第3話「薔薇の裏切り」
城の石垣は、夜の闇に黒く沈んでいた。風が吹くたび、焦げた木の匂いと血の匂いが混ざり、雪乃の鼻を刺す。
広場に散らばった人々の亡骸——その中には、蒼の目の前で倒れた少年の顔もあった。
「雪乃……どうして……」
蒼の声は震え、喉が詰まっていた。彼の手はまだ血に濡れている。
雪乃は視線を落とさず、黒薔薇の花弁を指先で払った。静かに、しかし凛とした口調で告げる。
「代償です。救済には、必ず代償が伴う……」
蒼の怒りが沸き上がる。
「お前の代償で、無実の者が死んだ! 民を守るって、そういうことか!」
雪乃は眉をひそめたが、反論はしない。胸の奥にあるのは、救いたいという強い意思と、代償による罪悪感——。
悪魔は微笑む。黒薔薇が静かに近づき、雪乃の肩に触れる。
“裏切りは、必然。誰も救われぬ世界で、愛は血の代価を払うだけ――”
その言葉を聞きながら、雪乃の視界に領主の女将の姿が映る。民を匿うため城を守ろうとしたが、兵に囲まれ絶望的な表情。
「雪乃……あなたの力は、呪いよ……!」
雪乃は微笑む。悲しげで、しかし凛とした微笑み。
「それでも……私は救いたい」
その瞬間、城内で火の手が上がった。将軍の奸計だ。信仰の盾となる教会を襲う兵たち。逃げ惑う信徒たち、泣き叫ぶ子供たち……
雪乃は黒薔薇の力を解き放つ。炎と血が混ざり、兵と民の間を瞬時に切り裂いた。だが、その代償として、周囲にはまた新たな死が生まれる。蒼の腕にかかる民の亡骸、子供の小さな手のひらに残る薔薇の花弁——誰も救われず、誰も報われない。
「雪乃……!」
蒼が怒号を上げ、彼女に駆け寄ろうとする。だが、雪乃は振り返らない。
「覚えておいて、蒼。私の不死は、誰か一人の命でしか成り立たない。だから……私は……」
涙が頬を伝い、赤く染まる黒薔薇の花弁と混ざった。
その時、黒薔薇が全身を包み、雪乃の意識を掴む。
“薔薇は咲く。血で満開になる。お前の祈りは、裏切りの上に立つ”
雪乃は拳を握りしめ、闇に向かって立ち上がった。胸の奥に、救済と惨劇が交錯する——
夜は深く、島は再び血の薔薇に覆われる。
祈りは、もう届かない。
誰も救われず、誰も報われない——島は呪いの夜に沈み続けた。




