“辺境の魔導姫”と呼ばれて
──その噂は、王都を越えて各地へと広がっていた。
“辺境の村に現れた、銀髪の魔導士”
“かつて王太子に婚約破棄された令嬢”
“盗賊団を一夜で殲滅した最強の女魔導士”
そして、人々は彼女をこう呼ぶようになった。
──辺境の魔導姫。
「……ちょっと、なんなのよこの呼び名っ!」
王都・ロシュフォード侯爵家の屋敷で、ミリアンヌが手元の新聞を破り捨てた。
そこには大きく「辺境の魔導姫、子どもたちの命を救う!」の文字が踊っていた。
「民間紙のくせに、なに勝手に持ち上げてるのよっ……!」
手を震わせるミリアンヌの背後で、侍女たちがひそひそと声を交わしていた。
「前よりも……ミリアンヌ様、ちょっと怖くなったわよね……」
「だって、あのセレナ様って、もともと優しかったし……怒った顔、想像できないくらいだったのに」
その声が耳に入った瞬間、ミリアンヌの表情が凍った。
「──……出ていきなさい」
「え?」
「出ていきなさいって言ってるのよっ!! セレナ、セレナって……何よ、あの女がそんなに偉いの!? 辺境でちょっと暴れたからって、王都の私を差し置いて!?」
侍女たちが顔を見合わせ、そそくさと部屋を出ていく。
残されたミリアンヌの眼には、恐ろしいほどの嫉妬と焦りが宿っていた。
「まさか……私の婚約者のレオン様まで、あの女のことを気にしてるんじゃ……?」
疑念はやがて確信へと変わり、ミリアンヌの思考は“排除”へと向かっていく。
その頃、セレナはというと──
「ほら、火加減はこのくらいで。焦がしすぎないようにね?」
「はーい! 魔導姫さま!」
「“魔導姫”じゃありませんってば……!」
辺境の村の共同広場で、子どもたちにパンを焼かせながら、笑っていた。
周囲の村人たちも、彼女にすっかり心を許している。
「セレナ様の魔法は、畑にも効くし、怪我も治してくださるし……」
「ほんとに、神さまみたいだよなあ。こんな小さな村に、こんなすごい方が……」
セレナは笑みを浮かべながらも、胸の内でこう思っていた。
──王都では、私は“足を引っ張る令嬢”だった。
──魔力の強さすら「危険だ」と煙たがられた。
けれどこの村では、皆が感謝してくれる。
傷を癒せば「ありがとう」と言ってくれる。笑いかければ、笑い返してくれる。
──優しさを、見返りなしに施せる世界。
──それこそが、私の求めていた“居場所”。
「……それでも、許せないわ」
呟いた声は、小さくて誰にも聞こえなかった。
けれど、その声には確かな意志があった。
「私からすべてを奪って笑っていた者たちには、正しい“結末”を見せてあげる」
その翌朝。
村の外れに、馬車が一台止まった。
王都の紋章が刻まれた、豪奢なそれに、村人たちの目が釘付けになる。
「セレナ=アルヴェリス様。王太子殿下より、お呼び出しです」
馬車から降りてきたのは、王太子直属の近衛騎士──ギルバート。
彼はセレナを見ると、ほんの一瞬、驚きと──微かな尊敬の色を浮かべた。
「まさか、ここまで……」
セレナは、静かに応じた。
「……“ようやく”ですか」
「……え?」
「追放した私が、どこで何をしているか、やっと気になったのですね。今さら呼び戻し? それとも、罪を着せに来たのかしら」
「い、いえ。そういう意図では……!」
「……私は、もう“令嬢”ではありません。辺境の人々と共に生きる魔導士です。それでも、“王都の都合”で来たというのなら──」
セレナはそっと、手を掲げた。
空気が震え、草木がざわめく。
「──その意図、測らせてもらいます」