第四十二話
4月24日
バルアス共和国
首都タレス
『防衛大臣暗殺される!』
『大統領自決か!?』
『決起将校ら、政府の中枢を掌握』
『戒厳令下の首都』
新聞の一面を飾る様々な文言、喫茶店でそれを見たマーティン元帥は額を押さえる。
「何が起きたというのだ」
窓の外に目をやれば、多数の陸軍兵士が街道を行き交っている。
「元帥、この騒動を巻き起こした人物が分かりましたよ」
情報部のアナト大佐がマーティン元帥の向かい側に座りながら言った。
「そうか。で、誰なんだ?」
「陸軍少佐、デネロー・ラルト。共和国軍士官学校を首席で卒業した秀才です」
「秀才ゆえに、こんな凶行に及んだというのか」
マーティン元帥は少々驚いた様子で言った。
「しかしこれは我々にとって好都合ではないですか?」
「そうだな。だが、事実上無政府状態の我が国をニホンは相手にしてくれるか……」
「その点が一番心配ですな。ニホンとの交渉の場を持てるかどうか」
「最近のニホン軍の動きは?」
「ダステリア地方を占領したニホン軍に目立った動きは無いようです。しかし空軍の偵察機からの情報では、大規模な輸送船団を発見したと。また、バルデラ島南西500km地点の環礁で巨大な戦闘艦2隻が補給を受けているのが発見されています」
「ニホン軍は小拠点を多数用意してるようだな。補給のためにカール大陸まで戻る必要がない」
「環礁付近の島はおそらく要塞化されるでしょう。環礁には数えきれない数の補給艦が停泊しております。私も上空から撮影された写真を見ましたが……」
そう言って1枚の写真を取り出すアナト大佐。かなりの高度から撮影されたものではあるが、巨大な2隻の戦闘艦と、環礁内に停泊する無数の補給艦と思われる艦影を確認することができた。
「ニホン軍の補給艦隊か? あの2隻の巨艦は共和国の間近に居座っているわけだ。しかし、ニホン海軍の主力艦隊はどこへ行った」
「彼らは航空母艦を中心とした50隻を超える艦隊です。行方が分からないなど考えられないのですが……私が思うに、カール大陸近海にいると」
「なるほど。ニホン軍は今後どのような作戦行動をとるのか」
「おそらく、我が軍を完膚なきまでに叩きのめす機会を待っているのではないでしょうか。彼らは戦力が整い次第、首都を目指して進軍を開始するつもりかと」
「現段階でのニホンの兵力は?」
「マルセス少佐の情報に間違いがなければ、今現在10万を超える大軍がダステリアに上陸したものと思われます」
それを聞いたマーティンは少しの間黙りこんでしまう。10万という数字は共和国陸軍の総兵力に比べれば少ないが、決して楽観できる数ではない。一度進撃を開始すれば、強力な機甲師団を前面に押し出して共和国陸軍の反撃を難なく押し退けてしまうことだろう。
「元帥閣下、顔色が悪いようですが」
アナトは黙りこんだマーティンを見て声を掛けた。
「いや、すまんな。しかし……ニホンとの停戦をどのようにして達成するか」
「とにかく、デネロー・ラルト少佐と接触しなければ始まりません」
「うむ。レッゲルス大将にも伝えておこう」
「問題なのは陸軍司令部のリョセフ少将です。あの男は戦争継続を支持するグループの1人。愛国派を自称してはおりますが、彼らに任せておけば共和国は亡国の道を歩むしかないでしょう」
アナトは手元の資料を見ながら説明する。
「その愛国派とやらは、どの程度の勢力なんだ?」
「愛国派は北部軍管区の陸軍将校を中心とする一派です。彼らは6万の兵力を抱えています。独断で動く可能性があるかと」
「しかしリョセフはタレスの出身ではなかったか?」
「とんでもない。彼は北部レデロン地方……つまり、旧レデロン王国の出身です」
「なに!? あの国は共和国に平和的に併合されたはずだ! 恨みを買うようなことはしていないはずだぞ」
「いえ元帥閣下、あの国にとって併合とは、かなりの屈辱だったのでしょう。30年間反撃の機会を窺っていたのです」
レデロン王国は過去に行われた統一戦争でバルアス共和国に併合された。表向きは平和的に併合されたことになっており、バルアス人もそれが事実であると信じていた。
「併合が間違っていたと……私はその頃、共和国海軍の一中尉に過ぎなかった。そんなことは何も考えていなかったんだが。レデロンは力ある者に屈したんだな。しかしなぜ今さら」
「それはニホンとの戦争が関係しているかと。戦争による共和国の弱体化を狙っているとしか思えません。現に、北部軍管区の部隊は戦争が始まって以来一度も戦闘に参加しておりません。最初は気にならなかったのですが、調べていくうちに色々と分かってきました」
「大統領はいなくなったが、まだ堂々と動くには危険が多すぎる。とにかくリョセフの動きには注意してくれ」
「もちろんです」
11時00分
大日本帝国 東京
首相官邸地下会議室
「皆揃ったようだな」
