火種と花冠
ルミナリア魔法学府の中庭。整えられた花壇の中央、白薔薇が咲き誇るベンチに腰掛ける少女がいた。
その美しい金髪と、品のある身のこなし。
誰が見ても高貴な生まれを感じさせるその少女――エリシア=コールレインは、手に持った日傘をくるくると回していた。
「……何よあれ。あんな辺境出身の平民が、講義であれだけ堂々と意見して……まるで“自分が正しい”みたいに」
エリシアの言葉は、誰に向けられたものでもない独り言だった。
だがその声には、明らかに“苛立ち”と……どこか“戸惑い”が混じっていた。
数時間前。
講義室での出来事が、彼女の心を波立たせていた。
教授が用意した高位魔法の理論に、真っ向から疑問を呈した少女――セレナ。
「それでは“魔力消費が過剰”になります。別系統の術式に置き換える余地があると思います」
笑顔を浮かべながら、柔らかく、しかし決して引かない目で話す彼女に、教授さえも言葉を詰まらせた。
しかもその後、即席で魔法陣を組み直し、教室の誰もが理解できる形で“証明”してみせたのだ。
エリシアは思い出し、口元を噛む。
「……あれじゃ、まるで私たちが“中身のない貴族”みたいじゃない」
そこへ――
「いたのか、エリシア。探したぞ」
軽やかな声とともに現れたのは、同じ貴族派の生徒――クラウディオ=マルシェス。
父親が評議会の議席を持つ、いわゆる“魔導名門”の嫡男だ。
「講義、退席したんだってな。やっぱり頭にきたんだろ? あの田舎娘のせいで」
「……うるさいわね。関係ないでしょ」
「関係あるだろ。今のうちにあの女、潰しとくべきだ。こっちの魔導権威が通用しないなんて、立場がない」
「……そんなこと、しなくてもいいわ」
エリシアは立ち上がった。
だがその口調には、どこか曖昧な迷いがあった。
(確かに、癪ではある。でも……私が今まで信じていた“貴族の誇り”って、本当に誇れるものだった?)
思考の奥に、今日のセレナの姿がちらつく。
講義でも、模擬戦でも、誰に対しても分け隔てなく、真正面から魔導を語るその姿が――
(……まるで“本物の誇り”を持っているみたいだった)
***
一方、学府の魔導練習場。
セレナは、霧の精霊を使って新たな補助陣の実験をしていた。
(魔力の循環速度を少しずつ調整すれば、身体への負担を軽減できる……)
試作陣を展開し、静かに集中する。
その時――背後に気配を感じて振り向くと、そこにいたのはエリシアだった。
「こんにちは、エリシアさん。今日は、どうしました?」
セレナの声は、いつも通り明るい。
だがエリシアは、どう返せばいいのかわからず、しばらく口を開かなかった。
「……なぜ、そんなふうにいられるの?」
「ふうに?」
「自分が正しいって信じ切ってるみたいに、まっすぐで。恥ずかしくないの?」
「うーん……恥ずかしくないって言えば、嘘になるかな。でもね、私、誤魔化す方がもっと恥ずかしいと思ってるの」
「……っ」
「正しいかどうかなんて、私もわかってないわ。それに貴方が思っているほど私は立派な人間じゃないしね。でも、信じたいの。魔導は人のためにあるって」
エリシアは何かを言いかけたが、言葉にならなかった。
(……この子は、本当に“信じてる”)
自分の魔導を、世界の未来を――そして“誰かのため”であることを。
「ねぇ、エリシアさん」
「……なに?」
「エリシアさんは、魔導を何のために使いたいの?」
その問いは、唐突だった。
だがエリシアは、その場から逃げることもできず、答えを絞り出すように口を開いた。
「……私は……“誇り”のためだと思ってた。でも、今は……わからない」
「うん、それでいいと思うよ」
セレナはそう言って、柔らかく笑う。
(……なんなの、この人……)
胸が、痛かった。
まっすぐすぎるその笑顔が、エリシアの中の何かを、確かに揺さぶっていた。
***
その夜。
エリシアは、自室の机に座り、ずっと開いていなかった父の書斎から持ち出した一冊のノートを開いていた。
そこには、若き日の父が記した魔導研究と、腐敗に抗おうとした記録が記されていた。
「……お父様も、信じていたのね。魔導は人のためにあるべきって」
静かにページをめくる。
セレナの存在が、少しずつ彼女の心に火を灯し始めていた。
だが――その火種に気づかず、反対に暗躍を始める者たちがいた。
クラウディオは、裏で小さく笑いながら報告書を破り捨てる。
「“辺境の魔導姫”か。面白い。なら、その魔導ごと消してやるよ」
新たな陰謀の影が、学府に広がり始めていた。