第三十三話
4月10日 19時15分
バルアス共和国領海内
バルデラ島南東52km
ただただ漆黒の闇が広がるばかりの海原。今日は特に、正午すぎから空を覆う分厚い雲によって月明かりも届かない。
そんな暗闇が支配する海上を突き進む二つの影があった。どちらの影も巨大であり、それがバルアス海軍には存在しない船であることが分かる。
「どうやら航空隊はうまくやったようです」
CICからの報告を聞いた宮野中佐が、窓越しに暗い外を見つめる大和艦長の武田に作戦の第一段階が成功したことを伝える。
「そうか。戦果は?」
「敵バルデラ飛行場ならびにタレス飛行場に対して空襲を実施、滑走路と電探を完全破壊。暫くはバルアス空軍の動きを封じ込めることができそうです。それから電子作戦機と観測機がバルデラ島上空に進出、支援体制は万全のようです」
「うむ。では予定通りバルデラ島南3万mまで進出し、敵の頑丈な陣地を破壊する」
武田は後方2000mを航行する紀伊のことを考える。紀伊が装備する51cm主砲は既に島を射程に捉えているため、いつでも発砲ができるはずだ。
「紀伊は最大射程での発砲をやらないようですね」
宮野は武田の心中を察したのだろう。彼も紀伊の能力をある程度は知っていたが、まだまだその力は未知数であった。
「こちらに合わせたんだろう。紀伊の砲弾が届いても大和の砲弾は届かないからな」
武田は心底残念そうに言った。
「やはり最新鋭の砲は違いますな。ところで、頑丈な地下陣地や要塞まで存在するとは……意外と重要な島なんでしょうか」
「当然だろう。バルアスにしてみれば最前線には違いない。それと同時に我々がバルアスに進出するのに無視できない島だ」
「やはり中継拠点は必要ですな。バルアス側からすれば比較的近いあの島を潰されるのは大きな痛手となることでしょう」
「あぁ。あの島には歩兵が一個師団増強され、魚雷艇も配備されてるようだ。それには注意しなければならん」
「魚雷艇というのが今でも存在するとは……帝国海軍では誘導弾艇に役割が引き継がれましたが」
宮野は不思議そうに言った。帝国海軍の誘導弾艇は魚雷よりも遥かに射程の長い対艦誘導弾を主兵装とした小型艦艇だ。バルアス海軍にも同様の艦艇が存在してもおかしくないと彼は思った。
「彼らの対艦誘導弾は大型で巡洋艦にしか装備できない代物だそうだ。だからバルアス海軍の魚雷艇はまだまだ主力なんだろう。だが、その魚雷艇が多数押し寄せてきたら……そのときは10cm両用砲の出番だな」
武田は大和の艦橋前方、かつて三連装の副砲があった場所を見る。そこには対空戦闘を重視して設計された10cm単装両用砲の長い砲身を確認することができる。最大仰角65度を誇り、発射速度は毎分45発、対空目標のみならず水上を高速で移動する小型船舶すら想定した万能砲であった。
「魚雷艇が多数ですか……想像したくないですな」
「全力で迎撃するしかあるまい。さぁ、もうじき砲撃位置に到達するぞ」
20時00分
バルデラ島
「負傷者の救助を急げ! またニホン軍の戦闘機が襲ってくるかもしれん!」
陸軍の指揮官が大声で叫んだ。今から1時間ほど前に空襲を受けた飛行場や野戦陣地では、陸軍兵士らが負傷者の救助と復旧作業に取り掛かっていた。
「師団長! ここは危険ですから地下陣地で指揮を執ってください」
彼の部下だろうか、陸軍将校が部隊の最高指揮官に懇願する。
「いやだめだ! ニホン軍は必ずもう一回やってくるぞ!? こんな場所に仲間を置いていけるか!」
彼は部下の制止を振り切り、多数の負傷者が横たわる野戦陣地の中へ入っていく。
「師団長……」
救助活動を行っていた兵士が驚いた顔で師団長を見上げる。
「いいから続けたまえ。皆、そのままで聞いてくれ。これより我々は、西にある岩山の洞窟陣地まで撤退する。動ける者は負傷者を担いでいけ」
「し、しかし師団長! この島の防衛はどうするのですか!?」
「黙れ! 死んでこの島が守れるか! 次の攻撃を受けて我々が全員生き残れるという保証はない」
師団長は部下の言葉を一蹴すると周囲を見回した。その場にいた兵士たちは次々と撤退の準備を始め、負傷者に肩を貸す。
「それでいい。生き延びてこの島を守ろう。空軍の連中はどうしてる?」
「基地司令のオルラン大佐は飛行場に残ると言っております!」
「くそっ! 今は時間がない、西の洞窟陣地まで急いで撤退する!」
「はっ!」
共和国陸軍第1師団は西の洞窟へ向けて移動を開始した。彼らは車両や戦車に乗り込み、乗れない兵士は駆け足で洞窟を目指す。
「陸軍は西の洞窟に撤退したようです」
飛行場に併設された兵舎から様子を見ていた男がオルラン大佐に報告する。
「そうか。それが正しいかもしれんな」
オルランは椅子に腰掛けたまま外を見る。
