な表情で呟いた。昨年、情報部からもたらされた情報はそれまで何も知らなかった彼らに衝撃を与えた。海戦での圧倒的な敗北、上陸作戦の失敗、空軍による大規模な攻勢は大損害を被り失敗、バルデラ島陥落、ダステリア陥落……それらは情報部の言っていたことが全て事実であるということを物語っていた。
「信じがたい話ではありましたが、今となっては信じるしかありませんな。それより少佐、ニホンを見たことがあるという男がいるらしいです。なんでも、ニホンに関する情報は全てその男が持ってきたとか」
「なに! 本当かそれは!?」
「総司令部で立ち聞きした程度ですが、どうも軍刑務所に入っているとか」
「なるほど、反戦主義者ということか。よし、会いに行くしかあるまい。行くぞ」
そう言うとデネローは庭の駐車スペースに停車していた装甲車に駆け寄る。
「軍曹、ちょっと頼みたいことがあってね」
ハッチから顔を出していた操縦手に声を掛ける。
「はっ! 少佐殿の御用件とあらば!」
「軍刑務所まで乗せてくれ。普通の車で行けば命を狙われる可能性がある」
「そういうことでしたら、あれが一番安全かと」
軍曹が指差す先、この装甲車よりも巨大でドッシリとした車体……共和国陸軍主力戦車のトーレス戦車である。
「いやだめだ。目立つし遅い! とにかく軍刑務所まで運んでくれ」
「はっ! では行きましょう!」
デネローらが乗り込むと装甲車は急発進する。門番の兵は慌てて門を開き、近くに立っていたリョセフ少将は急な出来事に腰を抜かしていた。
「ハッハッハッ! 見たかリョセフ少将の顔を!」
デネローが思わず大笑いする。
「い、いえ。ですが少佐、後ろから奴らの車が追いかけてきますよ!」
「なに?」
小窓から後ろを確認していた部下が黒塗りの将官専用車を指差していた。
「どうやら怒らせてしまったらしい」
「少佐殿、いかがしましょうか」
「そうだな、この先に池があるだろう。水泳の季節には早いが、リョセフ少将には水浴びでもしてもらおう。俺はやらんが」
デネローは口元に笑みを浮かべながら言った。
「了解!」
その意図を理解したのか、軍曹の口元にも笑みが浮かぶ。
「くそっ! 少佐のくせに調子に乗りおって!」
リョセフは車の後部座席で叫んでいた。
「運転手! あれを止めろ! 今すぐに追いつけ!」
「し、しかし……相手は装甲車ですぞ! 不用意に近付けば弾き返されます!」
「とにかく止めればよいのだ! あの男は裏切り者なんだからな、今しか消すチャンスは無い!」
「と、とにかく近付いてみましょう!」
運転手は一気にアクセルを踏み込む。それに呼応して大排気量を誇るエンジンは、力強く車を加速させた。
「あと少しだ!」
「なっ、閣下! あいつ急減速して」
「ぬぅ!?」
目の前で乗用車よりも大きな車体を横向きにして停止する装甲車。ブレーキが間に合わないと判断した運転手はハンドルを切って横に逃れようとするも、その先の池が目に映り絶句した。
ドッボーン……
「はぁ、本当に飛び込みやがった」
あまりにも見事な飛び込みを見て、デネローは苦笑いを浮かべた。
「リョセフ閣下お付きの運転手は相当なマヌケとみた!」
「おい、出てきたぞ!」
デネローは池を指差して言った。その先にはずぶ濡れの姿で車の上に這い上がろうとするリョセフと運転手の姿があった。
「よし、さっさとここを離れるぞ!」
「ま、待て! 待たんか貴様ら!」
リョセフはやっとの思いで車の上に這い上がる。
「ただじゃ済まさんぞ! 覚えておけ!」
既に走り始めた装甲車に向かって彼は叫ぶ。
「少佐殿、リョセフ少将のあの姿見ましたか? なんとも情けないものですな」
「あれでもっと怒っているに違いない。帰り道は別の道を通るとしよう」
「ところで少佐。軍刑務所に投獄された者達は皆反戦主義者だということですが、そのような理由で刑務所に!」
「全ては大統領の楽観、ニホンに勝利して共和国の勢力圏を広げるという夢想によるものだ。だが海を越えての侵攻能力が著しく低い我が軍には到底無理な話なんだ」
「まさか本当にカール大陸を占領するつもりで」
「そうだ。大統領にとって反戦を叫ぶ軍人は邪魔者でしかない。黙らせるには投獄するのが最も簡単な方法だった。今現在、共和国全土で4万人が刑務所に入れられてるんだ」
座席に座ったデネローの表情は険しい。反戦主張の強い軍人は将官であろうと関係なく投獄されてきたのだ。
「では、彼らを解放するのも我々の役目ですな」
「あぁ。だが今ではない」
デネローは静かに呟くと目を閉じた。
「到着したら起こしてくれ」
バルアス共和国
バリエラ東方沖400km
憎らしいほどの晴天、日中の気温はまだまだ低いが、それでも真冬の寒さから比べればそれも気にならない。そんな中、共和国海軍大尉のメイヤーは新たな配属先となった巡洋艦の甲板から空を見上げていた。
彼が乗艦するフリューダー級8番艦レスターは対空、対水上レーダーが増強されており、艦橋やマストに増設された電子機器が古めかしい外観とのギャップを感じさせる。
