王座と影
王都ベルメルシア。王宮の中央塔、玉座の間の裏手にある小広間。
ここは政務と私的交渉が交差する、王国でも最も緊張感のある空間の一つだ。
レオンハルト=シュトラール王太子は、窓際の椅子に静かに腰掛けていた。
黄金の髪が朝陽に照らされ、まるで彫像のように美しい横顔が浮かび上がる。
「……なるほど、彼女が“辺境”で評判を立てているか」
彼の前に立つ男は、王宮随一の情報官――ハルトムート=ノイエン。
年齢不詳の風貌に、冷静沈着な瞳。
常に無表情で、声の抑揚も乏しいが、その報告には一分の無駄もない。
「はい。アルヴェリス嬢は、砦にて内政・魔物討伐の両面で成果を上げております。
彼女の存在によって、いくつかの村では民心が安定し、物資の流通も改善されたとの報告です」
「……あの時、婚約破棄したのは間違いだったのかもしれないな」
レオンハルトは、書簡を指でなぞりながらぽつりと呟く。
だがその声には悔恨よりも、むしろ“興味”が滲んでいた。
「その一方で、現在“王太子妃候補”であるミリアンヌ嬢については……」
「言わなくても分かる。あの子が政務にも魔術にも通じていないことは、ここ数か月でよく理解した」
レオンハルトの声は低く、どこか空虚だった。
「彼女は、政治の道具にすらなれない。ただの“飾り”だ。
だが貴族院は彼女を推している。今は、否定するわけにもいかん」
「そのために“外交任務”という名目で、砦へ送ったのですね」
「そうだ。政務に口出しできぬ場所に置いておきたかった。……もし、そこで何かが起きても、王宮は関知せぬ」
冷酷なようでいて、王族としての“現実的な処理”だった。
「だがセレナがその砦で頭角を現し始めたとなると、話は別だ。
あの女は、まだ終わってなどいなかったのか」
レオンハルトの瞳に、一瞬だけ火が灯った。
「ハルトムート。お前は彼女をどう見る?」
「……王妃に相応しい器かどうかは判断できませんが、“使える”とは申し上げられます」
「ほう?」
「辺境での短期間の実績と、民の支持。
それは、一朝一夕に得られるものではありません。
仮に彼女を再び都に呼び戻すことができれば……陛下の信任も、得やすくなるかと」
レオンハルトは立ち上がり、窓の外に目を向けた。
「……あの時の婚約破棄は、私にとって“勝利”だった。だがそれは“人としての勝利”ではなかったのかもしれないな」
彼の顔には苦笑が浮かぶ。
だがそれは敗北の色ではない。新たな駒をどう動かすかを楽しむ、王族の顔だった。
「ハルトムート。引き続きセレナを監視しろ。……だが手出しはするな。
彼女がどこまで上がるのか、もう少し見てみたくなった」
「御意」
静かに一礼して、情報官はその場を後にした。
玉座の間に続く扉が閉じると、レオンハルトは深く椅子に腰を下ろし、呟いた。
「“辺境の魔導姫”か……面白い。
玉座に最も近い場所から最も遠い地に落としたつもりだったが――
気づけば私の視界の中に戻ってくるとはな、セレナ」
その声には、微かな焦りと、高揚が入り混じっていた。