禁術を超えて
――静寂が訪れていた。
封印区画の中心部。
かつて魔瘴喰らいが蠢いていた場所には、今や一片の瘴気も残されていなかった。
淡く漂う霧の結界が周囲を静かに覆い、地面に倒れた魔物の骸が、封印陣の中心に安置されている。
その中心に、ひとりの少女がいた。
銀糸の髪に霧の魔導をまとい、背筋を伸ばして立ち尽くしていた。
――セレナ=アルヴェリス。
すべてを封じた少女。
そして、すべての“恐怖”を越えた存在。
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「まさか……あの“魔瘴喰らい”を、一人で……?」
「封印したって、本当なのか……?」
封印区画へ駆けつけた教師たちと高位魔導士たちが、恐る恐る霧の中へ足を踏み入れる。
結界の霧がまるで意思を持つように彼らの進行を阻むが、やがて道を譲るように開かれ――その先に、少女の姿が現れる。
彼女の制服は土埃に汚れていたが、その眼差しは一点の曇りもない。
「……対応は完了しました。魔瘴喰らいは動きを停止し、結界も安定しています」
静かに告げるその声に、誰もが息を呑んだ。
「アルヴェリス……君が、これを……?」
「誰の助けも借りずに……?」
「……いや、違うわ」
セレナは首を横に振った。
「仲間がいました。結界を支えてくれたティナ、術式を補助してくれたアレン。
それに、避難を優先した学生たちも。それぞれの役割を果たしたからこそ、ここに立ててるの」
そう語る声には、一切の驕りも、見下しもない。
ただ、事実を淡々と述べるのみ。
だが――だからこそ、周囲の人間には“別格”に映った。
「……あれほどの魔物相手に、正面から封印術を打ち込み……しかも因果操作の構造陣……あの年齢で……?」
「いや、もはや“年齢”など関係ない。あれは――“異質”だ……」
誰かがぽつりと呟いたその言葉が、場に重く染み込んでいく。
畏敬。畏怖。尊敬。
そのすべてを内包する、重たい沈黙が生まれていた。
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一方その頃、学府上層の貴族派教師たちは――裏の通路に集まり、ひそかに会議をしていた。
「……もはや隠し通すのは不可能だ。我々の仕込みが原因であることは、いずれ明るみに出る……!」
「ならば、“アルヴェリスの暴走”という筋書きを主張するしかない。霧の魔導が封印に干渉し――あれを呼び起こした、と……!」
「だが! 奴が封じた今となっては、誰がそれを信じる……!?」
焦燥。怯え。責任のなすりつけ合い。
誰もが己の保身しか考えていない中――その場の扉が、勢いよく開かれた。
「証拠はある。ベルトロ教授、およびあんた達の行動記録は、すべて記録されている」
その声に全員が凍りつく。
現れたのは、アレン=カイル。
その手には、光を宿した水晶端末。
「この中には、封印区画の管理盤に細工をしていた映像が含まれている。
すでに理事会に提出済みだよ……これで、言い逃れはできない」
「なっ……お前、学生のくせに……!」
「学生? なら聞こうか。教師であるお前たちが、あの惨劇の時――どこにいた?」
返す言葉はなかった。
「学府の安全も、生徒の命も守ろうとせず、真っ先に逃げた。
……そんな奴らに、“誇り”だの“伝統”だの、語る資格はないだろ」
アレンの瞳は、怒りに揺れていた。
「セレナは命を懸けて皆を守った。
それが、貴族じゃないと価値がないっていうのか? それでも“教師”かよ……!」
静まり返った空間に、アレンの言葉だけが突き刺さる。
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学府の中庭――夕暮れの光が差し込む中、生徒たちがざわついていた。
「……本当に、セレナが?」
「うん。私、見たの。地下から霧があふれて、全部の瘴気が消えていくの……」
「すごい、なんて魔導……!」
やがて、中庭の先に彼女が現れると、ざわめきは波紋のように広がった。
そして――誰かが、そっと手を叩いた。
それに続いて、もう一人。そして、また一人。
やがて、中庭いっぱいに拍手が鳴り響いた。
「……セレナさん、ありがとう……!」
「助けてくれて、ありがとう!」
その声に、セレナは一瞬だけ目を見開いた。
だが次の瞬間、少しだけ照れたように、微笑む。
「……ふふ。そんな、大したことじゃないわ」
けれど、その姿こそが――
彼女が学府の“象徴”となっていくことを、誰もが確信する光景だった。
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彼女の魔導は、もう“辺境の奇跡”ではない。
ルミナリアそのものの希望であり、変革の象徴となりつつあった。