貴族という病
夜の学舎、灯火が揺れる地下の書庫室。
他の生徒が寝静まる中、一人の影が報告書を読みふけっていた。
クラウディオ=マルシェス。
名門マルシェス家の嫡男。彼は家の情報網を使い、ある人物の過去を密かに洗い出していた。
「……やはり、ただの平民ではなかったか。
“旧アルヴェリス侯爵家令嬢”……そして“王都追放”……」
古びた紙の束を見つめ、彼はゆがんだ笑みを浮かべる。
「貴族の名を捨て、庶民のふりをしていたのか……卑しい女め。……この情報、学府の名誉のためにも、共有すべきだな」
その足でクラウディオは、副学長ヴェルディ=アウステルのもとを訪ねた。
ヴェルディは無表情で報告書を手に取り、しばしの沈黙の後、静かに口を開いた。
「これは……確証が薄い。だが、確認は必要だな。
もし事実であれば、セレナ=アルヴェリスは――」
「学府の信用を失墜させかねません」
「……ふむ。ならば、本人を呼ぼう。真偽を確かめる」
クラウディオは満足げに頷いた。
ついに、自分の手で“あの女”を引きずり下ろせると。
***
翌朝。
静寂な学舎の一角――副学長室に呼び出されたセレナは、端然と立っていた。
その目は怯えることなく、むしろ澄んだ光を湛えていた。
「セレナ=アルヴェリス。君に関する報告が入った。
かつて王都の侯爵家に連なり――追放処分を受けた、という記録だ」
机の上には、クラウディオ=マルシェスが持ち込んだ報告書が置かれている。
クラウディオは腕を組み、勝ち誇ったようにセレナを見下ろしていた。
「いやはや、驚きましたよ。まさか“辺境の魔導姫”が、王都で“穢れ”として追われていたとは。
こんな重要な事実を隠していたのなら、学府から追放も――」
「……あなた、知らなかったのかしら」
セレナがゆっくりと口を開く。その声音は静かで、しかし氷のように冷たい。
「“人の隠したいこと”は、知らないふりをしてあげるものよ」
「なっ……」
「それに、私……貴族が嫌いなの」
室内の空気が凍りついた。
「誇りを盾に、権威を振りかざして人を見下す貴族が――本当に嫌い。
あなたみたいに、自分じゃ何もできないくせに、家の名前で人を脅すしかない人間も」
「お、お前……っ」
「過去を暴いて、今の私に何を言いたいの?
私の価値を、あなた程度の人間が測れると思って?」
クラウディオ=マルシェスの顔から血の気が引いていく。
副学長ヴェルディは沈黙したまま、セレナの一挙一動を見つめている。
「それに――」
セレナは一歩、クラウディオの方へ進み出る。
「こんなものに頼らなければ私を止められないなんて……あなたの“力のなさ”こそ、学府にとっての汚点じゃない?」
「っ……」
「あなたの父が評議会の議席を持っているのは知ってる。でも、あなたが何者かは――もう、はっきりしたわね」
微笑みながら、セレナは最後に言い放った。
「“マルシェスの名に泥を塗る愚か者”。それが、あなたよ」
クラウディオは言葉もなく、ただ唇を噛みしめた。
副学長ヴェルディは、やがて立ち上がった。
「この件については、私の責任で再調査する。
だが……セレナ=アルヴェリス。君には、引き続き学府での活動を認めよう」
「ありがとうございます」
彼女は一礼し、部屋を後にした。
クラウディオ=マルシェスは副学長の怒気を孕んだ視線に耐え切れず、下を向いたまま動けなかった。
「……貴様の軽率な行為は、学府の名を損ねかねなかった。その責任は、いずれ父上に報告することになるだろう」
その言葉に、クラウディオの顔が青ざめる。
***
夜の屋上。
学舎の灯火を背に、セレナは一人空を見上げていた。
「……もう、逃げない。どれだけ過去を暴かれても、私は私」
風に舞う髪が月光に照らされる。
「魔導は、人のために。
貴族でも、平民でも関係ない。
それが――私の、“誇り”なんだから」
彼女の決意は、誰よりも強く、まっすぐだった。