「まだタレスに通じないのか?」
「はっ、先ほどから何度も試しているのですが通じません。電話線が断線しているかもしれませんな」
「レーダーも使い物にならん、電話も無線もだめとなると……おとなしく待つしかあるまい」
「大佐、ニホン軍は撤退したと政府が言っておりましたが……この前の輸送船爆沈、それから今日の攻撃、ニホン軍は決して撤退などしていなかったということです。政府はどうかしてるんですよ」
「君の言う通りだよ。ニホン軍は撤退なんかしていない。奴らは準備していたんだ。かなり計画的な攻撃だったからな。戦闘機を飛ばすには何日か掛かるだろう」
「我々が何もできない間にニホン軍が攻めてくるのですか」
「何もしないわけではないぞ。海軍の魚雷艇が周辺を警戒している。まぁ魚雷艇だけでは限界があるが仕方ないだろう。あとは海軍に任せよう」
オルランは諦めたように簡易ベッドに横たわる。今日のニホン軍の爆撃で疲労困憊の彼は、横たわると同時に猛烈な眠気に襲われた。
「大佐、私は眠れそうにないです」
「無理して寝ることはない……」
そう言ったオルランは何か聞こえた気がして耳を済ました。
「どうかされまし……」
「静かに! 聞こえるだろ?」
「何も……えっ……この音まさか!?」
彼が音の正体に気付くと同時に、それほど遠くない場所に何かが着弾した。
「ミサイルか!?」
「違うな……ちょっと様子を見てくる!」
「危険です大佐!」
「なら一緒に来るか? どうせここにいても危険だからな」
オルランは部下に構わず外へ飛び出した。そして400m離れた格納庫へ向かおうとしたところ、再び音が聞こえてきた。
「どこから撃ってる!?」
そして着弾……グシャッという金属がひしゃげる音と地面が揺さぶられるのを感じる。
「格納庫が!」
「だめだ! 逃げるぞ!」
砲弾の飛翔音は先ほどより増えたのが分かる。それらはほぼ同時に着弾し地面を抉っていく。
「いったいどこから撃ってんだよ!」
「それより早く逃げましょう!」
「兵舎の地下だ! 急げ!」
彼らは兵舎の脇から地下に続く階段を駆け降りる。その先には厚さ2m近い鉄筋コンクリートの天井に守られた戦闘機隊の作戦室が存在し、巡洋艦の砲撃程度なら耐えられる構造になっているはずだった。そう、巡洋艦程度なら。
「ハァハァ……ニホン軍の巡洋艦でしょうか」
「さぁな。しかし艦砲射撃とはやってくれる。だが、巡洋艦の砲撃とはこれほど激しいものか?」
オルランが着弾の度に揺れる照明を見ながら言った。
「これは……20cm砲の着弾はこんなに揺れないはずですが」
部下は室内を見回す。パイロットたちは不安げな表情で天井を見つめていた。地下室を揺さぶる着弾の衝撃は徐々に強くなり、それが近付いてくるのをその場の人間は肌で感じていた。
「ニホンは軍艦に要塞砲でも装備してるのか?」
「まさか……そんな軍艦聞いたことありませんよ」
「なぁ、この天井大丈夫と思うか?」
オルランは天井を見上げて部下に問い掛ける。その直後、ズシンという音と共に天井の一部が崩れ落ちて、近くにいた人間は突然の衝撃で吹き飛ばされ、あるいはコンクリートの下敷きとなる……そして地下室を混乱の地獄に陥れた原因を離れた場所から見ていたオルランは、その視線の先に全長2mを超える太い物体を見出だす……
「逃げろぉぉぉ!」
思わず叫んでいた。だが直後にオルランの視界は真っ白になりそこで意識が途切れた。
振り返るとあちこちから火の手が上がり、もはや復旧は絶望的なほど破壊し尽くされた飛行場の姿が見えた。弾薬庫が吹き飛ぶのも見える……
「師団長、お急ぎください!」
「あぁ」
標高150m付近から海上に目を向ける……遠く離れていても、その発砲炎は確認できた。何かとんでもないものが来たというのは第1師団の将兵誰もが感じていたことだ。
「あの発砲炎、かなりの巨砲ですな」
部下も、しばし立ち止まり海上を見つめる。
「ニホン軍は上陸のやり方を知っている。この砲撃はまだ序盤戦だろう。あのような軍艦が来るとは思わなかったが」
「これじゃ野戦陣地も地下陣地も無事ではないでしょう。あんな砲撃は想定されてません。あそこに残らなくてよかったと思います」
「もし残っていたら骨も残らなかっただろう」
師団長は砲弾が着弾する度に巻き起こる爆発を、無念そうな表情で見つめていた。陣地は悉く破壊されており、ニホン軍が上陸してきたら遮るものがほとんどない平地で迎え撃たなければならない。いまのところ上陸船団らしきものは見つかっていないため、今は休むしかないと彼は思った。
バルデラ島南25km地点
バルアス海軍魚雷艇11号は、今まさに巨大な目標に向かって必殺の魚雷をお見舞いしようとしていた。
「好き勝手にやりやがって! 今その土手っ腹に魚雷をぶちこんでやる!
