追憶の復讐者
霧がかった禁域の静寂の中で、セレナは銀の仮面の男をじっと見据えていた。
彼の背には六枚の羽根を思わせる白い意匠が浮かび、その姿はまるでこの世の者とは思えぬ威厳を放っていた。
男は静かに手を額へとやり、銀の仮面をゆっくりと外す。
そこに現れたのは、年齢を超越したような老齢の顔。
深い皺が刻まれ、白髪が薄く舞うその姿は、若く見えていた仮面の裏側の真実を示していた。
仮面が地に落ちる音が、冷たい空気の中で小さく響く。
「驚いたか?」
彼の声は低く、震えることなく、まるで長い時を耐えてきた者のように静かだった。
セレナは呼吸を整え、問いかける。
「あなたは……一体、何者なの?」
男は少しだけ微笑みを浮かべた。
「名はイスクダール=アルステル。三百年前に滅びた王家の末裔だ」
セレナは眉をひそめる。
「末裔……? どういうこと?」
彼はゆっくりと歩みを進めながら語り始める。
「時は残酷だ。かつてこの国には、王たちが君臨し、魔導の力も王の力の一端に過ぎなかった。
しかし、内乱と陰謀が渦巻き、我が一族は滅ぼされた。
子であった私は、時術という禁忌の術を駆使し、命を延ばし、数百年の時を……ゆっくりと生き延びてきたのだ」
イスクダールの瞳は、どこか遠い過去を見つめるように揺れていた。
「虚月の影――表向きの目的は、国家の秩序を守り、制御できぬ才能を排除することと言われている。だが、それは偽りだ。我々の真の目的は、滅びた王家の復活。失われた王座を取り戻すことにある」
セレナは言葉を失い、ただ黙って彼の話に耳を傾ける。
「私は密かに影の組織を築き上げた。表の世界からは隠れ、時の流れを操りながら、復活の機会を待っていた。
幾人かの長老たちもまた、我が一族に仕えた従者の生き残りである。彼らもまた、私の魔導の力で時の経過を遅らせ、この日を待っていたのだ」
冷たい風が吹き抜け、禁域の空気が一層重く感じられた。
「なぜ……そんなことを?」
セレナの声には、憤りと困惑が混じっていた。
イスクダールは目を細め、静かに答えた。
「この世界は変わりすぎた。かつての王家が築いた理想は、今や朽ち果てた。
だが、我々の誇りは消えない。かつての栄光は、取り戻されねばならぬ。時を超え、我が王家の名を再び世に知らしめるのだ」
その言葉には、揺るぎない決意と同時に、どこか哀しみの影もあった。
セレナはじっとその表情を見つめた。
「……それがあなたの望みなのですね」
イスクダールは静かに頷いた。
「そうだ。だが、これは我が一族の宿命でもある。
幾世代にもわたる苦難を乗り越え、遂にこの時代に我らは甦る」
その時、セレナの心に疑念が湧いた。
(この男の思いは、ただの復讐や権力欲だけではない。過去の悲劇に縛られた、強烈な使命感。
だが、それは果たして世界の未来にとって正しい道なの?)
「あなたは、どうして私をここに導いたのですか?魔導学府の消失の件、虚月の……いえ、あなたの仕業ですよね?」
セレナは更に問い詰める。
「私を品定めする為だけに……学府を巻き込んだ……その力以上に考えそのものが正気の沙汰とは思えない」
イスクダールの目が鋭くなる。
「お前は興味深い存在だ。強き魔導師、私と同様に禁忌である時術をも操る異端の魔導姫。そしてなにより……」
一呼吸後にじっとセレナの目を見据える。
「その魔導力以上にその素性だ。お前は私と同じなのだよ魔導姫。その本質は憎悪に満ちた復讐者……本当の意味での同胞と呼ぶに値する存在と、そう判断した」
セレナはその言葉を黙って聞いていた。
「我々の理想に共感すれば、我が王家の力となれ。共にこの世界を再構築しよう」
その言葉は甘い誘いのようであり、同時に厳しい試練の宣告のようでもあった。
セレナの拳が固まる。
イスクダールの言う事は己の本質を含めて正論なのかもしれない……それでも……
「……私は、みんなの幸せな未来を壊したくない」
イスクダールの瞳に一瞬、冷たさが宿った。
「愚かだな。理想と現実の狭間に立つ者よ」
禁域の空気が一層張り詰め、二人の間に静かな緊張が流れた。
時の流れを越えた王家の復活と、未来を守ろうとする少女の決意。
それは確かな決裂を意味していた。