燃える誇り
魔導学府ルミナリア――夜の静寂を破るように、誰かの足音が回廊を駆けていく。
フィリア=ノーチェは、学府職員棟の一室で、机に広げられた一通の報告書に目を通していた。
そこには、セレナ=アルヴェリスに関する“内部調査報告”の記述が並んでいた。
――王都での爵位剥奪。
――王太子との婚約破棄。
――地方送り、そして辺境での民衆の支持。
「……やはり、誰かがこの情報を意図的に流したのね」
手を添えていたティーカップが、微かに震える。
「これを“口実”に、セレナを排除しようとしてる……? 今のうちに動かないと――」
と、そこへ部屋の扉がノックされる。
「失礼します、フィリア先生」
現れたのはミルテ=レイフォードだった。だが、その表情はどこか不安げだった。
「……セレナ先輩が、“魔導局”の監査官に呼び出されたそうです」
「なに……?」
その言葉に、フィリアは顔色を変えた。
「彼女に何の非もない。これは……狙い撃ちね」
***
監査室の応接間。
セレナはひとり、椅子に腰掛けていた。
その向かいに座っていたのは、魔導局の監査官を名乗る男と、副学長ヴェルディ=アウステル。
「……あなたは、元侯爵家の出身でありながら、現在は身分を偽って学府に通っている。これは申告義務違反に当たります」
男の冷たい声。
セレナは、表情を動かさずに淡々と応じた。
「偽ってなどいません。私は“今”を正直に話しただけです」
「貴族であったことは重大な事実です。学府の規則に反します」
「では、私に教えてください。“貴族であったこと”は、魔導の学びにどんな支障がありますか?」
その一言に、男が言葉を詰まらせた。
「私は、誰かを騙したわけではありません。私の術式も、論文も、講義への発言も――すべて正面から提示してきました」
「……ふざけるな。過去を秘匿し、同情を誘い、票を得るような真似――」
「それは、あなたの“見る目”の話でしょう」
セレナの瞳が鋭くなる。
「私は“特別”など求めていない。むしろ、私は“貴族であったこと”に誇りなどない」
「私は――ただ、力を“人のために使いたい”だけ」
静かに、強く。
部屋の空気が変わる。
「……今のままでは処分は免れません。学府を退学してもらうことになるでしょう」
そのとき――
「待ちなさい!」
扉が乱暴に開かれた。
フィリア=ノーチェが、手に一通の文書を持って現れた。
「この監査官の派遣命令――本部の正式な手続きを経ていない非合法なものだわ。……あなた方、何をしているか分かっているの?」
「なっ……」
監査官の顔が一気に蒼白になる。
「さらに言うなら、この情報を流した張本人――クラウディオ=マルシェスと、副学長が裏で結託していたという証拠もあるの」
机に投げ出された書類に、男の手が震える。
その隣――副学長ヴェルディ=アウステルも、血の気が引いたような顔色でフィリアを見据える。
「……貴様、その情報をどこで……!」
「まさか、この学府の内部監査にまで踏み込まれるとは思っていなかったのでしょうね」
フィリアの声は鋭く、冷たい。
「“排除”を画策したのが、学府の上層部――それも生徒の一人と通じていたなどと知られれば、あなたの立場も安泰とはいかないでしょう?」
ヴェルディの額に、冷や汗が一筋流れる。
「……貴様が改革派に通じていたとはな」
「私は“人を見る目”を持っていたというだけです。――副学長」
沈黙が落ちた。
フィリアはセレナに目を向ける。
「もう、我慢しなくていいのよ」
その言葉に、セレナは少しだけ目を伏せて、口角を上げた。
「……ありがとう、フィリア先生。でも、これは私の問題です」
セレナはゆっくりと立ち上がると、机に視線を落とした。
「貴族だった過去を恥じるつもりはありません。でも、それを“捨てた”のは、私じゃない――“あの国”です」
「だから私は、これからもその罪を“見せつけて”いく。それが、私の答えです」
***
翌日。学内では噂が広がっていた。
「セレナ先輩が、魔導局の監査を……?」
「副学長が関わってたって……マジかよ」
「なんかもう、あの人、次元が違う……」
セレナはいつものように中庭のベンチに座り、資料をめくっていた。
ミルテが、そっと隣に座る。
「……怖くなかったんですか?」
「うん、少しは。でも……私、もう逃げないって決めてるから」
「……私も、逃げないです。先輩が信じてる魔導を、私も信じたいから」
セレナは小さく笑った。
遠く、学府の塔の頂で、風が吹いた。
“嵐”の中でも折れない芯を持つ者だけが、本当に人を導ける。
そう信じて、セレナはまた一歩、前へと進み出す。