09話 嫉妬(土御門茉莉花・視点)
陰陽課に配属された私は、警視庁の地下へと降りていった。
――陰陽課は、曰くつきの呪物や怪異の捜査・保管・封印を担当する部署。
必然、万が一の事態に備えて、地上から最も遠い場所に置かれている。
エレベーターで地下五階へ。
表示上は「地下四階」までしかないが、その下に隔離された階層が存在する。
エレベーターから降りると、そこから無数の呪符が貼られた鉄扉を開け、さらに奥へと進む。
「おーい、茉莉花! 来たか!」
明るい声に振り返る。
そこにいたのは――賀茂明楽。
幼いころ、家同士の行事で何度も顔を合わせた、あの人だった。
「久しぶりです。明楽さん」
「はは、やっぱり堅いなぁ。まあいい。ようこそ陰陽課へ。地獄の底の底だ」
軽口を叩く彼に、少しだけ肩の力が抜ける。けれど、私の目は自然と部署の奥――ある人物を探していた。
「どうかしたか?」
「あの……対極院禊さんはいないんですね」
「禊? ああ、出張中だ。――オカルト探索系YouTuber“無色ましろ”って知ってるか?」
「はい」
思わず頷いた。
無色ましろ。危険な廃墟や心霊スポットに入り込む配信者。
運がいいのか、いつも怪異の核心に触れながらも、無傷で帰還している不思議な人。
明楽さんは懐からスマホを取り出し、画面を私に向けた。
「これだ。数日前に“段ボール男”っていう都市伝説の現地調査をするって言ってな。禊はそれの対応に向かった。
あの子は相変わらず運がいい。もし配信が一日遅かったら、禊は今ここに掛かりきりになってただろうな」
「ここで?」
「ああ」
その瞬間――天井のライトが激しく点滅した。
地下のさらに下層から、ドン、ドンと鈍い音が響いてくる。
空気が震える。強烈な呪力の波が、足元から伝わってきた。
「……ほらな。ちょうど言ったそばからこれだ」
「地下に……何があるんですか?」
「ある呪物が運び込まれている。最初は俺たちで抑えられると思ったが、相手が悪かった。――見るか?」
私は黙って頷いた。
明楽さんの背中を追って、陰陽課のさらに下――地下六階への階段を下りる。
明楽さんは無言で扉を開いた。
警告するように通路の照明がチカチカと点滅する。
壁と天井には満遍なく貼られた呪符。
床にびっしりと書き込まれた呪文。
呪符は焼け焦げ、ところどころから黒い煙を上げている。
そして目に付く、苦しみ藻掻くような死体。――いや、これは幻だ。
これは怪異を見せる幻術。だけど、現実を侵食するほどの強力なもの。
息を詰め、心を引き締める。
――気をしっかり持たないと、怪異に呑まれる。
厳重な錠前を外し、明楽さんが金庫のように頑丈な扉を開けた。
中には、巨大な強化ガラスの筒。
床には五芒星が書かれていて、中心にある台座の上に“匣”が置かれている。
筒には呪符が無数に貼られていたが、半分以上が焦げて灰になっていた。
「……持つかどうか、微妙だな。禊が戻るまで、保ってくれりゃいいが」
「明楽さん、禊さんのこと……信頼されているんですね」
「そりゃあ、恋人だからな」
「――そう、なんですね」
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥がわずかにざわめいた。
理由はわからない。ただ、喉の奥に小さな棘が刺さるような感覚が残る。
明楽さんは匣を指差した。
「あれは“匣中咒竜”。
呪いの塊が竜の形を取ったものを、封じ込めた匣だ。
空港の保安検査で押収された。もし見つからず国内に持ち込まれて封印が誤って解かれていれば……政令都市が一つぐらいは、消えていたな」
政令都市――つまり、五十万人以上の死。
その数字を想像するだけで、背筋が冷たくなる。
――その瞬間、匣の中で何かが目を覚ました。
匣の中から蛇の低く唸るような音が響く。
そして筒に貼られている無数の呪符が、全て黒い粒子となって消え去った。
強化ガラスで出来た筒は、まるでバターのように溶けていく。
「くそっ。臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前」
明楽さんが舌打ちし、スーツの内側から符を抜き取る。
指先が描いた縦四本、横五本の結界線――だが、呪符は匣に届く前に霧散した。
私は懐から12枚の符の内、1枚を抜き取る。
先祖である安倍晴明さまが使役した十二天将の1柱を召喚した。
「来たれ、十二天将の一柱にして北西の守護者、天空! 私の名に従い現臨せよ!! 急々如律令」
符が光を放ち、蒼い狼――天空が顕現と同時に、匣は砂の様に崩れ落ちた。
黒い瘴気が噴き上がり、空間が歪ませ、現れた瘴気は竜の形へと変化。
その姿は禍々しく、呪詛の文様が刻まれた鱗に瞳は血のように赤い。
