第十七話
「バルアス軍人だな?」
ゴムボートに乗ったニホン海軍の士官と思われる人物が声を掛けてくる。ゴムボートにはニホン海軍を表す旭日旗が描かれ、すぐにニホン人だと分かった。
「共和国空軍少佐、カルロス・デラークだ」
「貴官はこれより捕虜だ。無駄な抵抗はするな」
ニホン海軍の士官は素早く腰の拳銃を取り出せるよう態勢を整えている……
「わかってるよ。今抵抗しても死ぬのは目に見えている」
「ならば乗艦を許可しよう」
一言で言うなれば……「狭い」
謎の艦の内部は通路から各部屋に至るまで狭く、天井も低い場所が多い。個室ではあるものの、艦長室も例外なく狭い。
「艦長の中田だ」
自分よりも若いだろうか……がっしりとした体躯をニホン海軍の白い制服の下に隠した男が椅子に座ったままデラークを出迎える。
日焼けして赤黒くなった肌と短く刈り上げた頭は、共和国の軍人に比べ非常に戦闘的な印象を受ける。
本来バルアス人は戦闘民族ではなく、そのルーツは共和国建国前の商業国家だと言われている。
「救助していただいたことを感謝します」
「バルアス軍は隅々まで教育が行き届いているようだな。うちの若いのにも見習ってほしいもんだ」
「あなた方はニホン海軍の?」
「任務の性質上、詳しいことは申し上げることができない。だが我々が大日本帝国海軍であることは間違いない。なにかと狭い場所だがゆっくりするといい」
そのとき艦長室にある電話が鳴り響く……
「……艦長だ」
《艦長、対水上レーダーに感、小型艦4隻が接近中です》
「バルアス軍の駆逐艦か? 気付かれた可能性があるな。少し様子を見よう……30まで潜れ」
バルアス共和国海軍駆逐艦パーカー
「艦長、捜索範囲が広すぎます……まだ機体の残骸すら見つかりません」
見張りを担当していた下士官が疲れた表情もそのままに、艦橋の中に戻ってくる。
「味方を見捨てるわけにはいかん。引き続き捜索に専念しろ。それと、空軍にもっと増援を寄越すよう要請してくれ」
パーカー艦長のバロティス少佐はガラス越しに海を見ながら指示をする。
小型艦ならではの揺れが襲ってくるが、そんな中でもバロティスは動じることなく腕を組み立ち続けていた。
艦首は盛大に波を被り、その飛沫は艦橋にも容赦なく降り注ぐ。
「今日はやけに波が高いな」
「艦長! 前方に戦闘機の残骸らしきものがあります!」
「うむ、あれは空軍のTA‐87だな。両舷停止、捜索班は直ちに準備せよ。対空、対水上警戒を怠るな!」
「艦長、捜索班いつでも出せます! 今のところ対空、対水上ともに接近する脅威なし!」
「うむ、引き続き警戒せよ。捜索班はすぐに捜索開始」
「敵艦停止しました。本艦直上、こちらに気付いた兆候すらありません」
その言葉で乗員の誰もが安堵する。これまでの哨戒活動で敵が対潜能力を持っていないことを掴んではいたが、未だ確信には至っていなかったのだ。
「どれだけ騒ごうが気づいてもらえないだろうな。機関全力運転も夢じゃないか」
中田は口元に笑みを浮かべながら呟く。
「機関、前進微速。敵艦の背後に出るぞ」
直後、グッと加速する艦……水中でも30ktを発揮可能な機関は、水中排水量1万tに達しようかという艦体を軽々と前進させる。だが、そのような大出力にものを言わせ加速しても、艦内は驚くほど静かで、下手をすれば動きだしたことにも気づかないだろう。
ロシアの潜水艦の脅威に晒され続けていた帝国海軍の潜水艦は、過去数十年に渡り養ってきた技術力により、他の追随を許さない性能を持つに至った。
『ゴースト』
かつて最強の敵手であり同盟国であったアメリカ海軍にそう言わしめた、驚異的な静粛性の持ち主である。
「ソナー、敵艦に動きは?」
「動き出す気配すらありません」
「そうか。潜航したまま安全圏へ待避する」
7月28日
バルアス共和国
首都タレス
タレス軍管区会議場
「会議は10時から開始します。それまでどうぞごゆっくり」
「マーティン元帥閣下にお尋ねする。海軍の戦況が思わしくないことは既に周知の事実。負け続きの理由をお聞かせ願いたいのだが」
国政院議員の問いにあからさまに嫌な顔をしたのは、共和国海軍元帥にして総司令官のフォルスラ・マーティン。齢60、均整のとれたスマートな長身を紺色の制服に包み、どこかお人好しな雰囲気を醸し出す男……それが初対面で多くの人間が彼に抱く感慨であった。
「議員におかれては今回の敗北の責任すべてが海軍にあるとでも仰りたいのか?」
「第15師団の壊滅も、海軍がしっかりしていれば避けることができたでしょう」
「貴様……戦場を知らない政治家が見てきたような言い方を!」
「二人とも落ち着け。今は責任の所在を話し合う時ではない」
ダレン・ディビス防衛大臣の声で会議場は一気に静まり返る。
「少し早いが始めるとしようか……空軍のマーロー大佐、貴官の部下は実際にニホン空軍の戦闘機を間近で見てきたということだが……」
「はっ、バルデラ島からの報告で……私はカルロス・デラーク少佐の飛行隊に出撃を命じました。帰還したのは……たった8機……60機出してたったの8機です!」
「帰還したパイロットは何か言ってたか?」
「ニホンの戦闘機は機動性、速度、武器搭載能力どれをとってもTA‐87の比ではないと……全力で追尾しても引き離されたと」
「そうか……マーティン元帥、君の意見を聞こうか」
「まず……艦隊決戦においてニホン海軍に勝つのは至難の技かと」
「…………!」
その瞬間、会議場の気温が一気に下がったような気がした。
「元帥、君は伝統ある共和国海軍が勝てないと言うのか?」
「セレス級4隻を擁する第2艦隊の壊滅……生き残りの将兵の話では、ニホン海軍の旗艦は超大型の戦闘艦らしい。そいつは1隻でセレス級4隻を沈めた……」
「それは本当か!? 超大型とは一体どれくらい大型なんだ?」
「私も信じられません…しかし事実です。大きさについては詳しくは聞いておりませんが、我が海軍最大のフリューダー級を遥かに上回る巨艦だとか」
「フリューダー級を上回る巨艦だと?」
「駆逐艦の生存者が写真を……」
マーティン元帥の横に座っていた士官が拡大された写真を鞄から取り出す……
「これは……!」
その写真は暗闇に浮かぶ1隻の軍艦を写したものであった。しかしそれが常識では考えられない巨艦であることもすぐにわかる。
「海軍独自に分析した結果、推定ですが排水量でフリューダー級の数倍、全長280m、主砲口径は30cm以上という結果が出ました」
「悪い冗談だ!」
どこからかそんな声が聞こえてくる。
「まことに信じがたいことですが、それが存在するのです……」
「その巨艦を打ち破る方法は?」
「残念ながらありません」
会議場は重苦しい空気に包まれるばかりであった。