絶望の神殿
空は晴れていた。けれど、神殿の上にだけ雲がかかっているようだった。
セレナは風を切る音を聞きながら、荒廃した谷底に立っていた。足元に広がるのは、古代文字が刻まれた円形の石盤。ルミナリアに残された文献にあった、《歪の神殿》だ。
彼女はマントを翻して、崩れた石柱のあいだから中へと進んだ。そこには時間の感覚がなかった。昼も夜もわからない。ただ、ひたすらに空気が重かった。
――この神殿には、「記憶」を閉じ込める術式が刻まれている。
そう資料にあったが、実際の空間は想像以上だった。重力が歪んでいるのか、歩けば歩くほど、視界が反転していくような錯覚に陥る。
やがて、空間の奥に、彼女は見つけてしまう。
自分自身の姿を。
白い髪。蒼いマント。だが、その目は、今の自分と違った。あの頃、ルミナリアが消え去った直後の、絶望のまま凍りついた自分――“幻影のセレナ”。
「……私が壊したのよ」
幻影は、呟くように言った。
「全部、私が……壊してしまった」
セレナはその言葉に目を細めた。
「それは違う」
声に力を込める。
「私たちは、誰かに時間を盗まれたの。歪められたのよ。あれは、私たちの意思じゃない」
幻影のセレナは小さく首を振る。そして、視線を落とした。
「そうかもしれない。でも……知ってる。あなたは、また壊す」
その瞬間、空間が軋んだ。神殿の壁が光を帯びて、次々と石碑が浮かび上がっていく。
それらはすべて、かつて存在した“時間の断片”――ルミナリアの喧騒、声、笑い、そして、火の粉。
セレナの目が見開かれる。
「……これは、記憶の粒子」
神殿は、時間を封じるだけではない。世界の外側に“押し出された時間”を一時的に保存する、保管庫だった。
彼女は浮かぶ文字のなかに、一つの違和感を見つける。術式の一部に、見覚えのある印章があった。
「……これは……王都魔導庁の上級印」
指先が震える。
つまりこれは――
「……事件の裏に、王都の魔導師が関わっていた……?」
足元が揺れ、神殿の核が崩れ始めた。時間の檻が反応している。
セレナは、最後の問いを投げかける。
「もし私が、また時間を壊す存在だったら。誰かの“歪められた記憶”を正したいと思ってはいけないの……?」
その言葉に幻影は微笑んだ。
「戦って、セレナ。たとえそれが、またひとりになることでも」
「……うん。誰も、記憶から消されたりしないように」
神殿を出ると、空は晴れ、光が差していた。
セレナは一度振り返る。そして、歩き出す。