「て、艇長! 本当にあれを狙うんですか!? あんなデカイ奴は見たことありません」
若い乗員が青ざめた顔で艇長に訴える。しかし艇長はそれを咎めたりしない。あの巨大な軍艦を見てしまえば、いかに勇敢な艇長でも恐怖を感じていた。それでもあの巨艦を沈められると信じて5000mという至近距離まで接近することに成功し、その柔らかい横腹をいつでも狙えるところまで来た。
「いいか!? 奴を沈めれば俺たちは昇進間違いなし! 幸いなことに奴は油断している。攻撃の機会は今しかない!」
艇長は力強く言った。実際2隻の巨艦は彼らに気付いた気配すらない。圧倒的不利な状況下でも必ず反撃の好機が訪れる……誰かから聞いた言葉を思いだし、今がその好機だと直感する。
「はい! やってしまいましょう! あんな大きいだけの軍艦など共和国海軍の敵ではないです!」
若い乗員たちの顔には笑顔すら浮かんでいた。
「よしその意気だ! 魚雷発射用意、目標敵超大型艦!」
大和はゆっくりとした速力で進みながら島に向けて主砲を撃ち続けていた。砲撃開始から2時間、島の弾薬庫が大爆発を起こしたと観測機から報告があり、第一戦隊は概ね目標を達成しつつある。
「艦長、島はここからでは確認できませんが、どうやら我々の任務は達成できそうですな」
宮野は言った。彼だけではない、大和乗員のほとんどが、そのとき同じことを考えていた。
「楽観はいかんよ副長。この大和と後続の紀伊が無事に帰投できて初めて成功だろう」
武田はこんなときでも冷静である。長く艦船勤務を経験してきた彼だからこそ、一人冷静でいられるのだろうか。
「申し訳ありません艦長。まだ作戦は終わっていないと……それを危うく忘れるところでした」
「なに、誰でもあることだ。まぁこの大和は簡単には沈まんと信じたいがな」
そう言うと武田は笑った。
「紀伊が雷撃を受けました!」
艦橋に飛び込んできた見張り員の突然の報告……
「なんだと!?」
慌てて紀伊の方を確認すると、右舷側に高々と水柱が立っているのが見えた。
「紀伊に打電! 被害状況を確認しろ!」
紀伊は大和後方1000mを維持しながら主砲射撃を続けていた。51cm砲弾の破壊力は凄まじく、特に重量2400kgを誇る徹甲弾は敵の頑丈な防御陣地を容易く破壊したと聞く。最初は役に立つのか心配だったが、これで敵へのアピールは大成功だと山下 均大佐は思った。
初めて紀伊の話を聞いた時は新型の巡洋艦か何かだということで、彼もそれを信じていた。そして極秘のタリアニア工廠に足を踏み入れた彼を待ち受けていたのは、とてもではないが巡洋艦とは言い難い巨大な船体だった。関係者だけで実施された進水式は大和の時のように静かで、軍艦としては寂しすぎるものであったが、それと同時に一目惚れしたのも事実だ。竣工したときの勇姿は、巨大戦艦の再来を感じさせ、その光景は今も脳裏に焼き付いて離れない。
「艦長、観測機より入電です。砲撃の効果は絶大なり」
通信士が航海艦橋で双眼鏡を覗き込む山下の傍まで駆け寄り報告する。山下の背後には500mmの装甲に覆われた司令塔が、艦橋直下から頂上までの四層にわたって貫いている。だがそこに入っている者は一人としていない。
「そうか。今日は司令塔に入らなくてもよさそうだな」
山下は司令塔の壁を叩く。分厚い装甲は叩いてもほとんど音は出ない。
「その中に入るときは核攻撃を受ける時くらいではないでしょうか」
副長の西田中佐も司令塔を見ながら言う。
「その時はCICにでも籠るよ。まぁとにかくバルアス軍にはショックを与えることができそうだ」
「艦橋、こちらCIC。本艦に向けて魚雷が急速接近! 雷速40ノット、命中まで30秒!」
「何!? 今からでは回避できん……」
山下は回避することを諦めた。
「紀伊初の被弾は魚雷だ! 総員衝撃に備えよ!」
そして右舷側の海上に目を凝らして魚雷を探す。
