静謐なる図書塔にて
魔導学府ルミナリアの西端にある、古びた図書塔。
表向きは廃棄予定の書物を収める倉庫扱いだが、実際にはまだ使える古文書や魔導記録が多数保管されている、知る人ぞ知る静謐な場所だった。
セレナ=アルヴェリスは、昼休みのひととき、その図書塔に足を運んでいた。
目的は、古代術式の補助理論に関する記録の再確認。
「このあたりに“風圧干渉式”の記録があったはず……」
呟きながら書架を巡っていたセレナの耳に、紙をめくる音がかすかに届いた。
(……誰かいる?)
この場所に人がいることは珍しい。だが、音のした方へ歩を進めると、そこにいたのは――
年はセレナより少し下。痩せ型で、ぼさぼさの黒髪。制服は少し着崩しており、袖口は破れている。名前はアレン=カイル。魔導理論に熱心な若き問題児だ。
彼は魔導書を広げたまま、セレナに気づいた様子もなくページをめくっていた。
「……こんにちは。ここ、使ってもいいかしら?」
不意に声をかけると、アレンはビクリと肩を跳ねさせた。
そして、警戒した目でセレナを見上げる。
「……勝手にすれば。別に、俺の場所じゃないし」
「ありがとう」
セレナは少し笑って、離れた机に腰を下ろした。
だが気になって、何度かちらりとアレンを見た。
(あの術式……高位魔導士向けの複雑な応用理論……。よく理解できてるわね)
明らかに“出来る”少年。だが――どこか捨て鉢な雰囲気も感じられる。
数分後、セレナは静かに近づき、彼の机を覗いた。
「“転相陣形の不安定化”について、興味あるの?」
「……お前には関係ないだろ」
「そうかもしれない。でも、もしわからないところがあったら、力になれるかもしれないわ」
「……」
アレンは黙ったままだったが、しばらくしてぽつりと呟いた。
「……ここに来ても、誰も教えてくれない。俺が“問題児”だからって、教師もまともに見てくれないんだ」
「問題児、ね」
セレナは椅子を引いて、アレンの隣に座った。
「じゃあ私も“問題児”だわ。魔導は人のためにあるって言って、貴族派の教授に煙たがられてるもの」
その言葉に、アレンの目が少し揺れた。
「……お前、セレナっていうんだろ。俺のこと、利用しようとか思ってないのか?」
「ないわ。ただ、あなたが魔導に真剣なのはわかる。それだけで、十分じゃない?」
その一言に、アレンは目を見開いた。
「……バカだな、お前」
「よく言われるわ」
セレナは笑った。
***
それから数日後――
その少年は、正式にセレナの推薦で“研究補助員”として登録された。
周囲の視線は冷ややかだったが、セレナは気にも留めなかった。
「あの子、魔導の才能は本物だもの。それを腐らせる方が、もったいないわ」
その言葉に、一部の教師たちも態度を改め、彼の周囲の空気は少しずつ変わり始めていた。
フィリア=ノーチェはそんなセレナを見つめながら、静かに呟いた。
「……あなたは、本当に“変えていく人”なのね。ルミナリアを、魔導の未来を――そして、失われかけた誇りを」
***
その頃、学府上層部ではひそやかに一枚の書類が回っていた。
セレナの“過去”に触れるそれは、再び彼女を追い出すための動きの始まりでもあった。
だが、それに気づいた者もまた、動き出そうとしていた。
静かに、だが確かに
「辺境の魔導姫」を中心に、学府という“眠れる巨人”が、目を覚ましつつあった。