第二十話
8月16日
大日本帝国
沖縄県嘉手納
太平洋戦争における重要拠点の一つと見られていた沖縄は、アメリカ軍の作戦が頓挫したことで戦場になることはなかった。
マリアナ沖海戦でアメリカ海軍は多大な損害を受け、残存艦隊はマーシャル諸島へ撤退する。マリアナでの帝国の勝利は、ミッドウェー海戦以降の不利な情勢を一気に覆すことになった。
現在では空軍の第5航空団が置かれており、転移前より極東の重要基地としてアジア全域に睨みを利かせていた。
広大な敷地には空軍主力戦闘機、F‐15が多数並び、カール大陸に向けて飛び立つ日を待ちわびているように思える。カール大陸では既に空軍の航空団を受け入れられる大規模な飛行場が完成しており、帝国は空軍部隊を順次派遣する予定だ。
空軍の戦闘機、F‐15は度重なる近代化改修によって長きに渡り空軍の主力に居座り続けていた。
航空団司令の松沢幸弘少将は空軍の薄いブルーの開襟シャツをだらしなく着こなし、彼がかつて粋のイーグルドライバーだったことをその様子から想像できる者はこの基地にいなかった。
松沢は、統合司令部から届いた電報を読みながらコーヒーを飲んでいる。
「カール大陸方面に進出だって? 本気かよ……吉村大尉、どうやら我々にもお仕事が来たようだ」
どこか冴えない、髪がボサボサの男が松沢を見る。
「お仕事ですか? 一体何の……」
「楽しい楽しい遠足だ。聞いて驚くなよ?」
「閣下、焦らさんでください。で、どこなんです?」
「カール大陸だ」
「あーなるほど、カール大陸ですか……本気ですか!?」
「これを見ろ、遂にカール大陸に進出だ! 海軍さんや陸軍さんに迷惑を掛けないよう気を付けろ」
「やっとイーグルに活躍の場が与えられたんですね!」
「やっとだ。空軍の連中はみんなウズウズしてるだろうな。今じゃ領空侵犯する国もいないしスクランブルは全く無い」
「本当ですよ。元教導隊の私としても久しぶりに暴れたいですな」
「大尉はたしか築城にいたんだな。あそこの連中は正直人間とは思えなかったよ」
「ですが海軍飛行隊も恐ろしい奴らが揃ってますよ。奴らと合同演習をしたアメさんのパイロットは嫌がって来なくなったとか聞きましたが」
「あいつら……ドッグファイトの強さは半端じゃないな」
「バルアス共和国の戦闘機はミサイルを持たず、格闘戦重視だとか」
「あぁ。写真を見たが……メッサーシュミットの古い戦闘機によく似ている。ロケット弾と機関砲が主武装らしい」
松沢は窓の外に見えるF‐15の精悍な姿を見やる――世界最強、実戦での被撃墜ゼロ――
アビオニクスが一新され最新の電子機器を搭載し、進化を続ける空中戦に対応してきたがやはり、次々と現れる中国やロシアの新鋭機に対しては力不足とも言われていた。
そこで空軍はF/A‐18、タイフーンの導入、もしくは開発中の国産ステルス戦闘機導入を検討し、最終的に国産機導入に落ち着くこととなった。
第5航空団には10機配備されたものの転移により機種更新は進まず、未だに主力の座にF‐15が居座り続けている。
数少ない新鋭機、疾風は国産初のステルス機であり、アメリカ空軍のF‐22に匹敵する性能を持つと言われていた。
実際、F‐15との模擬空戦で125戦無敗、海軍の烈風には87戦無敗で、現在に至るまで記録を更新し続けている。
転移直前の平成22年から就役を開始し、最終的に200機が調達予定ではあったが、転移による脅威の消失等の理由で70機の調達にとどめられている。
「疾風も持っていくのでしょうか?」
「そうだろうな」
その頃上空では、1機の疾風が2機のF‐15を相手に模擬空戦を繰り広げていた。
その疾風のコックピットには1人の男……
「防空隊司令部よりハゲタカ01へ、方位3‐2‐7より2機の不明機が侵入。直ちに対処せよ」
普天間に置かれた防空隊司令部要員の無機質な声を聞きながら操縦悍を傾ける西岡一馬大尉。疾風の運動性能は良好だ……ほんの少し操縦悍を傾けるだけで機は即座に思い通りに反応してくれる。そして推力偏向ノズルの採用やスーパークルーズ能力など、従来の戦闘機を凌駕する性能を獲得するに至った。
