第二十四話
バルアス共和国領空
タレス空軍基地を飛び立って1時間、RT22エンジンは驚くほど快調に回り続けていた。長年密かに整備を続けた甲斐があったというものだ。
「レムルスの奴驚いてるだろうな! まさか俺がTA‐87ではなくTA53で現役復帰を果たすとは思わなかっただろ」
マーローは酸素マスクに覆われた口元に不気味な笑みを浮かべながら自分の上官の驚愕する姿を想像する……
「まぁいい。少し腕試しでもしてみようか……あの無人島の大木!」
そう言うとマーローは操縦桿を一気に倒し、眼下の無人島に聳え立つ巨大な木を目指す。急降下に移った機体、速度計は800キロを軽く超え、それと同時に各所から軋みが聞こえてくる。
「まだだ、まだ大丈夫! 落ち着け……引き起こしのタイミングを誤れば地面にキスだ。よし、今だ」
マーローは操縦桿を引く、強烈なGに必死に耐える……
「頼む、言うことを聞け!」
操縦桿を握る手は汗で濡れ、不快な感覚をマーローにもたらしていた。
そしてあと少しのところで口づけを回避する……
「見たか! 素晴らしいタイミングだ。20mmの威力を味わうがいい!」
機銃の発射ボタンを押すため指に力を入れようとしたその時、大木の枝に多数の鳥が羽を休めているのを認め、発射ボタンから指を離す……
気が付けば大木の上空を虚しく通りすぎていた。
「クックック……この俺も随分と甘くなったもんだ。あの頃は敵兵を平気で撃っていたじゃないか! どうしてしまったんだ」
ジョン・マーロー53歳、かつて共和国空軍第6戦闘機隊で驚異の若手パイロットとして知られた彼は、統一戦争におけるエースの一人でもある。撃墜数は80機を数え、多くの車両、列車、敵兵の撃破を達成してきた。
「あの頃は……あの頃は敵を人間だと思うなって教えられたな。だがなんだこの感覚は! これではニホン兵を殺すことなど不可能だ……しかし偵察は完遂しなければ」
タレスに残した妻を思いつつ、彼はニホン海軍が進出しているであろう海域を目指すことにした。燃料にはまだ余裕がある、調整さえしっかりしていれば1500キロの航続距離を誇るTA53なら、ニホン艦隊はおろかカール大陸すら到達可能だろう。
もちろん片道の場合だが……
「バルデラ島の奴らをどうやってやり過ごすかだな。東回りでレーダーの目を掻い潜るとしようか」
バルデラ島東方750km
巡洋艦愛宕
自室を出て複雑な通路を抜けると、頑丈そうな扉で厳重に閉ざされた部屋の前に出る。
扉の《CIC 関係者以外の立入を禁ずる》の文字が真っ先に目に飛び込んでくる……男はカードキーを使い、扉のロックを解除すると静かに開く。
「副長!」
男が足を踏み入れると、そこに詰めていた者達が一斉に敬礼をする。それに答礼しつつ、男は口を開く。
「ご苦労、砲雷長。変わりはないか?」
「今のところ目立った動きはありません。しかし副長、今日は非番ではありませんか?」
砲雷長の森下 明信少佐は怪訝な表情を浮かべる。
「なに、気にするな。ちょっと様子を見に来たんだ」
宮吉 稔中佐はそんな少佐を見ながら、冷静を装って答える。
「貴様ら、疲れているだろう? 少しは休んでいいんだぞ。その間は俺が見ておいてやる」
「副長、本当によろしいのでありますか?」
「あぁ、砲雷長は残ってくれ。何かあったら困るからな……艦長からCIC要員を休ませるように言われているんだ」
「副長がそう言っておられる。貴様らは休んでこい」
砲雷長の一言でCICに詰めていた数人が出ていく……最後の一人が出ていったのを見送ると、宮吉は森下に見えないように内側から扉をロックした。
そしてモニターを挟んで、森下の向かい側に立つ。
「バルアス共和国周辺海域に動きは?」
「ここ最近は大規模な艦隊の移動もありません。バルアス共和国中部に集結した大艦隊はそのまま停泊しています」
