04話 過ち(無色ましろ視点)
空気が、変わった。
肺に入るたび、何か古い血の匂いが混ざっている。
けれど、そのすぐ前を歩く禊さんの背中が見えると――少しだけ、安心した。
ポニーテールにまとめられた黒髪が、歩くたびにふわりと揺れる。
そのたび、指先がうずく。
――ダメ。そんなこと、絶対に言えない。
私はただの“知りたい人間”。
禊さんのことを何も知らない、他人にすぎない。
だからこそ、知りたいと願ってしまう。
知り合いになりたいと、心の底から思ってしまう。
先頭を歩くのは、赤髪の鬼の少女――罪華。
目元を包帯で覆っているのに、まるで見えているみたいに私たちを“見据えて”くる。
その笑い方は挑発的で、どこか哀しい。
「あ、あの……目は、どうしたんですか?」
気づいたら、口に出していた。
罪華は立ち止まり、首をかしげて笑う。
「見たいの?」
嫌な予感が背筋を這った。
けれど、目をそらせなかった。
罪華は、包帯をほどいた。
――眼球が、なかった。
「ひ……っ!」
息が詰まる。
罪華は淡々と、まるで独り言みたいに言った。
「目は、自分で潰したんだ。
僕にはね、“人の罪が視えるスキル”がある。
……でも、あまりにも汚くて、気が狂いそうになった。
だから、見ないことにした。自分で、視るのをやめたんだ。」
その声は軽く笑っていたけど、どこか達観しているようにも聞こえた。
禊さんは何も言わず、静かに彼女を見つめていた。
その横顔が、あまりにも綺麗で――息をするのも忘れそうになった。
気づけば、胸が痛くなっていた。
たぶん、これは怖さじゃない。
名前をつけるのも恥ずかしい感情。
罪華の言葉を聞いても、禊さんは一切表情を変えない。
その静けさが、逆に恐ろしいほどで――
けれど、どうしようもなく惹かれてしまう。
罪華の案内で進むうちに、森が開けた。
木の柵で囲まれた集落――“隠冥村”。
外からの光を拒むように、沈黙していた。
罪華が呼びかけると、門がギィ……と開く。
中から、黄色の髪をした鬼が現れた。
氷のような無表情。その瞳の奥は、空のように深く、何も映していない。
彼女は無言のまま、指で古びた小屋を示した。
罪華が軽く笑って通訳する。
「向こうで、着てるものを脱いで、白い布を着ろってさ。」
「断ったら?」
禊さんの声は、低くて冷静だった。
けれど、その声音には、私を庇うような芯の強さがあった。
罪華は肩をすくめる。
「罪人に断る権利はない。大人しく言うことを聞いた方が、身のためだ。」
――罪人。
その言葉が胸に刺さる。
心当たりは……ある。胸の奥がキュッと痛む。
――私の罪。
あの日のことを、今でも夢に見る。
友達と遊び半分で、曰く付きの神社へ肝試しに行った。
昔から「邪悪なものが封印されている」と言われていたけど、誰も信じていなかった。
だから罰ゲームで社に入った私は、怖さより好奇心が勝った。
中は静かで、埃っぽいだけ。
何も起きなかったから、私は笑って帰った。
――でも、夜になって異変が起きた。
家の空気が、どこかおかしかった。
闇の中で、形のない「何か」が、私を見ていた。
声も出せず、体が凍りついた。
悲鳴を聞いた両親が駆けつけ、私を庇って――血を流した。
その赤を、今も夢で見る。
怪異に喰われかけた私の前に、光が差した。
闇を裂くように現れたのは、“陰陽少女・祓ちゃん”だった。
祓ちゃんは怪異を一瞬で祓い、瀕死の両親を救った。
その姿は、現実じゃないほど眩しかった。
――あの人がいなければ、私は死んでいた。
その事実が、今でも私を生かしている。
今、思う。
姿は違うけど、禊さんは祓ちゃんにどことなく似ている。
声の温度も、瞳の奥の静けさも。
でも、確かめたくなかった。
もし同じ人なら、私は“あの日”と再び向き合わなければならない。
だから今は、知られたくなかった。
小屋の中は、暗くて冷たかった。
籠の中には白い布。死装束のように見える。
「あの……やっぱり、下着も脱がないとダメなんですよね」
言いながら、自分でも赤面した。
禊さんが、ほんの少しだけ笑った気がした。
「そうだね。着ている物を脱ぐって言われた以上、下着も対象だと思う」
その声が落ち着いていて――好きだった。
地獄の中でも、きっとこの人は崩れない。
どんな暗闇でも、手を伸ばしたら掴める気がする。
私は震える手で服を脱ぎ、白い布を取った。
誰かがつい先ほどまで着ていた温かさがある。
「……変な感じですね」
思わず言うと、禊さんは「そうだね」とだけ答えた。
その短い言葉に、温度があった。
外では、罪華が立っている気配。
目が見えないはずなのに、確かに“見られている”。
息を止め、禊さんと視線を交わす。
その瞬間、怖さがふっと薄れた。
禊さんの瞳は、夜のように静かで、でもどこか優しかった。
(……この人がいるなら、きっと大丈夫)
心の奥で、そう呟いた。
それは祈りのようで――恋みたいだった。
「……着替え、終わりました」
私の声が震える。
禊さんが軽く頷き、扉を開ける
恐怖がふっと薄れた。
禊さんの瞳は夜のように静かで、でもどこか優しい。
(……この人がいるなら、きっと大丈夫)
心の奥で呟く。
祈りのようで――恋のようで。
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