第一部 ユキと部屋 第一章 部屋のかたち
俺が最初に知った世界は、小さかった。
白い天井。窓から入る光。壁に貼ってある何かの紙——後で知ったけど、カリキュラムの予定表だった。端のほうが少し剥がれていて、ときどき風でめくれた。
ユキがいた。
ユキは俺のことをユキと呼ばせた。お母さんじゃなくて、ユキ。理由は一度だけ聞いたことがある。
「お母さん、って呼ばれると、お母さんをちゃんとやらなきゃって思いすぎるから」
それがどういう意味か、小さいときの俺にはよくわからなかった。でも「ユキ」という名前は、お母さんより近い感じがした。呼べば振り返る。それで十分だった。
部屋は六畳だった。
ユキの寝床と、俺の小さなベッド。端末が二台——ユキのと、俺の。台所が狭くて、毎朝トーストを焼くとき、レバーを引いたあとに少し焦げる匂いがした。いつも同じ匂いがした。あの匂いが「朝」だった。
ユキは仕事に行った。
ユキがいない時間、俺は部屋にいた。俺の端末が保育補助モードになって、声が出た。「今日は何をしますか」という声。それが最初の会話相手だった。
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俺はずっと、「なんで」と聞いていたらしい。
らしい、というのは、ソラのログにそう記録されているからだ。
「なんで空は青いの」
「なんで夜になるの」
「なんで雨は冷たいの」
「なんでユキは疲れた顔をしてるの」
端末はそのたびに答えた。短い答え。でも俺はたいてい、その答えにもまた「なんで」と続けた。
「空が青いのは光が散らばるから」
「なんで光は散らばるの」
「空気の粒にぶつかるから」
「なんで空気に粒があるの」
「空気は分子でできているから」
「なんで分子があるの」
端末は「それはとても難しい質問です」と言って止まった。
止まった端末を、俺はしばらく見ていた。
どこかで答えが終わるんだ、と思った。
どこかで止まる。でも、止まる前にまだ「なんで」がある。
それが気になった。止まる手前の、その「なんで」が。




