第三十八話
4月17日 0時25分
バルアス共和国
ダステリア地方
バルアス共和国陸軍第11連隊は、ここダステリア地方に存在する海岸線の防衛が主任務だ。彼らの後方にはダステリア飛行場を防衛するための第9連隊が控えており、この地方全体の総兵力は1万人に達する。
第11連隊長のロデアン大佐は本来なら寝ている時間にも関わらず、今日に限って叩き起こされていた。遡ること5時間前、ダステリア飛行場が爆撃を受けたことが原因だった。
「ダステリア飛行場の航空戦力は全滅か……」
ロデアン大佐は飛行場からの電文を何度も読み返すが、何度見ても全滅という文字が目に飛び込んでくる。
「なぜだ……なぜこんな場所に攻撃を仕掛ける!」
「連隊長、第9連隊からの連絡が途絶えておりますが、いかがいたしましょう」
近くに立っていた部下の少佐が、幾分焦りの色を滲ませた表情で問い掛ける。
「放っておけ。飛行場が爆撃を受けて混乱しているのだろう。だが……そうだな、念のため呼び出し続けてくれ」
「はっ!」
少佐はロデアン大佐の言葉を聞くと足早に部屋から出ていった。
「しかしニホン軍め。貴様らは何を考えておる」
彼はニホン軍の意図を掴めないでいた。ニホン軍は首都タレスへの直接上陸をする可能性が高いと分析されているし、彼自身もそう思っていた。
「大変です連隊長! 第9連隊が敵の攻撃を受けているとの連絡が」
そう言って部屋に入ってきたのは、先程出ていった少佐だ。
「なんだと!? 9連隊も爆撃を受けていると!?」
「いえ、ニホン軍の歩兵部隊から攻撃を受けているようです!」
「ニホン軍の歩兵だと!? どこから来たんだ!」
ロデアン大佐は信じられないといった表情で少佐に迫る。
「そ、それがはっきりしないのです!」
「上陸されたという情報は入っていないぞ。何かの間違いではないのか?」
「既にかなりの被害が出ているようです。こちらから増援を送るべきです!」
「どこから来たか分からんのにか!? 今すぐに海岸線の防備を固めなければ……」
「連隊長、戦闘機パイロットが脱出するとき、パラシュートを使いますよね」
「それがどうしたって……」
そこでロデアンはあることに気付いた。
「まさか……」
「ニホン軍は空から歩兵を送り込んだのです! 9連隊の被害から察するに、敵は1個師団規模かと思われます」
「1個師団を空から送り込んだのか……? そんなことは信じられんが、海岸線の防備はそのままに、予備部隊を増援として派遣する」
「ではすぐに準備させましょう。予備部隊1500人を9連隊の支援に回します」
3時45分
飛行場付近まで進出した第1即応連隊は、飛行場に臨時の司令部を置いていた。周辺の敵はほぼ掃討され、残るは海岸へと続く道中に存在する敵陣地のみだ。敵戦車部隊は海軍航空隊により無力化され、残敵掃討に向かった小隊も合流しつつあった。
「小隊長、捕虜でもう歩けないと言う者がいます」
安田上等兵は、小休止で休む山口少尉に困った顔で言った。敵戦車部隊は到着した時には大損害を受けており、僅かな生存者を捕虜として一緒に飛行場へ向かっていたのだ。
「あと少しなんだが……仕方ない、毛布を使って二人で運べ」
山口少尉は背嚢を指差して言う。中には毛布も入っている。
「は!」
安田は座っている捕虜の近くまで行くと、自身の背嚢から毛布を取り出す。
「もう少しの辛抱だ」
敵兵士は不安げな表情で安田を見上げる。安田よりも若く、階級もそれほど高くはなさそうだった。
「ちゃんとした治療は飛行場に着けばできる。その足では辛いだろうが、そこまで堪えてくれ」
「私は、トレイス・レーデン、共和国陸軍二等兵」
彼は痛みに耐えながら言った。
「無理して喋らんでもよい」
「小休止終わり!」
山口少尉の掛け声で、再び飛行場へと続く道を歩き始める。それは疲れきったバルアス兵にとっては辛いものであり、よく鍛えられた日本兵にとってはいつもの訓練以下のものであった。
「あと少しだ! 頑張れ」
歩き疲れたバルアス兵に肩を貸す日本兵もいた。
「トラックがあれば楽なんだが。贅沢は言っておれんな」
「貴様がトラックみたいなもんだ」
小隊の中でも一際大きな男である谷口上等兵に対して川原軍曹が言った。
「軍曹、それを言わんでください。私も気にしているのであります!」
「貴様なら戦車も引っ張れるだろう?」
「さすがの私でもそれは無理であります……」
「ニホン兵はこんなやつばかりなのか?」
毛布を簡易の担架として運ばれるバルアス兵が安田に問い掛けた。
「訓練じゃ冗談も言えんからな。敵が近くにいないときと、兵舎の中ではこんな感じだ」