「どうやらあちらさんは迂闊に艦隊を動かせないようだな。航空戦力の大規模な喪失は、防空に大きな隙が生じることを意味する……そんなところに艦隊を持ってくればどうなるか、馬鹿でも分かるだろう」
「そうですね。話が変わりますが……この愛宕も明日の夜には哨戒任務を終えて帰路に就くわけですか」
「これが終われば2週間の休暇が待ってるわけだ。しかしその前にやっておきたいことがある。砲雷長……これは訓練だ、気にしないでほしい」
「何をするおつもりで?」
「見ていれば分かる」
宮吉はポケットから鍵を取り出すと、トマホークの発射を行うべく準備を始める。
「目標、バルアス共和国大統領官邸」
「副長! こんなことをしてどうするんです」
「トマホーク攻撃用意よし、トマホーク攻撃はじめー!」
直後、前部VLSから一発のトマホークが飛び出していく。まだ薄暗い艦橋にいた艦長は、一瞬明るく照らし出された周囲を呆然と眺めていたが、それがトマホークだと気付き即座にCICに電話をする。
「CIC! こちら艦長、何のつもりだ!?」
「おはようございます艦長。副長の宮吉です。今日は帝国にとって新たな1日の始まりとでも言っておきましょうか」
「なに寝ぼけたことを言っておる! 直ちにトマホークを自爆しろ!」
「艦長、あれが何に向けて発射されたものか……考えてみてください。政府の中心人物を失ったとき、国がどうなるか艦長には理解いただけるかと」
「副長、まさかバルアス共和国首脳を狙ったと言いたいのか?」
「さすがです。お察しの通り、バルアス共和国大統領を殺害するのが目的です。今のままでは戦争の長期化は避けられない……それを防ぎたいのです」
「貴様! 帝国軍人ともあろうものが怖じ気づいたか!?」
「まさか。バルアス共和国に早く本気を出してほしいのです。彼らがまともな人間の集まりなら怒り、帝国を恨むはずです」
「そんなことをしたら戦後の関係を悪化させるだけだ……」
「艦長、私は戦後のバルアス共和国を併合し、帝国の支配下に置くことを前提に動いているのです。既に国内では私と同じ考えを持つ者達が多数存在しているということを忘れないでください」
「何が目的だ!?」
「この星に存在する全てを帝国の物にする……計画は始まったばかりです」
「馬鹿げてる」
「もはや止めることはできません。2時間後にはトマホークが目標を破壊します」
艦長の熊谷 信一大佐は宮吉の言葉を聞いた後、電話を切り頭を抱える。
「陸戦隊の連中に武装させておけ。CICに突入し、宮吉を拘束する」
「はっ! 司令部への連絡は?」
「頼む」
「直ちに!」
バルデラ島南東800km
空母飛龍
「司令、愛宕より入電。愛宕副長、宮吉中佐の独断でトマホークが発射された模様です」
中川はそれを聞くと顔をしかめる。
「やってくれたな……で、何を狙ったものだ?」
「バルアス共和国大統領官邸を狙ったものということです」
「すぐに自爆させろ! まずいことになったな……」
「宮吉中佐はCICに立て籠り、一切の命令を無視しているようですね。CICに突入して拘束するしかありませんな」
「よし、そうするしかなさそうだな」
「CDCより報告、電探が接近する国籍不明機を捕捉! 距離400、バルアス軍機と思われる」
「何!? 今上げられる機はあるか」
河野大尉は詰所の椅子にドッカリと腰掛け、待機していた。今日は今のところ平和であり、出番が来ることはないと考えはじめていたが、士官の声で現実に引き戻される。
「河野大尉、出番だ」
「はっ!」
「もう発艦準備は万端だ。すぐに行ってくれ」
「了解」
格納甲板に向かうと、整備員たちが河野を待ち構えていた。
「お待ちしていました大尉」
「ご苦労」
愛機に乗り込むと早速管制官の声が無線機から聞こえてくる……
「北方より近づく不明機あり、直ちに当該空域に進出し対処せよ。目標高度6000、速度350」
「随分遅いな……ちょっと行ってくるか」