第二十九話
9月7日 3時45分
バルアス共和国
バルデラ島南西2km
暗闇の先に微かに島の輪郭が浮き上がっていた。島の東側は町か、或いは軍の施設があるのか、そこそこ明るい印象を受ける。それに対して西側は山がちな地形に海沿いはほとんどが断崖絶壁の難所ばかりで、人が住んでいるとは到底思えなかった。
その島の方向にマルセス・ダレイシスが消えて10分……南へ向けて動き始めた巡洋艦大淀の電探は南東より迫り来る船を捕捉する。
「艦長、おそらく先ほどの敵駆逐艦かと思われます。本艦の任務は戦闘行為ではありませんが……状況によっては」
副長の野坂は暗い艦橋の中で静かに佇む宇山の背中に問い掛ける。このまま進めば敵駆逐艦との無用な衝突が発生する可能性が極めて高く、それはあくまでも哨戒を主任務とする大淀からすれば避けるべきだと野坂は思っていた。
「うむ。舵中央、針路まま!」
「やはり、最短で離脱するには一隻くらい相手をしなければなりませんか」
「彼らは戻ってきたんじゃない。受け持った哨戒海域が広いんだろう」
「まぁ、敵ながら気の毒ですな。ハープーンを使用するのですか?」
野坂は艦中央部、二本の煙突の間に装備されたハープーン四連装発射器四基の姿を思い浮かべる。その発射器は帝国海軍が独自に開発した装甲発射器と呼ばれるもので、多少の被弾には耐えられるように設計され、普段は甲板に倒れ込むようなかたちで置かれている。いざ発射となれば即座に起き上がり、ハープーンの弾体を敵に向けて撃ち放つ。……彼は昔見たニュージャージーや大和に搭載されたトマホーク装甲ボックスランチャーのハープーン版だと聞かされていたことを思い出す。
「ハープーンの生産も徐々に縮小されている。いずれ兵器廠自慢の国産対艦誘導弾を積み込むことになるだろうな。ただ、破壊力を向上したものらしいが。そうだな……今日はハープーンは使わんよ」
宇山は少し考えてから答える。
「では……」
「暗いうちならやり過ごせるだろう。だが、もうじき夜明けだ」
「今日の日の出は0520です」
「敵艦の様子はどうか?」
「敵艦、速力18ノット、針路変わらず」
「そうか。たまには強行突破も悪くない。本来なら避けるべきであろうが……」
「ならば、ハープーンでやるのが」
「ただの哨戒任務でハープーンを使用するとは何事か!……と司令殿に怒鳴られるぞ」
宇山はタリアニアで陸上勤務に勤しむ禿げ頭の男を思い出しながら言う。
「たしかに……そうですな。司令殿は哨戒任務部隊司令を拝命してからというもの、何かと怒っておられる」
「艦隊司令部から外されたのがよっぽど悔しかったらしい。というわけでハープーンは相当な窮地に陥らねば使用できん。だが、そんなものを使わずとも帝国海軍の砲術は前世界から世界最高だ。バルアス海軍に遅れをとることはない」
宇山は前甲板の主砲に目を向ける。大淀をはじめとする高雄型は前部と後部に一門ずつ、計二門の20.3cm砲が装備されている。砲塔は装甲化されており、随分と角張った印象を受ける。最大で180mmを超える分厚い装甲板……それは現代の軍艦では珍しいものだった。
砲塔だけではない。船体にも過剰なまでの装甲が施されており、誘導弾全盛の現代においても帝国海軍が主砲による交戦を想定しているのが分かる。
そのため、船体に埋め込まれたVLSも分厚い装甲板に囲まれ、各セルに至るまで防御を徹底された帝国海軍独自の装備だ。それらは米海軍のMk41VLSに比して非常に重く、小型艦への搭載が不可能な代物であった。
高雄型が基準排水量18000tを誇る巨艦となったのも頷ける。高雄型を見学した米海軍の士官は、タイコンデロガ級を凌ぐ規模とその防御を徹底した設計に驚いたという。
「やはり主砲ですか。砲術の連中は大喜びでしょう」
「違いない。内地でひたすら訓練に明け暮れていた奴らだ。射撃したくてたまらんだろう」
5時15分
バルデラ島南方60km
