08話 Re:
天守閣の廻縁に立ち、私は赤く染まった空にぽっかりと開いた黒い孔を見つめていた。
その孔の奥底で、母さんが貯め込まれている龍脈の陰気を吸い上げて吸収している。
ジッと深淵のように深い孔を見ていると、隣に無色さんがやって来た。
「さっきのが、禊さんの、お母さんで、話に度々出てきていた魔神、なんですね」
「うん」
いつもは省エネという事で、霊力が高い者にしか見えない母さんだけど、龍脈の陰気を吸い上げるに対して、母さんは久しぶりに物理干渉できるまで世界に出現した。
その姿に驚いた無色さんに、母さんのことを説明した。
異界の魔神であることを。
人の躰を作り出して私を生んだことを。
常に私の傍にいて支えてくれていた事を。
「ふむ。いつも傍にいたせいで――お前は人との距離感を失った、というわけだな!」
天守閣の中、座布団の上で胡坐をかいていた夜魔が、酒をぐいと飲み干しながら言った。
「ぐ……痛いところ突くね」
否定できない。
母さんがいたから、私は何を言われても平気だと思ってた。
けれど実際は――誰かを避け、心を閉ざしていただけなんだ。
母さんがいたから、私は何を言われても平気だと思い込んでいた。
幼い頃、母さんと話している姿を見られて「不気味な子」なんて言われたことも、ずっと心の奥に刺さっていた。
明楽とは陰陽課に配属されて、茉莉花がくるまで相棒として一緒にいる事が多かった。
そうしている内に気が合って、そのまま付き合い始めた。
――だけど、今思う。
もっとちゃんと話し合っていれば、違う未来があったのかもしれない、と。
「禊さん!」
「な。なに? 無色さん」
「ましろ、です!」
「ま、ましろ?」
「はい! 禊さんと私は、一緒に罰を受けて過去に戻る「運命共同体」なんです。だから――苗字で呼ぶのはやめてください。名前で、呼んでほしいです!」
「分かったよ。ましろ」
「はい!」
笑った。
ましろが見せた、その笑顔がやけに眩しくて――少しだけ、救われた気がした。
その瞬間、空が閃光に裂かれた。
稲妻が孔を貫き、空気がビリッと震える。
空そのものが怒っているみたいな圧力が、世界を押し潰していく。
「――狐め。此処を見つけたか!」
夜魔が立ち上がり、廻縁へ出る。
その表情には苛立ちと緊張が混ざっていた。
「どういうこと?」
「怪異のエネルギーの源は陰気だからな! それを大量に溜め込んでいる場所で、更には怨敵がいるとなれば、向かってくるだろう!」
「怨敵って」
「魔神とお前とついで我だな!!」
「……あー、やっぱり」
うん。分かってた。
母さんは九尾を追い詰め敗走させた存在。
私は安倍晴明から妖の部分を引き剥がした六道の直系子孫。
夜魔は六道の母親の肉体を持つ式神で、長年、陰気を集めて復活の邪魔をしてきた張本人。
その3体が一ヵ所に集まっているのだから、復讐に来るな、って方が無理な話だ。
階段から足音がした。
私たちが脱いだ服が入った籠を持って、鮮罪と遊罪が姿を現した。
「対極院禊。無色ましろ。お前たちが着てきた衣服だ! 着替えろ」
「えっ、また? 一回脱がされたのに?」
「保険だ! 六道さまも念には念を入れる方だった! 内容は聞くな、これは万が一に備えるための措置だ!!
それと過去に戻った時に、トンネルを塞ぐ封印を解け! あれは人を入れなくするだけではなく、龍脈も閉じる効果がある!!
少しだが復活を遅らせられるかもしれん!!」
「わかったよ、夜魔」
聞いても教えてくれそうにない。
私は鮮罪から、ましろは遊罪から籠を受け取った。
「鮮罪と遊罪。お前たちは罪華の応援へ行き、2人が過去に行くまでの時間を稼げ!」
[わかりました]
「はい」
鮮罪は口で、遊罪はノートで、それぞれ返事をすると、階段を下って行った。
空を見上げると、亀裂が走った。
空間そのものが悲鳴を上げ、砕け散った空間の向こうに――獣の瞳が、ゆっくりとこちらを覗く。
――見つかった。
その瞬間、全身の血が凍りつく。
肌の下を這うような殺気が、魂の奥まで染み込んできた。
隣でましろが震え、私の腕にしがみつく。
その細い指先が、わずかに冷たかった。
――怖い。でも、離れない。
その温もりが、妙に心強く感じた。
空間が歪み、青白い光が渦を巻きはじめる。
音もなく、ただ現実がねじれるように、異界の門が開いた。
≪禊。それに飛び込みなさい。過去に戻れるわ≫
「母さんは?」
≪私はまだここでやることがあるの。――安心しなさい。この私も、向こうへいくつもりよ≫
「……うん。待ってるからねっ」
私はましろの手を握った。
「いくよ、ましろ」
「――はいっ!」
青白い光が、視界を呑み込む。
世界が裏返った。音も、重力も、温度も、すべてが消えていく。
――真っ黒な空間。
目を凝らしても、何も見えない。
ただ、自分が“落ちている”という感覚だけがあった。
ましろの手のぬくもりも、もう感じない。
「ましろ……?」
返事はない。
代わりに、どこからか水のような音がした。
その先に、青く光る鏡面が浮かんでいた。
水面のようにゆらめきながら、そこには――タクシーの中の私が映っていた。
……見覚えはある。
隠冥村へ向かうタクシーの一場面。
私は映し出された鏡面にぶつかり――視界が、白く弾けた。
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