「メイヤー大尉、ここにいたのか」
「副長、やはり巡洋艦は安定感があっていいですな」
「そうだな。それより大尉、君はニホン海軍について話を聞いているようだが」
「私は実際にニホン艦隊との戦闘に参加しました。一方的とは、あんな状況なんだと実感しましたよ」
「勝てるか?」
「なっ……」
副長の突然の問いにメイヤーは少しの間黙りこむ。
「ニホン海軍は我々とは違います。今まで近代化を進めて先進海軍と名高い我が共和国海軍よりも、さらに先を行ってるのがニホンなのです。造船技術、ミサイル技術、高性能な電子機器、我々の知らない未知の技術……」
「未知の技術とは何のことだ?」
メイヤーは空を見上げ、そして指差した。
「空に何かあるのか?」
「ニホンは、宇宙空間に目を持っているのです」
「宇宙空間だと!? 月や太陽や星座が存在する空間に目を持っていると」
副長は驚きの声を上げる。
「我々は常に見張られています。今この瞬間にも」
「この艦隊の動きはニホンに気付かれているということか。恐ろしいやつらだ」
「上だけではありません。水中にはもっと恐ろしいものが潜んでいます。主要な港付近には必ず潜んでいると分析されています」
「タレス軍港を攻撃したというあれか。主兵装は魚雷、水中から静かに忍び寄り、ノーガードの横腹を狙って……」
「おそらく、この艦隊は出港したときからずっと尾行されています」
「ふぅ、鳥肌もんだよ。潜ったまま何日間活動できるんだ? さすがに1ヶ月は無理だろう?」
「補給の問題もあります。定期的に母港に戻っているでしょう。ですが我々は水上を航行する彼らを見たことがありません」
「そうか、この海のどこかにいるんだな」
副長はなんとなく後方に目をやった。しかしそこには静かな海が広がるばかりであった。
伊603はバルアス艦隊出港のときから全く気付かれずに監視を続けていた。潜望鏡からバルアス艦隊を見続けていた中田は、潜望鏡から離れると腕を組んだ。
「艦長、どうかなさいましたか?」
「いや、見られた気がしただけだよ」
「まさか、一度も浮上しておりませんし、あちらさんが気付くようなこともやっておりませんが……」
「うむ。なんとなくだよ。さて、連合艦隊司令部は何も言ってきてないか?」
「いえ、まだ何も」
「この艦隊は見過ごしても問題ないか」
「艦長、司令部より入電です!」
通信士が中田のもとへ駆け寄る。
「読んでくれ」
「は! 宛、伊号603。哨戒活動を終了し帰投せよ。発、連合艦隊司令部」
「どうやら休みを貰えるようだな。よし、帰るぞ!」
大日本帝国
神奈川県横須賀市
帝国海軍横須賀工廠
「どうぞこちらへ」
工廠の案内を担当する工員が、海軍の佐官に伴われた外国人を引き連れて通路を進む。
「この工廠では我が海軍の主力艦艇を多数建造してきました。数百トンの誘導弾艇から十万トンを超える大型空母まで様々な艦種を建造可能です」
「なるほど、この巨大な壁の向こう側ではどんな軍艦を建造しているのか……」
そう言ったのはバルアス共和国海軍のドレイク中将だった。彼は収容所でニホンの視察を要請したところ、あっさりと認められる。特別機で昨日厚木に降り立ち、帝都東京を案内され、巨大な建造物が建ち並ぶ都市を見て驚いた。
「昨日あれだけのものを見せられたんだ。もう驚くことはあるまい」
「閣下、これから建造中の艦艇を見ていただきます。中は危険ですので我々から離れないでください」
「約束しよう」
「では、行きましょう」
工員が鉄製の扉を開く。そしてすぐに目に飛び込んでくる壁のような鉄の塊。
「これは26号艦、つまり、紀伊型2番艦の船体ブロックの一部です」
「これが船体に……?」
「はい。船体をいくつかのブロックに分け、別々に建造します。ブロックを繋げていけば船体の完成です」
「驚いたな。工期はどれくらいに?」
「26号艦は約2年半での就役を目指して建造を進めています。この場所では船体ブロックを建造していますが、別の場所には一部完成した船体があります」
「それも見てよいかな?」
「もちろんです。こちらです」
「ありがとう。ところで26号艦とは、どんな軍艦になるのか聞いてもよろしいか?」
ドレイクは気になったことを口に出してみる。
「26号艦は紀伊型2番艦、戦艦になるわけです。51cm主砲を12門備えた巨大戦艦になります」
「ご、51cm!? そんな大砲が存在するのか」
「はい。1番艦紀伊は既に戦列に加わっております」
「ところであれは?」
もう驚いても仕方ないと思ったドレイクは、分厚い鉄の板を指差して聞いた。
「26号艦に装着する装甲です」
「あれが装甲!? 厚さ40cmはある」
「戦艦ですからね。相応の防御力は確保しなければなりませんので」
「凄い。こんな分厚い装甲を撃ち抜くのは至難の技だ」
「船体の重要防御区画はこのような装甲で覆われます。場所によって厚さは違いますが」
「……」
もう驚くこともやめてしまったドレイクの工廠見学は、まだまだ続く。