駆逐艦パーカーはバルデラ島南側海域の哨戒にあたっていた。昨夜故障したレーダーは復旧しなかったため今も使用不能な状態である。そんな状況下だが、明日の朝になれば母港のタレスに帰れるとあって皆一様に明るい顔だ。
「艦長、眠気覚ましにどうぞ」
「うむ、ありがとう。それにしても昨夜は驚いたな」
バロティスは疲れた表情もそのままに呻く。昨夜味方駆逐艦リールにサーチライトを照射され、敵艦との遭遇だと勘違いした彼はいつもより神経を磨り減らしたに違いない。
「まったくです」
テゲス中尉もそれに同意する。
「しかし長い夜だったよ。夜明けを迎えるのがこれほど気持ちいいとは」
「いくら性能が低いとはいえ、レーダーが使用できないのはやはり不便です。とくに夜間は」
「夜間こそレーダーのありがたさを実感できるもんだ。さて、日の出を拝むとしよう。露天艦橋で外の空気を吸ってくるよ」
「はっ! ここはお任せください」
「頼んだぞ」
バロティスは艦橋の側面にあるラッタルを登り、海上から15mの高さにある露天艦橋に出た。爽やかな海風を全身に受けると眠気が吹き飛ぶような感覚を覚える。そして水平線を眺めながら深呼吸をする……
「今日の水平線も船影ひとつないか……いや、あれはなんだ? マストか?」
水平線上に僅かに姿を現したマストのようなもの。彼は目を擦ってからもう一度その方角を見る。
「たしかにマストだ」
今度は自身が持つ双眼鏡で確認する……その姿勢のままどれほど固まっていたか……
「敵か? 味方か? 同士討ちはごめんだぞ」
バロティスは昨夜のリールとの接触以降、慎重になっていた。レーダーも無線も使えない……となると最後は自身の目で敵か味方かを判断しなければならない。
時間が経過するにつれて徐々に明らかになっていく船影……そして突然の発砲炎……
「敵だ! 面舵一杯! 急げ!」
伝声管に向かって大声を張り上げるとすぐさま艦橋へと戻るため走り出す。彼の命令が即座に伝わったのだろう、艦は素早く右へ回頭してゆく……その数秒後、パーカーの左舷に水柱が上がる……恐るべき精度である。あのまま直進していれば確実に被弾したであろう。
艦橋ではほとんどの者が敵を発見するために必死で双眼鏡を覗き込んでいた。露天艦橋とは5mほど高低差があるため、当然水平線までの距離も変わってくる。
「艦長! いったい何故こんな海域に敵艦が!? バルデラ島のすぐ近くですよ!」
テゲス中尉が血相を変えて駆け寄ってくる。
「わからん! 今は奴の攻撃を躱し、反撃に出ることだけを考えろ!」
「はっ!」
「見張り員、敵は見えたか!?」
「み、見えました!」
「どんな奴か分かるか?」
「て、敵は大型巡洋艦!」
「なんだと!? そんな奴が哨戒網を突破し、この海域を徘徊してるというのか」
バロティスは驚愕の表情を浮かべながら叫んだ。そして双眼鏡を覗き込んだ先……今や奴は、その姿かたちがはっきりと見えるほどまで接近していた。
「敵艦増速! 速力35ノットにて本艦の後方に移動中! 信じられない加速力です!」
「それはいかん! 取舵だ! 取舵一杯! 奴にケツを向けるな」
パーカーの武装は前甲板に13cm連装砲が2基、艦中央部に魚雷発射管があり、後部には機銃しかない。要するにケツを向けた場合、敵艦に対する攻撃手段がないのだ。もちろん、機銃程度でどうにかできる相手ではない。
「敵艦発砲!」
見張り員の悲鳴のような声が狭い艦橋内に響き渡る。小型艦の高い機動性により、既に左へ向けて回頭を始めた艦……
「当たるなよ……」
砲弾の飛翔音が近づいてくる……そして次も左舷側の海面に着弾し、高々と水柱が上がるのが見えた。満載でも1800t程度の排水量しかないパーカーは至近弾の影響をまともに受ける。
「今のは近かったぞ!」
テゲス中尉が双眼鏡を覗くと、敵の巡洋艦が白波を立てて突き進む姿が目に入ってきた。全体に黒と言ってもいいほど濃い灰色塗装を施され、共和国の巡洋艦とは比べ物にならないくらい威圧的なその姿……それは海の狩人と言っても過言ではない。
狩りのために獲物を追い回す猛獣とでも表現すれば良いだろうか?