山村総理が集まった面々を見渡す。そこには外務大臣、陸海空軍の各大臣、統合司令部陸軍部と海軍部の総長等の重要人物が集まっていた。
「さっそくだが始めるとしよう。今日ここに集まってもらったのは、今後の対バルアスについての最終的な方針を決定するためである」
山村は集まった面々の表情を確認する。
「昨年夏より突如始まったバルアス共和国との戦争だが、陛下は我が帝国の損害のみならず、敵であるバルアスの損害にも心を痛めておられる。そして戦争の早期終結を望んでおられる」
集まった面々は立ち上がり、姿勢を正してその言葉を聞いていた。
「我々は、バルアス共和国に対して幾度となく交渉の打診をしてきた。しかしバルアス共和国とは国交がなく、第三国を通じての交渉打診しかできていない。そしてバルアス共和国はそれを全て蹴っているのが現状だ」
「あの国との外交ルートを確保するのが重要ですな」
東外務大臣が呟く。
「戦争をしているが、我々も相手のことをほとんど知らない。知っているのは軍事に関してだ」
長井海軍大臣が渋い顔を見せる。
「バルアス共和国侵攻作戦は次の段階に進んでいる。来月には前線の部隊が進撃を開始する。陸軍の作戦については作戦本部が作成した台本通りに進めていきたいと考えていますが」
統合司令部陸軍部総長が首相の顔を窺いながら言った。
「それは分かっている。何もなければ作戦変更の必要はない」
「私としましては重爆による大規模爆撃を提案したいと考えておりますが」
空軍総司令真中大将が腕を組んだまま言う。
「真中大将、大陸に展開した重爆50機が爆弾を満載したら3000t、いくら精密爆撃が発達した現代でも、それがどれほどの被害をもたらすか……君なら容易に想像できるだろう?」
「はっ……」
真中大将は首相の言葉を聞いて、3000tの爆弾による被害を想像したのだろうか。
「今こそ連合艦隊の総力をもって、バルアス海軍の戦力を徹底的に潰すべきです! 帝国海軍の力を見せつけバルアスの戦意を挫く! 維新より養ってきた敵を威圧する力を見せつけるときなのです!」
海軍部総長、稲田大将が力強く言い放つ。
「総長、今は落ち着いて話し合う時間だ。その話は後でゆっくりしようじゃないか」
長井海軍大臣は立ち上がった稲田を座らせる。
「しかし今後の作戦を遂行するにあたっては、海軍さんとの共闘は不可欠。よろしく頼みますよ」
「もちろん、作戦遂行のためならば海軍は協力を惜しみません」
「とにかく、方針の変更はない」
4月25日 6時00分
バルデラ島南西500km
鳴り響く起床ラッパの音色。
続いて聞こえてくる「総員起こし!」の声。
見ると環礁内に停泊する全ての艦船で同じことが行われていた。
上甲板には乗組員が続々と出てきている。
環礁内には戦艦大和、紀伊がその巨体を落ち着かせており、補給艦が寄り添うように横付けされている。補給もあと1週間程で完了する見込みだ。
「海軍体操用意!」
停泊中の各艦の甲板では上半身裸の乗組員たちが整列して、号令に従って体操を始める。気合の入った声により環礁内は忽ち活気に満ちていく。
「その場跳び、はじめっ!」
その光景は巨大な戦艦紀伊の上でも見られた。海兵団で教育を受けてきた新兵も、長年艦船勤務を勤めあげてきた古参兵も皆同じように行う。一般人から見ればとてつもなくハードな体操だ。
だがそんなハードな体操も毎日続けることで体力の維持、更なる向上に繋がっているのも事実であった。
「誘導振、はじめっ!」
体操は約15分から時には30分程度続く。
体操も終わり、その後は着替えて軍艦旗掲揚が行われる。ラッパ『君が代』と共にゆっくりと掲揚される軍艦旗。その間将兵は軍艦旗に敬礼し、作業中の者も例外なく艦尾の方に正対する。
巡洋艦大淀の艦内では、朝食を終えた水兵たちが訓練に励んでいた。
「敵誘導弾が右舷中央付近に命中! 火災発生、消火を急げ!」
士官が大声で叫ぶと消火ホースを持った数人の水兵が走りよってくる。
「ほらほら早くせんか! 破口から浸水だ! 防水区画を閉鎖せよ!」
それを聞いた水兵たちは急いで水密扉を閉めようとするが。
「馬鹿者! ホースが挟まっておるぞ!」
「敵戦闘機、9時方向、仰角30度!」
艦橋では見張り員が声を張り上げる。
「左対空戦闘! 9時方向、仰角30度、敵戦闘機!」
「主砲、撃ち方はじめ!」
主砲射撃指揮所で砲術長が引き金を引く。だが訓練のため実際には射撃されない。
「敵機撃墜!」
訓練はまだまだ続く。
「艦長! 今日も釣りをやるのでありますか?」
下士官が訓練の様子を見守っていた宇山大佐の近くまで来て言った。
「そうだな。午後からやろうじゃないか」
宇山は少し考えてから言う。彼も釣り好きの1人だ。
「では、今日こそ大物を釣り上げましょう!」
「晩飯におかずを追加しようじゃないか」
宇山は笑う。
「は! では今日は艦首でやるよう副長に頼んでおきますよ!」
そう言って下士官は走り去っていく。宇山はその背中を静かに見送った。