魔導の白刃
地下封印区画からあふれ出した瘴気は、まるで生き物のように学府全体へと広がっていた。
防衛結界は次々と崩れ去り、校舎の廊下、中庭、演習場――あらゆる場所で異形の魔物たちが出現し、生徒たちを襲っている。
断末魔の叫び、駆け抜ける足音、叫ぶ教師。
その混乱を切り裂くように、霧を纏う一人の少女が校舎の中央に現れた。
「こちらの避難誘導は完了! でも、魔物が多すぎて――!」
叫ぶのはティナ=フェルゼ。額には汗、だがその瞳は決して折れていない。
彼女の隣に立つのは、霧の魔導具を手にしたセレナ=アルヴェリスだった。
「魔瘴の流れが読める。敵の数も、位置も」
セレナは静かに目を閉じ、両手を掲げる。
淡く発光する霧が空中に展開され、精密な魔導陣がわずか数秒で三層重ねて構築された。
その速度と精度に、後方で支援していたアレン=カイルが息を呑む。
「信じられねぇ……。三重陣を感覚だけで重ねた……しかもこの規模……!」
魔導陣が閃光を放ち、霧が空間全体に拡散する。
「《霧陣・断絶輪》」
彼女の唱えと同時に、霧が旋回しながら突進してきた魔物を包み込んだ。
次の瞬間――魔物は空中で凍りつき、そのまま崩れ落ちた。
「一瞬……あの中型魔物が、まるで動けないまま……」
「これは……ただの封印術じゃない。“魔瘴”そのものに干渉してる……?」
驚愕する生徒たち。その中心で、セレナの表情は変わらない。
だが、彼女の視線は一点を凝視していた。
封印区画の扉から、何かが現れる。
――それは、他の魔物とは異なる“存在感”だった。
体高は三メートルを超え、紫黒の瘴気を全身から噴き出す巨体。
異常に肥大化した腕、赤黒い触手のような角、蠢く無数の眼――
それは、かつて“封印指定”された特級魔物。
“魔瘴喰らい”――瘴気を喰らい成長し続ける、“魔導を喰らう怪物”。
「ティナ、アレン。ここから先は、私に任せて」
セレナは静かに一歩踏み出す。
魔瘴喰らいは咆哮し、地を這うような速さでセレナに突進してくる。
「《霧障陣・四重装》!」
瞬時に四重の霧壁を展開するも――その巨体は衝突と同時に三重を粉砕し、セレナの間近に迫る。
「速いっ……!」
だが、セレナは退かない。
「“速度”と“力”を誇るなら、“支配”で対抗するまで」
霧が空間を覆い、結界のように敵の動きを“読む”。
だが――
「……この個体、“術式の干渉”に耐性がある」
セレナの目が険しくなる。
霧の干渉も、封印術も弾き返される。通常の術では、間違いなく押し切られる。
(ならば、術の根本から変えるしかない)
セレナは、魔導陣をもう一層、空中に重ねて描く。
その構成式は、かつて王都で“問題視”された理論――
《因果構築式》。
「破壊するためじゃない。“解放”して、“制御”する……」
辺境で独自に磨いた魔導と、王都の禁呪理論が重なり合い、一つの術式となって構築されていく。
「《再構式・因果封鎖陣》――」
展開された霧が魔瘴喰らいの周囲を取り囲む。
その瘴気の流れを“再定義”し、魔瘴の流入を遮断していく。
魔物の動きが、一瞬、止まった。
「……今!」
「《因果封鎖――第零層、静止》!!」
瞬間、霧が暴走魔物を完全に覆い尽くし、その動きを封じる。
そして最後の一手――
「《封印・霧鎖結界》!」
光の鎖が霧の中から現れ、魔瘴喰らいの巨体を大地に縫い止めた。
動かない。
咆哮も、息遣いも、瘴気の震えもない。
完全鎮圧――
「……終わったのか……?」
「まさか、あれを……」
生徒たちが息を呑む中、セレナはゆっくりと立ち上がり、顔を上げた。
「ふぅ……ちょっと疲れたかな、みんな無事?」
その一言に、誰もが言葉を失った。
かつて追放された少女が、今や全てを護る存在となった瞬間だった。
⸻
その頃、裏手の研究塔。
貴族派の教師たちは、もはや怯え切っていた。
「魔瘴喰らいを、封じただと……?」
「ありえない……。あの術式……まさか、“王都で禁じられた理論”を……!」
「いや、誰があれを完成させろと言った……ッ!」
ベルトロは崩れ落ちた椅子の上で呟く。
「なぜだ……なぜあの娘は、何度でも、立ち上がる……!」