セレナへの依頼
新緑が風に揺れる朝、魔導学府では、今年度の編入生たちによる実技選抜試験が行われていた。
「次、セレナ=アルヴェリス。前へ」
名を呼ばれた少女は、ゆっくりと歩を進める。
白銀の髪、深い蒼の瞳。小柄な体躯に纏うのは、質素ながら丁寧に繕われた制服。
彼女を見て、周囲の生徒たちはひそひそと噂を囁き合う。
「ねえ、あれが噂の“辺境の魔導姫”?」
「王都で侯爵家を潰したって話、ホントかな……」
「でもただの田舎者でしょ? 魔導家系の生まれでもないし」
冷ややかな視線が、セレナを突き刺す。
だが、彼女の表情は一切揺れなかった。
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遡ること数日前――セレナが入学の手続きを終えた直後、彼女は理事長代行・フェリオ=ウィルドに招かれ、学府の奥深くにある書斎へと通された。
「ようこそ、セレナ=アルヴェリスさん。君がこの学府に来てくれて、嬉しく思いますよ」
理知的な眼鏡の奥から、落ち着いた視線が注がれる。
それに対し、セレナは率直に問うた。
「どうして私を? 特待でもない、推薦状も持たない私を、特例で受け入れる理由は何ですか」
フェリオは、デスクの上の古い羊皮紙を指で撫でながら答えた。
「この学府には、“外からの目”が必要だったのです。名門、家柄、血統……そうした“古き縛り”が学び舎の中にも蔓延し、学問と技術の成長を鈍らせている。それを打破できるのは、血筋に頼らず、己の力でのし上がってきた君のような存在だと、私は考えている」
「……改革を望んで?」
「ええ。私は理事長“代行”にすぎません。真の理事長は病を患っており、長らく公務を退いています。その間、保守派貴族の影響力が増しているのが現実です。君には、学府内に新しい風を吹き込んでほしい」
セレナは、静かに口元を結び、言った。
「もしその風が“嵐”になったとしても、責任は取ってもらえますか?」
「もちろん。だが、私は嵐を恐れていません。腐った枝葉は、一度すべて吹き飛ばされるべきだと、そう思っています」
数秒の沈黙ののち、セレナは微かに笑った。
「……では、風になってみせましょう。少しばかり、荒っぽいかもしれませんが」
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実技試験。セレナの対戦相手は、侯爵家の血を引くと豪語する少女、マリーベル=ロレットだった。
薄紫の髪を巻き上げた美貌の令嬢。白手袋に口元を添え、鼻で笑うようにセレナを見下す。
「まあ……こんな粗野な辺境娘と戦わされるなんて、学府も人材不足なのかしら」
「そういう口の利き方が染み付いてるあたり、教育に問題があるのはどちらかしらね」
セレナは困ったように肩をすくめ、少女に向き直る。
「あなた、もしかして自分の価値を“血筋”でしか測れないの?」
「当然でしょう? それこそがこの国の本質――伝統というものよ。下々の者にはわからないでしょうけど」
「なるほど、“困ったちゃん”だわ」
セレナは静かに杖を構え、微笑んだ。
「そういう子ほど、こっちで矯正しなきゃね」
審判が号令をかけると同時に、マリーベルは光の魔法陣を展開した。貴族家系に伝わる“王光流魔法”。だがセレナは、焦ることなく淡い霧の魔力を周囲に解き放つ。
「霧結界……?」
「光って、拡散すれば弱くなるのよ。あなたの魔法、ここじゃ威力が出ないわね」
焦るマリーベルに対し、セレナは淡々と距離を詰めると、一言だけ呟いた。
「――“白霧の檻”」
結界内に溶け込むようにして、霧が一瞬でマリーベルの動きを封じる。
その静謐な魔法に、観客席がどよめいた。
「なんて魔力制御……」
「ほとんど詠唱してないのに……」
「あれが王都で噂のセレナ=アルヴェリス……!」
マリーベルは膝をつき、唇を噛んで俯く。
「ば、馬鹿な……こんな、無名の……!」
セレナは優しく、けれど芯の通った声で囁いた。
「“無名”じゃなくて、“無冠”よ。私は誇りを持って、辺境を歩いてきた。あなたも、自分の誇りを探し直したら?」
その一言は、マリーベルの心に何かを残したようだった。
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試合が終わり、観客席の最前列で立ち尽くしていたのは、アーデル=ロヴァン。
日頃は貴族然とした態度で周囲と距離を取る彼も、今回はセレナの戦いを食い入るように見ていた。
「……やっぱり、あの子は本物だ」
傍にいた取り巻きの一人が問う。
「アーデル様、あのような平民を評価なさるとは……」
だが、彼はその言葉を遮るように言った。
「血筋でしか価値を測れない者に、魔導の未来は託せない。それを今、証明されたんだよ」
胸元で握った手に、力が入る。
その瞳には、静かな決意の光が宿っていた。
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寮の一室、夜
その夜、セレナは校舎の裏に広がる学生寮の一室で、窓から夜空を眺めていた。
ふと、故郷・オルトレアの風景が思い出される。
冷たい日の夜、暖炉のそばで村人たちと笑い合った日々。
あの素朴な温かさに、少しだけ心が揺れる。
(……すぐに戻りたいとは思わない。でも……少し、寂しい)
そんな独りごとを、そっと霧に溶かしていく。
やがて、誰かのノックが響く。
「……アーデル?」
扉を開けると、そこには意外な訪問者――彼が、眉間に皺を寄せて立っていた。
「話がある。……君のその“正義”、もう少し詳しく聞かせてほしい」