セレナの拒絶
「セレナ=アルヴェリス様、これは……王太子殿下からの正式な招待状です。できれば、強制的な手段は取りたくないのですが……」
ギルバートは、胸元から封をされた文書を差し出した。
それは確かに、王家の紋章が刻まれた正式なものであった。
だが──
「“正式な”?」
セレナは薄く笑う。
まるで、過去の自分を試すように。
「私は、貴族籍も爵位も、家も名誉も、すべて“王太子”の名のもとに奪われました。私の“招待”を今さら正式と呼ぶなら、ずいぶん都合のいいお話ですね」
ギルバートは一瞬、言葉に詰まる。
彼はただの使者。セレナの真意までは知らなかった。
「……王太子殿下は、セレナ様のご活躍を耳にして、ぜひ一度……直接お話をと──」
「“活躍”?」
セレナの声が低く落ちる。
「それは、王都の令嬢を『婚約破棄して追放した』報いを恐れてのことかしら。それとも、辺境で力を示した私を、“利用できる”と思ったから?」
「……」
ギルバートの表情が、苦しげに歪む。
それを見て、セレナは息を吐いた。
「あなたに罪はないわ。ご苦労様。でも、私は戻らない。──たとえこの命尽きようとも、二度と“あの場所”へは戻らない」
ギルバートはしばらく黙っていたが、やがて短く頭を下げた。
「……伝えます。ですが、“王都”は、セレナ様を見過ごしません。ご覚悟を」
•
その数日後──王都。
「なんだと……!? セレナが“王太子の呼び出し”を拒否した!?」
貴族たちの間に衝撃が走った。
会議の場、レオンハルト=シュトラールは、表情を変えずに報告を聞いていた。
だが、指先はわずかに震えていた。
「まさか……あのセレナが、王家の命令に逆らうなど……!」
「噂では、辺境の村ひとつを“魔法”だけで再建させたとか……」
「いや、それどころか、魔導ギルドが“高位特級”として登録を検討しているという話も……」
その場にいた誰もが、かつて「無能」と切り捨てた少女の成長に、言葉を失っていた。
レオンハルトはふと、かつての自分の言葉を思い返す。
──「君のような女は、王妃にはふさわしくない」
──「魔力ばかり強くて、優雅さに欠ける」
──「君は……俺の足を引っ張る」
あの時のセレナの顔。唇を噛み、震える手で頭を下げた彼女の姿。
そのすべてが、皮肉のように今の自分に突き刺さる。
「まさか……俺が間違っていたとでもいうのか?」
それを否定するように、レオンハルトは立ち上がった。
「……再び、招待状を送れ。今度は、王命としてだ」
だが、その場にいた一人の文官が言った。
「──申し訳ありませんが、それは危険かと。セレナ様は現在、民衆から“聖女”のように崇められております。王命による強制召喚は、王家の悪評につながる恐れがございます」
「……っ!」
レオンハルトは歯噛みする。
“王太子”という地位ですら、今の彼女の前には小さく見えてくる。
彼はようやく、気づき始めていた。
──あのとき、手放したものが、どれほどの価値を持っていたのかを。
同じ頃、セレナのもとには、別の人物が訪れていた。
「……あの、セレナ様。少し、お時間をいただけますか?」
小柄な青年。だが、背筋は真っ直ぐで、瞳は真剣だった。
「私は王都の西部にある小領の領主です。実は、近くの砦が魔物に襲われており……王都は援軍を送ってくれません。どうか、力を貸していただけませんか」
セレナはゆっくりと彼を見つめた。
そこにはかつての王都にはなかった“誠実な願い”があった。
「……いいわ。私でよければ」
その言葉に、青年は目を潤ませて頭を下げた。
「ありがとうございます……!」
「でも、一つだけ条件があるの」
「はい?」
「──その砦に、かつて王都から派遣された“ミリアンヌ=ロシュフォード”という女がいれば──私の顔を見せるだけでいい。取り次いでもらえるかしら。あとは、向こうが勝手に取り乱してくれるから」