「ハゲタカ01了解」
西岡は落ち着いた声音で返答する。乗り替えて既に3年、自分の体の一部と言っても過言ではないくらいに乗りこなせる。
今日の相手は第5航空団でも屈指のパイロットで、F‐15に10年以上乗り続けてきたベテランだった。彼とは同期の仲であり、空軍入隊当時から18年間同じ釜の飯を食ってきた仲でもある。
「森本の奴、三人目が産まれるって言ってたな。帰ったらお祝いでもしてやるか」
そのとき唐突に鳴り響くアラート音……それはレーダー照射を受けていることを表す音だった。そしてそれが、帝国海軍巡洋艦の搭載する強力なレーダー波によるものだとすぐに気付く。ステルス機でも、巡洋艦の搭載するSPY‐8Dの目から逃れるのは困難だと痛感する瞬間である。
「海軍さんはおっかないねぇ。レーダーが強力すぎる」
西岡は感慨深げに呟く。帝国海軍は大型艦に、アメリカ海軍と開発した強力なSPY‐8Dと呼ばれるレーダーを搭載しており、その探知能力と目標追尾能力は艦載用レーダーとしては世界最高水準であった。
戦闘機用レーダーと違って大型で出力も桁違いのSPY‐8Dは、ステルス機と呼ばれるものですら忽ちのうちに探知してしまう。
「防空隊司令部よりハゲタカ01、不明機は貴機より120km北西、低空を飛行中、すぐに捕捉し撃破せよ」
――きたっ――
西岡は胸が踊り出すような気分だった。疾風のレーダーは既に2機の『敵機』を捕捉、空対空誘導弾のシーカーはそれらをロックオンしたことを示す赤色に変わっている。
向こうはまったく気付いた気配もない。
西岡は発射スイッチを軽く押した……実戦なら、開いたウェポンベイから2発の誘導弾が飛び出し高速で敵機に向かう。
「イヌワシ01、02、貴機は撃墜された」
今日も疾風の無敗記録は更新された。
カール大陸北部
ゲロビーチ付近
暗い洞窟に逃げ込んでもう何日経ったか分からなくなっていた。ニホン軍の大規模な部隊が北上し味方の前線はすぐに崩壊、撤退を余儀なくされる状態だった。
ギリス・マレヌス伍長は敵弾を受け、重症を負ったヒースランド軍曹を担ぎ近くにあった洞窟に逃げ込む。幸いなことに、入り口が死角になっていたその洞窟は、未だにニホン軍に察知されていない。
「伍長……戦闘は終わったのか……私の部下は」
「外はすっかり静かになっています。部下は……」
「言わんでいい……死んだんだな」
「軍曹、無理して喋らないでください。ちゃんとした治療を受けるまで生きるんです」
「もう長くない……自分でも分かるんだ。伍長、投降しろ」
「しかし……軍曹はどうするのです!?」
「私の拳銃があったはずだ。置いていけ」
「だめです軍曹! ニホン軍が助けてくれるはずです。私がここまで連れてきます」
「仕方ないな。許可しよう」
「すぐに戻ります!」
そう言うとマレヌスは洞窟を飛び出し、出来る限り走り続けた。数分もしないうちにニホン軍の詰所らしき場所が見えてくる……
「止まれ! 何者か!?」
声のした方を見ると、斑模様の野戦服にヘルメット姿のニホン兵が自動小銃をこちらに向けて立っていた。
マレヌスは立ち止まり、両手を上げて抵抗の意思が無いことを示す。いつの間にか周囲には重装備のニホン兵十数人が集まり、こちらを静かに見つめている。
「銃を下ろせ、こいつを調べろ、武器を持っているかもしれん」
数人の屈強なニホン兵が近付いてくる……
「小隊長、何も持ってません」
「よし、連れていけ」
「待ってくれ! 洞窟で仲間が助けを待ってるんだ! 助けてくれ」
「何? そいつは動けないのか?」
「重症で動けない……」
「案内しろ。私が行く。それからお前とお前と……あと衛生兵、一緒に来い」
小隊長と呼ばれた男はすぐに要員を手配すると、マレヌスと洞窟へ向かって歩き始める……先程の鋭い眼光は既に影を潜めていた。