呪力が籠もった咆哮を上げると、床の五芒星が割れ、封印が解かれた。
「これが天空か!」
「はい。でも、天空の能力は相手の呪力の無効化。攻撃は――できません」
咒竜の瘴気と、天空の浄光がぶつかり合う。
光と闇の奔流がぶつかり、音が、空気が、世界が軋んだ。
「くっ……!」
結界を維持する呪力が、体を削っていく。
膝が震え、視界が揺れる。
私はただ、立っているだけで精一杯だった。
咒竜の咆哮が天井を砕き、熱を帯びた破片が頬を掠める。
痛みも熱も、もう遠い。
「天空、もう一度――!」
符を握り、呪力を流し込む。
急速に呪力が減っていく感覚を襲われる。
そのせいか、近くにいる明楽さんの声が遠くに感じる。
「茉莉花、下がれ!」
――下がれない。
動けば、結界が崩れる。
【■■■■■!!】
脳を焼くような叫びが響いた。
頭の奥に、黒い爪が刺さるような感覚。
天空の権能で相殺してなおこの威力――っ。
このままでは、呪いに呑まれる。
(もしも対極院さんだったら……)
きっと「スキル」を使用して、早々に終わらせていただろう。
誰も見たことのない異界の魔神を使役して、無数のスキルを使用する女性。
対極院神社の神子、対極院禊。
直接話した事はないけど、陰陽塾で行われる実技試験で、先生たちと使役する式神を瞬時に倒したところを見たことはある。
圧倒的な強さで、そこには華があった。
あんな風になりたいと思わせるものが、対極院さんにはあった。
対極院さんの事を考えていると、スマホが鳴った。
明楽さんは「禊だ」と言うとスピーカーモードで電話に出た。
『明楽? なんだか胸騒ぎがしたから電話したんだけど……そっちで何か起きた?』
「グッドタイミングだ! 空港の保安検査で押収した呪物が暴走している状態! 封印「壱」号室は半壊だ」
『……急いで向かっても数時間はかかる。行くまで抑えられない?』
「無理だ。俺の呪符は全て破壊されて、茉莉花の式神だけじゃあ抑えつけられない」
『茉莉花?』
「土御門の子だよ。お前に話したろ、安倍晴明さまの直系で、陰陽塾で好成績の期待の新人の子だ」
『ああ、そういえば言っていたような……。――あれ、確か十二天将は所持してるのだから、なんとかなるんじゃあない?』
「っ。……天空だけです。きちんと喚び出せるのは。他は……まだ」
『そう。使えない符は持ってる?』
「はい、持っていますけど――」
『なるほど。ちょっと待ってて』
しばらく電話の向こうで何かしている気配がした。
そして対極院さんは、信じられない事を言い出した。
『よし。土御門さん。召喚出来ていない符を全て出して、私が喚び出すから』
「そんなこと、出来るわけが――ッ」
『大丈夫。任せて』
「……禊が出来るというならやれるんだろ。それに俺たちには手段はない。茉莉花」
「――はい」
胸が痛い。
でも、今はそれどころじゃない。
私は十一枚の符を取り出した。
『私の名前は、対極院禊。■■が創造せし、十二天将よ。代行者として命ず。呪いを討て』
電話越しに響くその声とともに、符が眩く光を放った。
蒼、紅、金、黒――十二の光が部屋を包む。
六合、貴人、青竜、天后、大陰、大裳、騰蛇、勾陳、朱雀、玄武、白虎、そして私の天空。
多勢に無勢。
十二の守護が咒竜を囲み、瞬く間に押し潰した。
光が収まり、静寂が戻る。
その時、私は悟った。
――対極院禊という人には、勝てない。
陰陽師としても。
女としても。
理屈じゃない。ただ、胸の奥が焼けるように熱かった。
それが何なのか、すぐにわかった。
嫉妬。
陰陽師にとって、それは呪いの入口だ。
わかっているのに、止められなかった。
***
2時間後。
段ボール男という怪異事件を片付けた対極院さんは帰庁した。
女性同士ということで、私と彼女はバディを組むことになった。
禊さんは私の符を見せてほしいと言い、静かに手に取った。
数分の沈黙の後、微笑む。
「はい、土御門さん。少し調整したから、もう大丈夫。全部、召喚できるよ」
その笑顔が、まぶしくて直視できなかった。
私は笑って受け取った。
けれど、心の奥で、手が震えていた。
――超えてみせる。
この人を。どんな手を使ってでも。
実家の書庫で、古びた書物を漁る日々が始まった。
色々な本を読み漁っていると、どこからともなく声が聞こえてきた。
――安倍晴明が封じた強大な力が存在する――
声の主は懐に入っている符――十二天将の符からだった。
もしその力を手に入れられたなら。
私はきっと、あの人を超えられる。
超えて、奪って、理解させてやる。
この、惨めなほどの痛みを。
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