第6話 もう一度、歌う理由
駅前の広場は、夜になると少しだけ人が増える。
仕事帰りの会社員、待ち合わせ中の恋人たち、急ぎ足の通行人。
誰もが自分の世界を抱えたまま、冷たい風の中を行き交っていた。
瑛斗はベンチに腰を下ろし、ギターケースを開けた。
新品の弦は、指先にまだ馴染んでいない。
「……失敗したら、笑ってください。」
そう言って瑛斗は苦笑した。
「笑わない。
ちゃんと聴く。」
潤の言葉は短かったが、嘘はなかった。
瑛斗は深く息を吸い、ゆっくりと弦を鳴らす。
最初の音は震えていた。
だが、歌い出すと次第に声はまっすぐになっていった。
それは、さっきまでの“追い詰められた歌”とは違う。
うまくいかない日々も、否定された言葉も、
それでも前へ進もうとする気持ちが、音に込められていた。
足を止める人が一人、また一人と増えていく。
小さな拍手が起きた。
誰かが「いいね」と呟く。
ほんのわずかな反応だが、瑛斗の背中は確かに伸びていた。
歌い終えると、静かな拍手が広場を包んだ。
瑛斗は、驚いたように周囲を見回し、そして潤の方を見た。
「……聴いてくれて、ありがとうございました。」
その声は、胸を張った青年の声だった。
人波が散り始めたころ、一人の女性が瑛斗の前に立った。
30代前半くらいだろうか。
コートの襟を立て、真剣な表情をしている。
「……突然すみません。
あなた、オリジナル曲ですよね?」
「え、あ……はい。」
女性はバッグから名刺を差し出した。
「小さなライブハウスですけど、出演者を探していて。
年明けになりますが、よかったら一度……」
瑛斗は名刺を見つめたまま、言葉を失った。
「……俺で、いいんですか?」
「はい。
さっきの歌、すごく“生きて”ました。」
女性はそう言って、柔らかく微笑んだ。
女性が去ったあとも、瑛斗はしばらくその場に立ち尽くしていた。
「……おじさん。」
「なんだ。」
「俺……やめなくて、よかった。」
その一言に、潤の胸が強く締めつけられた。
“やめていたら、きっと一生後悔していた”
そんな未来が、ぎりぎりのところで避けられたのだ。
帰り道、瑛斗は何度も名刺を確認していた。
信じられないというように。
「……まだ、結果じゃないですけどね。」
「それでいい。
チャンスは、掴もうとした人の前にしか来ない。」
駅の改札前で、瑛斗は立ち止まった。
「おじさん……いや、皆川さん。
今日は……一生忘れません。」
「大げさだな。」
そう言いながらも、潤は少しだけ笑った。
瑛斗は深く頭を下げ、改札の向こうへ消えていった。
その背中は、来たときよりもずっと軽そうだった。
その瞬間――
「二人目、灯りました。」
あの声が、静かに胸に響く。
潤は夜空を見上げた。
冬の星が、遠くで瞬いている。
二人。
確かに、誰かの人生に小さな灯をともした。
残りは、あと三人。
それでも不思議と、孤独は薄れていた。
誰かの未来に触れたその感触が、潤自身を支えていたからだ。
東京の夜は冷たい。
けれど、12月の空気は、少しだけ優しくなっていた。




