滅びを呼ぶ声
辺境地帯、第九環。
古くから「魔導断層」と呼ばれる、自然と魔力の流れが大きく乱れる地帯がある。
断層の中心――かつて神々を祀ったとされる《沈黙の祠》。
その奥深く、現代の魔導とは異なる“旧文明の痕跡”が今も眠っていた。
その闇の中を、ひとつの気配が静かに歩く。
セレナ=アルヴェリス。
かつての魔導学府ルミナリアの象徴。
今は“学府を滅ぼした魔導暴走者”として追われる存在。
だがその背は、怯えも迷いも見せなかった。
彼女はただ“確信”を求めて、過去の遺構を訪れたのだ。
(この祠に……“時間を封じる術式”の痕跡がある)
王都の星読みによって明かされた“時の檻”という真相。
それが意味するのは、ルミナリアが死んだわけではない。
あの学府とすべての仲間たちは、“今この世界に存在しないだけ”だ。
(私が……必ず、取り戻す)
その意志を胸に、セレナは最奥の魔導基柱へと手をかざした。
途端に、古代文字が刻まれた基柱が淡く光る。
そして――声が響いた。
「ついに来たか。時の扉を開く者よ」
暗闇の奥から現れたのは、銀の仮面をかぶった人物だった。
白い法衣のような装束に、背に六枚の羽の意匠。
その姿を見て、セレナは即座に構えを取った。
(……“虚月の影”。ここにも)
「名乗るまでもない。我々は君を知っている。君がルミナリアの鍵であり、“世界を縫い直す者”であることも」
その口調に、敵意はない。
だが、確かな支配の意志がこもっていた。
「君の力を借りたい。世界の歪みを、かつての時に戻すために。虚月は、失われた記憶の回復を志す組織だ」
セレナは答えない。
その眼差しは冷たく、鋭い。
「……ふむ。沈黙を貫くか。ならば、こちらも力で語るのみだ」
男が合図を送ると、周囲の空間が波打った。
祠の壁から黒い霧があふれ、異形の獣がいくつも姿を現す。
人の影に似た魔物たち――“残響獣”。
その中でも一体、異様に巨大なものがいた。
背に複数の仮面をぶら下げ、何本もの腕を持つ醜悪な魔獣。
「……“虚月の残響”……」
セレナの声が漏れる。
その魔獣は、かつて封印区画に記録されていた“管理不能級”の存在。
(王都ですら、存在を隠蔽していた……それが、なぜ)
その問いに答えるように、仮面の男が囁く。
「君が消えれば、この世界は“記憶を失ったまま”動き続ける。それは君の望む未来か?」
「…………」
セレナは静かに息を吐いた。
魔導陣が、彼女の足元に浮かび上がる。
《多属性複合展開式・霧雷火氷結合陣》
淡い霧が空間に広がり、雷が絡み、火が揺らぎ、氷が空間を締める。
セレナの背中に、白銀の風が舞った。
――そして、彼女は動いた。
*
雷鳴とともに突進してきた“残響獣”の一本腕を、雷の刃が切り裂いた。
後方から噴き出す火の奔流が、魔物の腹を焼く。
上空からは氷槍が降り注ぎ、霧がその動きを封じる。
一瞬の連携。だがすべてを一人で制御する芸術のような魔導。
祠の中が揺れた。
虚月の影の使徒たちが息を飲む。
「これが……一人の魔導士の力か……!?」
仮面の男も、ただ黙ってその光景を見ていた。
やがて、残響獣が断末魔のような咆哮をあげ、霧の中に崩れ落ちた。
セレナは、一歩も退かぬまま、静かに手を下ろす。
「力が欲しいなら、自分で探せばいい。過去に囚われるな」
低く、しかし確かに凛と響く声。
仮面の男は、その言葉にわずかに目を細めた。
「……なるほど。やはり君は、“希望”だな。
だが、希望は裏返せば最も美しい絶望にもなる」
その言葉を最後に、男の姿は霧の中に溶けるように消えていった。
セレナは一人、廃墟に立ち尽くす。
そして、囁くように言った。
「……私は、未来のために立つ。誰にも奪わせない」
風が吹いた。
その背に、ほんの僅かに、希望の光が差し込んだ。