星読みの街
陽も落ちきった頃、霧の渓谷を抜けた先に現れる、辺境の小都市――ミオルナ。
その名は、古より“星の動きを読む街”として知られていた。
かつて魔導と星術が密接に結びついていた時代、ここでは「星読み」と呼ばれる占術師たちが王の助言役を務めていたという。
今はその面影も薄れ、静かな観光と交易の街へと変貌していたが――
街の奥、古びた天文塔だけは、今も灯を絶やしていなかった。
――その塔の頂に、少女が佇んでいた。
年の頃は十四、十五、透き通る銀髪に金色の瞳。アミエル=リゼル。
年若き星読みでありながら、並の術士とは一線を画す精度で未来を読む力を持つ少女だ。
「来たのね。……魔導姫」
霧を纏った戦術コートにフードをかぶり、セレナ=アルヴェリスは無言で現れた。
「あなたが来ると、星が囁くの。……“まだ、終わっていない”って」
言葉は交わさずとも、アミエルは静かに微笑み、塔の中央に魔導星盤を起動する。
セレナは何も言わず、足元の魔導盤に視線を落とした。
「……星は騒いでいるわ。失われたはずの時が、“まだ動いている”って」
セレナの視線が、魔導星盤に宿る淡い光を見つめる。
その光は、天の流れとリンクし、現実には存在しない“ズレ”を示していた。
「“ルミナリア”は、死んでない。だけど……あの場所はもう、この世界に存在していない。歪んだ“時の檻”に囚われている」
静かにアミエルが告げる。
その言葉に、わずかにセレナの眉が動いた。
――そして。
「やっぱり、ここにいたのか」
塔の入口から聞こえてきたのは、懐かしい声。
アレン=カイル。
疲れた顔をしていたが、その目だけは決して濁っていなかった。
「……」
セレナは彼を見つめる。
ほんの一瞬、信じられないというように。
「驚いたか? 俺が“生きてた”って」
軽く肩を竦めながら、真っ直ぐにセレナを見つめる。
「ルミナリアが消えた“あの瞬間”、俺はたまたま学外調査に出てたんだ。霧の峡谷の観測に。まさか……それが命を救うとはな」
そう言って少し寂しげに笑う。
「戻ったら全部……何もかも、なくなってて。お前の手配書だけが、でかでかと貼られててさ」
セレナの目に、一瞬だけ哀しみの色が宿る。
「でも、俺は信じてたよ。ずっと。お前が、そんなことをするはずないって」
そう言ってアレンは、懐から厚い魔導記録の写本を取り出した。
「記録局で拾ったんだ。観測ログに“時間軸の干渉”があった痕跡。空間じゃない、時間そのものが折り畳まれた……そういう痕跡だ」
アミエルが頷いた。
「この街の星もそう言ってる。“時が凍った”と。そしてその力は……あなたのものじゃない、とも」
セレナは何も言わなかった。
ただ、静かに星盤を見つめながら、わずかに目を伏せる。
――その背に背負っているものの重さを、誰よりも知っているから。
アレンはそれでも、彼女の前に立ち続けた。
「お前が黙っててもいい。信じてるから。黙ってても……お前の魔導が、誰かを救おうとしてるってわかるから」
その言葉に、セレナの唇が、わずかに動く。
「……取り戻す」
小さく、けれど確かな声だった。
アレンの目に、涙が浮かぶ。
「やっと、声が聞けた……!」
アミエルは静かに天を見上げた。
「……“沈黙の魔導姫”が、動き出す時。世界はまた、回り始める」
⸻
だがその頃――
別の場所で、その名を囁く影がいた。
「セレナ=アルヴェリス……。“時の檻”に干渉する資格を持つ者」
仮面をつけた複数の人物が、祭壇のような円環の中で膝をつく。
「“虚月の影”の使命。それは、時の境界を砕き、世界の真なる記憶を取り戻すこと」
中心に座す仮面の男が、低く笑う。
「辺境の魔導姫……いや、“すべての属性を制す者”よ。
君の力――我々がいただこう」
虚月の影。その真意と動きが、静かに始まろうとしていた。