交わる心、歩み出す道
魔導学府ルミナリア、東区画にある実験棟。
朝の柔らかな光が差し込む一室で、セレナ=アルヴェリスはアレン=カイルと向かい合っていた。
机の上には、複数の魔導陣の図案。補助術式の変遷記録、そして構成魔力の差異を示す表。
セレナが丁寧にまとめた資料を、アレンは真剣なまなざしで見つめていた。
「この“魔力反応差分式”……すごく効率いい。俺の構成だと五手先で歪むのに、これだと三手で補正が終わる」
「ふふ、それはね、精霊との干渉を最小限に抑えてるから。無理に力で捻じ曲げるよりも、相手に“寄り添う”ように構成した方が、魔力の流れが自然になるの」
「“寄り添う”って……魔導に、そんな感覚があるのかよ」
アレンの顔に、わずかな驚きと戸惑いが浮かぶ。
だがセレナは、それに微笑んで頷いた。
「あるわ。魔導って、理論と感覚の両方が必要なの。相手のこと、世界のこと、もっと言えば自分自身のことも。そうやって魔力の声に耳を澄ますのよ」
アレンは黙って、自分の手のひらを見つめた。
(……俺は、ずっと力でねじ伏せようとしてた。拒まれたくなくて、傷つけられたくなくて)
だが――セレナの穏やかな語り口と、何より彼女の実力が、それを否定しなかった。
否。むしろ、許してくれていた。
「……なぁ、セレナ」
「なに?」
「お前、本当に貴族だったのか?」
唐突な問いだったが、セレナは驚いた様子もなく、軽く笑った。
「うん、一応ね。侯爵家の令嬢だった。でももう関係ないわ。今の私は、ただの魔導を学ぶ一人の生徒よ」
「……あんた、強いな。そういうの、隠したりしないんだな」
「隠したくなる時もあったわ。でも、隠すより“信じたい”って気持ちの方が、少しだけ強かったの」
「……バカだな、お前」
「また言ったわね」
二人の間に、自然と笑いが生まれる。
その時――
バン、と実験室の扉が勢いよく開かれた。
「セレナ=アルヴェリス!」
現れたのは副学長、ヴェルディ=アウステル。
後ろには、数名の貴族派教師たちの姿もあった。
「研究室を“勝手に使用”した上、学籍にもない問題児を“補助員に登録”とは――どういうつもりだ?」
冷ややかな声。
アレンが緊張し、思わず一歩引く。
だがセレナは、一歩も退かなかった。
「申請書は正規の手続きで提出しました。必要なら、学務課に問い合わせてください」
「学務課には、私から差し止めを依頼済みだ。君のような素性の怪しい生徒に、特権的な扱いを許すことはできない」
(……来たわね)
セレナは心の中で、静かに深く息をついた。
「では、こうしましょう。アレン=カイルの研究補助適性を、公開実験という形で示します。それで“正当性”を判断すればいいわ」
「……ふん、公開実験だと?」
副学長があからさまに顔をしかめる。
「この少年が失敗すれば、責任は君に問うぞ。いいのか?」
「もちろん。私が推した人ですもの」
静かなその声に、アレンが小さく息を飲んだ。
(……本当に、俺なんかに、そこまで……)
「セレナ……本当に俺でいいのか」
「うん。アレンの魔導は、生きてる。あなたが信じられないなら、私が信じるわ」
その瞬間、アレン=カイルの心に、小さな火が灯った。
***
後日。
実験室には複数の教師、そして同級生たちが集まった。
「高位干渉式の分岐制御なんて……普通、あの歳じゃ無理よ」
「補助員どころか、事故を起こして退学扱いだったって話よ?」
ざわつく声の中、セレナは静かに構え、アレンの肩を軽く叩く。
「いつもの通りで大丈夫よ。失敗しても、私が責任を取るから」
「……失敗しないよ」
アレンの瞳は、これまでになく真っ直ぐだった。
「俺、自分を信じるって決めたから。お前を見て、そう思えたから」
そして、アレンは手をかざし――
完璧な陣形展開を行った。
魔力の流れは滑らかに走り、空間に美しい転相術式が構築される。
教師たちがどよめき、貴族派の者たちですら、言葉を失った。
「……完成だ」
静かにアレンが言い、術式が消失する。
副学長は唇を噛み、振り返る。
「……これで君の補助員登録は正式に受理された。だが、次はないと思え」
そう吐き捨て、彼は背を向けた。
セレナはただ、静かにアレンに微笑みかける。
「よく頑張ったわね、アレン」
「……なあ」
「うん?」
「俺……少しは、前に進めたかな」
「ええ、とても」
アレンは顔を背けながら、ぽつりと呟いた。
「……ありがとう、セレナ」
***
その日の夕暮れ。
図書塔の窓辺に並んで座る、二つの影。
一人は、過去を乗り越え始めた少年。
一人は、未来を照らし続ける少女。
まだ不確かで、途切れそうな光だけれど――
確かにそこに、希望は芽吹いていた。