第二十六話
8月26日
バルアス共和国首都タレス
海軍病院
メイヤー大尉は指定された談話室のドアをノックする。
「入りたまえ」
「失礼します」
部屋に入ると少将の階級章を付けた初老の男が一人待ち構えていた。
「おはよう大尉。まぁ座ってくれ」
彼はメイヤーに着席を促す。
「朝からすまないな。司令部参謀のノレッドだ。メイヤー大尉、君にはいくつか確認したいことがあるんだ。これを見てくれ」
ノレッド少将は鞄から一冊の雑誌を取りだし、メイヤーの前に差し出す。
「これはいったい?」
「情報部の者がタリアニアで入手した。我々にとっては驚きの内容だ」
「見たところ、軍艦を扱った雑誌のようですね」
メイヤーは表紙の写真からそう読み取った。
「よく見てくれ。こんな鮮やかなカラー写真を見たことがあるか?」
「た……たしかに、カラー写真。私の知っている写真は白黒なんですが」
「これはニホンで発行され、タリアニアで売られている雑誌だ。文字は全てタリアニア語」
「ではニホン海軍に関して、何か重要な情報が」
「海軍情報部はある艦を追っていてな。その艦はヤマトという名を持つ」
「タリアニアにいる情報部員は未だその詳細を掴んでいないのでしょうか?」
「この雑誌を開いてみるといい」
メイヤーは言われるがままに表紙をめくる。そこには、あの夜に見た巨艦ヤマトと思われる写真の数々……
「君が撮った写真を元に情報部の者たちが探してきた。今はまだ共和国とタリアニアを往復することは容易い。しかし今後もそう上手くいくとは思えない。今のうちに集められる情報は集めておきたい」
「よくこんなものが手に入りましたね。あの艦の巨大さがよくわかります。何が書いてあるのか気になりますな」
「その点は問題ない。幸いなことにニホンと共和国の数字や単位は同じものだ。あの艦の大きさを詳細に知ることができたんだ」
そう言うノレッドの表情は曇っていた。
「どうかされましたか?」
「全長263m、全幅39m、基準排水量64000t、46cm主砲を三連装三基……このような船を共和国で建造できると思うか……」
それを聞いたメイヤーは驚愕の表情もそのままに言葉を紡ぐ。
「それは……本当なのですか? もし本当なら、共和国は同等の船を……」
「建造することは不可能。我が国が建造した最大の船でも35000t……軍艦に至っては最大でも10000tを超える程度」
「その六倍もの排水量を誇るヤマトは、何のために!?」
「ニホンの歴史を調べたら知ることができた。あの国は……ニホンは、我々が思っているような歴史の浅い新興国ではない。その歴史は長く、富国強兵を掲げ、大国との戦争に勝利することでその力を高めていった」
「あの国はいったいどこから来たのでしょう」
「大尉、信じられるか? 軍民合わせて百万人を超える犠牲を払うような戦争をやったんだ」
「ひゃ……百万ですか!? そんなに犠牲を払っては、国が傾くのでは」
「第二次世界大戦というらしい。文字通り世界中を巻き込んだ戦争だ。犠牲者は五千万人とも言われている」
「あの国のいた世界とは、戦乱の世界だったのですか?」
「ニホンの元いた世界について分かっていることは少ない。しかし、少なくとも今は平和なんじゃないか?」
ノレッドはもう一度雑誌を見る。そしてこのような方法でしか情報収集ができないことを嘆いた。
「少し海でも眺めようじゃないか」
海軍病院は小高い丘の上にあり、窓からはタレスの街並みとその先に広がる海を眺めることができた。太陽に照らされて輝く海面、行き交う船の姿。いつもと同じ風景がそこにはあった。
「今日も暑くなりそうだ。いつまでこの風景を見ることができるかねぇ……。大尉、この戦争負けるよ……我が共和国は」
「なっ……何を仰るのですか!? まだまだ共和国はやれますよ!」
「君は若いから分からんだろうが、30年前の戦争とは訳が違う。現実を受け入れる勇気が必要だ」
今回の戦争が、負け知らずだった共和国を根本から揺るがすものだと分かってはいた……しかし幼年期から共和国の軍隊は世界最強であると教えられてきたメイヤーにしてみれば、受け入れがたい事実でもあった。