「ハッハッハッ、面白そうだな」
「おふざけが過ぎると少尉殿にしごかれるから気を付けたほうがいいが」
「安田! 何か言ったか?」
「い、いえ! 何も言っておりません!」
ダステリア飛行場
第1即応連隊臨時司令部
「連隊長、敵の増援が第三地点に進出しつつあり。第二、第七小隊はこちらへ向かっております」
「第三地点を包囲している部隊を後退させろ。あと2時間後には上陸作戦が開始されるぞ」
木村大佐が時計を見ながら言った。今頃沖合には味方の大船団が到達しているだろう。
「では、直ちに後退させます」
「上陸が始まれば撤退する敵を迎え撃つことになるだろう。補給物資もこの飛行場に投下される」
「上陸部隊には戦車100輌が含まれています。また、海軍は大型の強襲揚陸艦を投入して上陸船団に随伴させています」
「あれは空母みたいなもんだな」
木村大佐が言う通り、海軍の強襲揚陸艦は全通甲板とカタパルトを備えた、まさしく航空母艦であった。戦闘機烈風を10機搭載し、大型から小型の各種上陸用舟艇と、戦闘ヘリや輸送ヘリ、車両、兵員2000人を積載可能な艦だ。大型で、建造に手間が掛かるため数は多くないが、今回の上陸作戦には2隻が投入されている。
「たしかに、搭載機数こそ少ないですが、あれは空母ですな」
「すまんが少々仮眠をとる。何かあったらすぐに起こしてくれ」
「は! ごゆっくりどうぞ」
5時40分
ダステリア地方
海岸線防御陣地
第11連隊長ロデアン大佐は、頭を冷やそうと外に出た。潮風が心地よい……一部の見張りを除いてほとんどの兵士が寝ているせいか、海岸陣地は恐ろしく静かだ。
「連隊長、おはようございます」
彼に朝の挨拶を送ってきたのは見張りをしている若い兵士だった。
「どうだ、異常はないか?」
「今のところ異常はありません。ところで連隊長、ニホン軍が後方に出現したというのは本当でしょうか?」
「あぁ、増援に向かった部隊が確認した。第9連隊は兵力の半分を喪失し、我々11連隊の指揮下に入ることになったよ」
「ニホン軍は……どこからでもやって来るのですね」
若い兵士は恐ろしげな表情を浮かべる。彼だけではない、その事実を知った将兵は皆ニホン軍を恐れていた。
「タレスの総司令部に増援を寄越すように言っといた。だが、到着までは1日掛かるだろうな」
「それまでの我慢ですね」
そのとき、一人の見張り員が必死の形相で駆け寄ってきた。
「た、大変です! 海が!」
「なんだ! 海がどうしたんだ!?」
小高い砂丘の向こう側を指差して肩で息をする兵士に問いただすロデアン。
「見ていただければ……」
「何かあると言うのか?」
そう言って砂丘の頂上付近に近付いたロデアンは絶句した。海を埋め尽くす船、船、船……いったいどれほどの数があるのか、彼は数えようとも思えなかった。
「連隊長! どうされたのですか」
「そ、総員戦闘配置につけ! 急げ!」
「はっ? はい!」
突然の命令に慌てて司令部に入っていく部下の姿を見送ると、ロデアンは再び海を見る。
「まずい、まずいぞこれは……挟み撃ちに」
「連隊長……ミサイルが飛んできます!」
「なっ!?」
「て……敵戦闘機多数、向かってきます」
「くそ! 対空戦闘用意だ! 海岸砲は敵を……」
ドォォォンという爆発音、それは海岸砲がある方角から聞こえてきた。
「海岸砲陣地が……潰されました」
「くそったれが!」
「物凄い速さで突っ込んでくる舟艇があります!」
一人の兵士が海上を指差して叫んだ。その場にいた者は全員そちらを見て、ある者は絶句し、ある者は後ずさりした。
後部でプロペラを回し、船とは思えないスピードで突っ込んでくるその舟艇は、砂浜にそのまま乗り上げてきた。見れば奇妙な形をしており、バルアス共和国には存在しないタイプの舟艇であるのが分かる。
「おい……あれ」
見たこともない舟艇から、見たこともない戦車が降ろされる。その光景は海岸のあちこちで繰り広げられていた。
「トーレス戦車よりもデカイ!」
「そんなこと言ってる場合か! 早く迎撃しろ!」
「対戦車砲! 早く用意しろ、あの戦車を潰せ!」
対戦車兵が35mm対戦車砲に取り付き、砲を旋回させる。
「急げ急げ! やられちまうぞ!」
漸く旋回を終えた対戦車砲の内の一つがニホン戦車に狙いをつける。
「撃て!」
号令と共に撃ち出された35mm砲弾がニホン戦車に向けて飛翔する……ガンッ……
「嘘だろう……」
あまりにも無力。あろうことか砲弾を弾き返してしまったニホン戦車に、忽ち恐怖に陥る対戦車兵達。
「ば、化け物だ! 逃げろ!」
