揺らぎと忠誠
魔導学府ルミナリアの講師控室。
その一角にある資料室の窓から、夕陽が差し込んでいた。
ナルサス=アダンティスは、分厚い魔導史の記録を机に積み上げながら、じっと手元を見つめていた。
(セレナ=アルヴェリス……あの時、声をかけるべきだったのか)
王都を追われる直前の彼女の姿が、脳裏に焼き付いていた。
貴族たちの思惑に翻弄され、家名を奪われ、孤独に立っていた少女――
だが、今のセレナは違う。
強い眼差しで真っ直ぐに未来を見つめ、己の信念で学府をも変え始めている。
(あのとき見捨てた俺に……彼女を見届ける資格など、あるのか?)
その問いに答えられないまま、彼はそっと机の引き出しを開ける。
中には、当時の王都議会の処分記録――セレナに関する極秘文書の写しが挟まれていた。
「……もう一度だけ、この目で見定めたい」
そう呟いたとき、控室の扉がノックされた。
「失礼します、ナルサス先生。次の講義の資料、届けに来ました」
姿を見せたのは、アレン=カイルだった。
「おお、助かる。ありがとう。……君は、セレナと同じ研究補助員だったな」
「はい。最近は、よく一緒に実験してます」
アレンは素直に答える。
「……君は、彼女をどう見ている?」
「え?」
「セレナ=アルヴェリスという人間を、どう思う?」
いきなりの問いにアレンは一瞬戸惑ったが、すぐに真っ直ぐな目で答えた。
「不思議な人です。でも……すごく優しい。誰かを見捨てたりしない。だから、僕もこの学府で頑張ってみようって思えました」
ナルサスは小さく目を伏せた。
「……そうか。ありがとう」
資料を受け取り、扉を閉じるアレンの背に向かって、心の中で呟く。
(ならば、私は――何をするべきなのか)
***
一方、学府の食堂。
夕食を終えたセレナは、ティナ=フェルゼと並んで片付けをしていた。
「ねえ、セレナさん。新しい先生って、なんだか妙にセレナさんのこと見てた気がするんだけど……」
「……気のせいじゃないわ。でも、私と少し因縁があるだけ。心配しなくて大丈夫」
「因縁って……元彼とか!?」
「違うわよ」
ぴしゃりと言いながらも、セレナの表情はどこか曇っていた。
ナルサスとの再会は、過去の傷を抉るようでもあり――同時に、試されているような気もした。
(もう一度、向き合わなきゃいけないのかもしれない)
ふと、窓の外を見る。
遠くの空に、ゆっくりと浮かぶ雲。その流れは、どこか不穏だった。
***
その夜。
学府の一室で、密かに行われる会議があった。
「……セレナ=アルヴェリス。彼女は、今後の“改革”の障害となる可能性がある」
低く響く声に頷く影たち。
そこには――貴族派の新たな策謀が芽吹きつつあった。
「次の一手は、確実に仕留めねばなるまい。ナルサス=アダンティス――あの男が鍵だ」
その名が囁かれたとき、ひとりの男が立ち上がった。
「私が、動きましょう」
冷たい笑みを浮かべるその男の胸元には――ルミナリアの教師バッジが輝いていた。