「おっ? 来るぞ!」
こちらを仕留めようと高速で接近する魚雷を見つけた彼は、手近にあった手摺を力強く握り締める。艦橋に立つ者は皆同じようにしていた。
「き、来ます!」
ズズズズーン……水中で爆発した魚雷によって高々と水柱が立ち、その衝撃に満載排水量12万t超の巨艦は……全くと言っていいほど揺れなかった。
「早爆か!?」
それに拍子抜けした山下は思わずそんなことを口に出す。
「い、いえ! たしかに命中しています!」
「被害を報告せよ!」
「応急班より報告、敵魚雷、右舷中央付近装甲帯に命中するも……損害は軽微。航行に支障ありません」
「浸水は!?」
「それが……浸水など発生していないと言ってます」
「本当か……」
山下は驚いていた。水雷防御に関しても心配無用と設計担当者が言っていたが、まさかこんなにも頑強とは思わなかったのだ。紀伊の設計に際して、大和型の弱点等の教訓、かつての大戦における教訓を多く取り入れており、かなり手堅い艦になったのは事実だ。
「敵魚雷艇発見! あの野郎、電探で捕捉できなかったのか!?」
西田中佐が悔しそうに言う。
「おい! 逃げてるぞ!」
「放っておけ。今日は油断した乗員がいるということだ」
「大和より入電! 被害を報告せよ!」
「大和に打電、我、損害軽微なり」
「艦長! 申し訳ありません! 私が監視を怠ったばかりに……」
CICから来たのだろう、彼は申し訳なさそうに山下に頭を下げる。
「次は無いぞ? よし、持ち場に戻りたまえ」
「はっ!」
「次回やるとしたら護衛を頼みたいところだ」
「いくら強力な軍艦でも護衛は必要です」
副長が同意する。
魚雷艇11号の乗員は驚愕していた。目標にした超大型艦にたしかに命中させたはずだ。命中したはずなのにあの巨艦は平然としている。
「早爆じゃないのか!? たしかに命中したんだよな!?」
艇長は信管の調整をした乗員の胸ぐらを掴み、前後に揺らしながら問い質す。
「そ、それはありえません! 調整は完璧でした。奴の防御力が異常なんです!」
「艇長、こいつの調整は完璧でした! 早爆などするはずがありません!」
「奴は気付いてるはずだが。見逃してくれたようだな? 命拾い……したのか」
艇長は掴んでいた手を離すと、力なく座り込んだ。
「艇長、奴の写真を撮影しておきました。司令部に報告しましょう」
乗員の一人がカメラを持ち上げながら言った。
「撮影してたんだな」
「奴が沈むとこを撮りたかったんですが。まぁ至近距離でニホンの新型艦を撮れたからよかったです」
その乗員は笑顔でカメラを見る。
「奴はなんだ? 識別表にはなかったから新型艦なのか」
「えぇ。ヤマトは砲塔3つ、奴は砲塔4つでヤマトよりデカイです。間違いなく元帥が仰っていたニホン海軍の新型艦かと思われます」
「この識別表も、元帥も……ニホン海軍を過大評価してると思っていたが。その評価は間違っていなかったのだな?」
「元帥は政府を嫌っています。最近は意見の食い違いが多く、ニホン軍を過小評価する政府を信用できないと噂が」
「いずれにしても、我々は命令に従うしかないのだよ。帰港したら元帥に報告はするがな。また悩みの種が増えるだろうよ」
「しかし政府は何を考えているのでしょうか? 海軍の指揮官や若い水兵まで反戦を唱えたら即座に拘束されて、どこかへ連れていかれました。彼らはどうしたんでしょう?」
「我々が気にすることではない。政府の考えは理解できんが」
艇長は座ったまま言った。
「だが悪事はいつか明るみに出る。政府が悪事を働いているのなら、それほど遠くない未来に政府は崩壊するさ」
「バルデラ島が見えてきました! なんてことだ」
その声に誰もが反応し、島の方に目を向ける。島は弾薬庫や燃料タンクが破壊されたことで大火災が発生している。
「島はだめだな。タレスまで行くぞ」
艇長は島が絶望的だと感じ、タレス軍港へ向かうことを決定した。