ノレッド少将はそんな彼に向かって何事かを喋り始める。
「彼らは屈強で、それでいて賢く、常人では不可能な距離を軽々と行軍し、音も立てずに敵に接近し、打ち倒す……ときには最後の一兵まで戦い、戦場で死ぬことが最大の名誉であると……」
「私も聞いたことがあります。ニホンの陸軍について説明されたものですね」
「そうだ。陸軍だけでなく、強力な海軍に精鋭揃いの空軍を持つ。あの国が本気で戦時動員を行えば総兵力は800万を軽く超えるという噂すらある。どうだ? 信じられないよな」
「共和国は……そのような強国と戦争を始めたというのですか」
「それが現実だ。今はどのように終わらせるかを考えねばならん。苦しくなるのはこれからだぞ」
ノレッドの言葉にメイヤーは黙って頷くことしかできなかった。
大日本帝国
岡山県津山市
岡崎家
岡崎太一は仕事が休みということもあり、今日は家でのんびりしていた。外では蝉の鳴き声が響き渡り、夏はまだまだ続くかのように思われた。
「暑い! せっかくの休みだってのに何もやる気が起きんな」
彼は兵役を終えてから実家の商店を手伝うようになった。父からは仕事を継ぐようしつこく言われ、母もそれに同調していたので彼は正式に後継ぎになろうと決心していた。
「明日は親父に話をしないとな……ん?」
そのとき、玄関の呼鈴が鳴り響いた。
「はい、どちら様でしょう」
「岡崎太一さんですか?」
「そうですが。何か?」
「おめでとうございます!」
よく見ると訪問者は役場の兵事係であり、彼が持ってきたのは召集令状であった。
「ありがとうございます! 御国のためにしっかりと尽くして参ります!」
兵事係の男は深くお辞儀をすると玄関から出ていく……岡崎はその後ろ姿が見えなくなるまで見送ったあと、その場に座り込んだ。
「ふぅ……出征の準備をしなければ」
改めて召集令状を確認する。岡山連隊区司令部発行の臨時召集のものだ。
「第43師団か。そういえば陸軍省が戦時動員をやるとか言ってたな……しかし早すぎないか? 予備役だからいつ呼ばれてもいいとは思ってたがな」
彼は知らなかったが、この召集は陸軍省による第一次動員の最初の計画であり、今後第二次、第三次と行われ、最終的に50万人の召集が予定されている。また、戦局次第ではさらに増員されることとなっており、そのような事態となったときはまさしく苦戦を強いられているということになる。
しかし大東亜戦争、後に大平洋戦争とも呼称されるあの戦争以降は大規模な動員は行われておらず、今回の対バルアス共和国との戦いも防衛戦争との認識が強かった。
だが陸軍省は今後決定されるであろうバルアス共和国侵攻作戦を見据え、徐々にではあるが兵力の拡大を推し進めていたのだ。
巡洋艦愛宕
「艦長、艦長宛に入電です」
「読んでくれ」
「宛、熊谷信一大佐。タリアニア入港後、内地への帰還を命ずる。以上。発、帝国軍統合司令部海軍部総長」
「どうやら艦を去ることになりそうだ。皆、世話になったな」
「艦長! あれは宮吉中佐の独断ではないのですか!?」
「責任は私にある。中佐を止められなかったからな」
「しかし……」
「上の命令は絶対だ。新しい艦長もすぐに来るだろう。それに愛宕乗組員は2週間の休暇だろ? 陸に上がってゆっくり休むといい」
「今夜は盛り上げましょう! 自分の決死隊を聴いていただきます!」
「俺は旅順港を閉塞しにいくわけではないぞ」
「では大平洋行進曲を」
「よく歌ったものだな。大平洋ではないがこの新世界で新たな共栄圏を興し、雄叫びを上げてほしいものだ」
「お任せください! なんなら棒倒しでもやりますか」
「兵学校時代を思い出すな。江田島健児の歌を輪になって行進しながら歌ったよな。帝国海軍五省を唱和するのも今となっては懐かしい。宮吉も五省を思い出せば反乱に同調することもなかったのではないか」
熊谷は残念そうにしていたが、気を取り直して前を向いた。
「今夜は酒保解放だ!」