トーレス戦車より一回り以上巨大なニホン戦車は大馬力ディーゼルエンジンに物を言わせ、容易く砂丘を乗り越えてくる。
「おい貴様ら! 逃げるな!」
「だめです連隊長……手遅れです」
海岸線には横一杯に広がって迫り来るニホン軍の上陸用舟艇、砂浜には多数の戦車が揚陸され、海岸陣地を蹂躙しようとしていた。
「くそ! もう陣地が抜かれてしまうのか!」
「連隊長……総司令部より、第9及び第11連隊は最後の一兵まで戦闘を継続せよとの命令が……」
司令部から出てきた部下が、顔面蒼白でロデアン大佐に報告した。
「なに?」
バルアス共和国
首都タレス
共和国陸軍総司令部
「閣下、ダステリアに展開する第11連隊よりニホン軍上陸の緊急電が!」
「遂に来たか! よし、これより司令室に向かう。第9、第11連隊との通信回線を開いておけ」
自室で仮眠をとっていたレッゲルス大将は素早く起き上がると、靴を履き足早に部屋を出る。
「ニホン軍は第9連隊を襲った部隊ではないのか?」
「それが……先程より海岸からの上陸を開始したという連絡が来ております。第9連隊を襲った部隊ではないでしょう。これはニホン軍の主力と見て間違いないかと」
「規模は?」
「詳細は不明ですが……海を埋め尽くす大船団が現れ、あっという間に水際陣地が無力化されたと……おそらく、数万人規模の大部隊でしょう」
「なんてことだ! これでは勝負にならん!」
レッゲルス大将の顔には焦りの色が浮かんでいた。
ーー早く戦闘を停止させなければ!ーー
考え事をしながら歩いていたら、いつの間にか地下の司令室の前まで来ていた。レッゲルスは扉をゆっくりと開く。
「閣下、お待ちしていました。通信回線は開いております」
中に足を踏み入れると、無線機や暗号機、電話機が並び、中心部の衝立には地図が貼り付けられ、ニホン軍の攻撃を受けた地点に赤い印が記入されている。その周囲には総司令部の幕僚が集まり話し込んでいた。
「第6師団にはダステリアへの進出命令を出しました。しかし明朝にならないと到着できません」
「それだけでは足りん。もっと回せないか?」
「何を言う。タレスの防備が手薄になるぞ」
「北部や中部の軍管区から引き抜けんのか!?」
「引き抜いたところで、展開までには1日以上掛かる!」
彼らは総司令部の最高司令官が登場したにも関わらず、今後の作戦について話すことに夢中だ。
「うむ、やってるようだな」
「レッゲルス閣下!」
慌てて敬礼する部下達。
「焦っていては始まらん。一度落ち着いたらどうだ」
彼らに答礼しながらレッゲルスは言った。
「お見苦しいところを見せてしまいました」
「熱心なのはいいことだ。さて……」
「閣下、いかがなさいましたか?」
「私はこの戦争は反対だ」
「な……!」
突然の軍人らしくない発言に、周囲にいた全ての人間が言葉を失った。
「ニホンとの戦争は反対だと言っている。君らはどうなんだ?」
「何を仰るのですか!? もうニホン軍は上陸しているのですよ!」
「この結果を誰が惹き起こしたのか……君らは分からんのか?」
「どういうことでしょう? まさかニホンに恐れを抱き、反戦を叫ぶ反逆者とはレッゲルス閣下……あなただったのですか?」
少将の階級章を付けた男が立ち上がった。
「私は探していたのですよ。反逆者を」
「何のことかな? リョセフ少将」
「ニホンとの戦闘を避け、早めに和平を結ぶ……随分とこの国を愛しているとみえる。たしかにそれも大事かもしれませんな」
「そうだ。ニホンとの戦争は、長引けば長引くほど悪影響しか及ぼさない。共和国が滅びるぞ!」
レッゲルスも立ち上がり、リョセフ少将の前に進み出る。
「この国はまだ戦えます。必ずやニホンに勝てることでしょう。それをやる前から負けるのが怖いからと、戦闘を避けるというのは共和国陸軍の恥でしかないですな。あなたは戦闘を停止させるつもりだったのでしょう? だがそうはいきませんよ」
リョセフはニヤリと笑った。
「何のつもりだ!?」
「私はあなたを尊敬しています。だから命は取りません。おい、閣下を拘束しろ!」
リョセフが手で合図を出すと、近くにいた兵士がレッゲルスの前に立った。
「閣下……どうかお許しください」
二人の兵士はレッゲルスを拘束しようとする。
「好きにしろ! リョセフ、貴様は共和国国民から一生恨まれることになるだろう。せいぜい後悔することだな」
二人の兵士に両脇を抱えられ出ていくレッゲルスは、リョセフを睨みながら叫んだ。
「邪魔者はいなくなった。通信士、第9、第11連隊に打電」
リョセフは目を閉じて暫く間を置く。
「第9及び第11連隊は最後の一兵まで戦闘を継続せよ。以上」