静かな反響
魔導学府ルミナリアの昼下がり。
風が静かに中庭の薔薇を揺らし、木陰で談笑する学生たちの声が微かに響いていた。
「セレナ先輩、これ、魔導史の調査課題なんですけど……添削お願いできますか?」
声をかけてきたのは、最近セレナを慕い始めた後輩の少女、ミルテ=レイフォード。
平民出身ながら推薦で入学した真面目な生徒で、少し気弱なところがある。
「もちろん。……うん、よくまとめてあるわね。ここの術式分類のところ、もう少し別視点で整理するとより分かりやすいかも」
「えっ、本当ですか……!? わあ、ありがとうございます!」
セレナは微笑みながら答えた。
彼女の周囲には、最近少しずつ、貴族・平民問わず“自然と”人が集まりつつある。
だが――
「元貴族のくせに、今さら平民の味方気取りかよ……」
遠巻きに冷たい視線を送ってくる影があることにも、セレナは気づいていた。
それはクラウディオ=マルシェスの取り巻きたち。
彼が失脚した今も、彼女に対する警戒と敵意を捨てきれずにいる。
一方その頃、職員棟の書類棚の前で、フィリア=ノーチェがふと溜息をついていた。
「……あの子、本当は気づいているのよね。いろんな目が向いてるって。でも、何も言わずに正面から受け止めてる」
教師であり、スカウトした立場でありながら、彼女はセレナの背中に“教わる側の敬意”さえ抱き始めていた。
「……やっぱり、あなたは“希望”よ。学府の、そして、私たちの」
***
その日の夕方、セレナは学府の廊下を歩いていた。
「セレナ先輩っ!」
廊下の向こうから、ミルテが控えめに駆け寄ってくる。
「どうしたの?」
「調査課題の図書室資料……一緒に探してもらえませんか?」
今回の課題は、**“古代魔導における精霊術と社会構造の関係性”**という、やや難解なテーマだった。
「……いいわよ。一緒に探しましょう」
「ほんとですかっ……!」
(ああ、また私は――)
微笑むセレナの横顔に、ミルテはそっと憧れの視線を送った。
***
その夜、学府の塔の一室。
副学長ヴェルディ=アウステルは重い声で、書類を指先で叩いていた。
「セレナ=アルヴェリス……元侯爵令嬢。先日は情報の真偽も確かめる時間を作るため一時見逃してはいたが……貴族社会に波風を立てる存在としては危険すぎる」
「クラウディオ=マルシェスからの報告で、すでに“王都追放”の過去も把握済みです」
「……正式な犯罪歴はない。だが、記録が抹消されている。それが何よりの証拠だ」
ヴェルディの瞳が鋭く光る。
「“平民の中の貴族”として人気を得ているが、それはやがて……“支配構造の崩壊”に繋がる。芽のうちに摘め」
蝋燭の火が小さく揺れる。
***
翌日、学内図書棟。
ミルテと並んで棚を調べるセレナは、ふと隣を見る。
「ミルテさんって、魔導をどう思ってる?」
「えっ……どうって……?」
「誰かのために使いたいって思う? それとも、自分のために?」
ミルテは少し悩んだ末、ぽつりと答えた。
「私は……“怖くない力”にしたいなって思ってます。魔導って、昔から戦争とか支配とか……そんな風に使われてたから……」
セレナの顔が、優しく和らいだ。
「うん、それってとても大切なことよ。……きっと、あなたならできるわ」
ミルテは嬉しそうに微笑んだ。
誰かのために使う力。
恐れられるのではなく、信じられる魔導。
セレナが目指すものが、少しずつ他人の心にも根を下ろし始めていた。
その時、遠くの棚から冷たい視線が一つ、じっと彼女たちを見つめていた。
やがて影は、無言で扉の奥へと消える。
微かな脅威の予兆が、再び静かに学府に満ち始めていた。