「艦長! 主砲射撃準備完了です!」
「よし! 当たらんでもいい、とにかく撃て!」
その直後、敵艦に向けて13cm主砲が火を吹く。
大淀の艦橋からは、反航戦の構えを見せる敵駆逐艦の姿がよく見える。双眼鏡で敵の動きを見ていた宇山は、艦長席に座ると艦内電話を取った。
「砲術長、惜しかったな。あの駆逐艦の行き足を止めるまでは頑張ってくれ」
CICの一画に置かれた主砲射撃指揮所……そこにいる砲術長と話しているのだろう。
「敵艦、発砲しました!」
「ん? あちらさんもどうやら反撃に出てきたらしい」
艦橋やCICが賑やかなのに対し、各砲に配置された砲台分隊の面々は静かに戦闘の様子を窺っていた。……彼らは自動装填装置が故障した際に、機力装填によって射撃が継続できるよう配置された兵たちで、いざというときの任はなかなかに重い。
「砲台長」
若い砲員がたまらず言葉を発する。
「なんだ?」
「砲員というのは……自動化された砲塔の中はこんなにも暇なものでありますか?」
「たしかに、我々の先輩方の時代と比べれば自動砲は楽だよ。だがな、決してやることが無いわけではない。こうやって見守るのも仕事だ」
古参の砲台長は諭すように若い砲員に語りかける。その間にも自動装填装置は働き、砲身に新たな砲弾を送り込んでいた。砲弾は装薬と一体化したものであり、空薬莢は射撃後に排出路を通り外へ出される。
「はっ! 心得ておきます」
その時だった……上方から突然、ゴンッという鈍い音が響いてきた。
「砲台長……今の音はなんでしょう?」
「心配する必要はない。砲塔に敵の砲弾が当たったんだろう」
砲台長は普段と変わらぬ落ち着いた声音で答える。そのあとすぐにスピーカーから被弾の報せが入った。
《一番砲に被弾するも損害軽微! 戦闘に支障無し!》
「言った通りだ。駆逐艦の砲でそう易々とやられる船ではない。だから今は集中しろ」
主砲塔前盾に弾き返された敵弾が、海面に飛び込んで炸裂する。
「うーむ。こちらより先に当ててきたか。敵さんもよくやるようだ。我々も負けてられんぞ」
念のため司令塔に入り、戦況を窺っていた宇山は静かに呟いた。
彼の言葉を聞いて、やってやるぞと言わんばかりに二門の20.3cm砲が敵駆逐艦に狙いを定める。
たしかに……たしかに手応えはあった……だが彼の視線の先を何事もなかったかのように平然と突き進む敵巡洋艦……
「やはり駆逐艦の砲では巡洋艦に歯が立たんか」
バロティスは敵巡洋艦を見て予想通りだと思った。この艦の装備する13cm砲は、巡洋艦などの防御力の高い目標に使用するには威力不足だ。
「あとは魚雷か……」
魚雷での攻撃も考えたが、かなり肉薄しなければならず、それまでに敵巡洋艦の主砲の餌食になるのが目に見えている。
彼が考え事に夢中になっている間も主砲の射撃音は一定の間隔で聞こえてくる……どうやら命中したのは最初の一発だけらしい。
「どうすれば……」
彼が独り言を言おうとしたその瞬間、下の方から大きな金属音が鳴り響き、続いて爆発による衝撃が艦全体を襲った。
「何事だ!?」
「左舷中央付近に被弾!」
「被害は!?」
「機関室に浸水発生! 左舷側機関停止、速力10ノットに低下!」
「報告!」
ダメコン班と思われる兵が艦橋に飛び込んできた。
「どうした?」
「破口から大量の海水が流れ込んでいます! 排水も間に合いません!」
「吃水線下に穴が空いたか。まぁ当然だろう。装甲など無いのだからな」
艦橋内は被害報告の声で溢れ、迫り来る砲弾の音に気付いた時には既に遅かった。艦橋まで伝わる被弾の衝撃……後方からはメキメキメキという嫌な音が響き……続いて見張り員の叫び声が聞こえてきた。
「マ……マストが倒壊!」
次の命中弾は二発ほぼ同時であった。一方は敵駆逐艦の主砲塔を一つ破壊し、もう一方はマストを薙ぎ倒し煙突を傾かせる……先に吃水線付近に与えた命中弾で速力が著しく低下した敵艦を狙うのは、大淀にとって造作もないことだ。
「敵艦に命中弾!」
それを聞いた宇山は双眼鏡で敵艦の様子を確認する。左に傾き、船体中央付近では火災が発生し、速力はさらに低下し、もはや戦闘行動も不可能な損傷を受けていると思われた。
「撃ち方止め」
宇山は静かな口調で命令を出す。
「艦長、お疲れ様です」
「敵艦の様子は?」
「どうやら、総員退艦命令が出たようです。救命艇が複数見えます」
それを聞いた宇山はやや安堵した表情を浮かべるが、すぐに引き締めると敵駆逐艦に対して敬礼を送った。