最強魔導姫、辺境の村で初陣す
アルセーヌ神殿を出た翌朝、セレナは霧の立ちこめる山道を一人歩いていた。
その背には、黒のマントと、神殿から持ち出した古代の魔道具がいくつか。衣服は上等なドレスから旅装へと変えたが、背筋の伸びた気品は隠しようがなかった。
数刻ののち、山を抜けた先に小さな村が見えてくる。地図には名前すら載っていなかったが、彼女にとっては最初の“実験場”だった。
──辺境の村、オルトレア。
「……随分と、静かな村ね」
入口に立つ木製の門は壊れかけ、畑には人影がまばら。どこか異様な雰囲気が漂っていた。
不自然に人が少ない。それに、子供の笑い声一つ聞こえない。
セレナが村を進んでいると、一人の老婆が声をかけてきた。
「……あんた、旅人かい?」
「ええ。事情があって、この村に少し滞在したいのですが」
老婆はセレナをじっと見たあと、小さく頷いた。
「……変なタイミングで来たもんだねぇ。あんた、運が悪いよ。いや──もしかしたら、良いのかもしれんがね」
その言葉の意味を、セレナはすぐに知ることになる。
⸻
夜。村に滞在できる古い宿屋で簡素な夕食を済ませていると、どこからか怒号と叫びが響いてきた。
「ひっ……また、あいつらだ……!」
宿の主人が顔を青くし、窓の外を固唾を飲んで見守っている。
「盗賊団さ……この村じゃ、もう半年以上、毎週のように襲われてる。領主様にも訴えたが、“辺境の問題”だって……」
セレナは静かに立ち上がった。
「……なるほど。あの“領主様”も、相変わらずね」
皮肉交じりに呟いたが、それを聞いた者はいない。王都を追われて間もない今、元侯爵令嬢の言葉を信じる者などいないだろう。
けれど、彼女は扉を開けて夜の村へと歩み出る。霧の向こうに、松明を手にした盗賊たちの影が揺れていた。
「よぉ、今年もよく育ってんなァ。作物も娘も!」
「こないだのガキ、もう治ったか? また病気にさせてやるよ、あの薬でなぁ!」
セレナの中で、何かが静かに切れた。
──この村を“試す”には、ちょうどいい。
「……止まりなさい」
霧の向こうから現れたその女の姿に、盗賊たちは一瞬きょとんとした。華奢な体つき、旅人のような格好、そして──どこか気品のある瞳。
「なんだ、ねーちゃん……この村の女か?」
「だったら今夜は、お前からいただくとするか?」
口の悪い盗賊が笑いながら近づく。
その瞬間。
バシュッッ!!
雷鳴のような音とともに、男の足元から炎が噴き上がった。
「ぎゃああああああッ!!」
「てめぇ、何しやがったッ!」
周囲が一斉に騒ぎ始める中、セレナは静かに右手を掲げた。彼女の指先には、淡い七色の魔紋が浮かんでいる。
「──全属性同時詠唱、展開完了」
彼女がそう告げるや否や、空気が震えた。
風が渦を巻き、地面がうねり、氷が瞬時に形成される。火球が空に舞い、雷が天を割いた。
それはもはや、“魔法”の範疇を超えた力だった。
「……あ、あれ、何だ……!? 魔法、じゃねぇ……!」
盗賊たちは我先にと逃げ出そうとする。しかし。
「逃げられると思って?」
地面から突き出した氷の柱が、退路を塞ぐ。雷光が頭上を走り、木製の武器を焼き払う。
「痛みを知りなさい。“小さな後悔”から始めるのも、教育よ」
セレナの放った魔法は、“攻撃”ではなかった。
彼女は、盗賊たちの“利き手”だけを凍結させたのだ。武器を持てず、反撃できず、それでも命は奪わない。
まさに、無力の証明。
「お、お前、何者だ……っ」
「──私はただの追放令嬢。けれど一つ、忠告をしておくわ。私を見下した男たちは皆、膝をつくことになる」
彼女の瞳は、夜の霧よりも冷たく輝いていた。
⸻
翌朝。村人たちは、広場に並べられた盗賊たちを前に唖然としていた。
全員が魔法で動けぬように封じられ、跪いている。
「信じられん……あの女の人、一晩で……」
「まるで……神の使いだ」
セレナは盗賊団の装備から取り出した文書を、村の長に手渡した。
「これは王都の貴族と盗賊団を繋ぐ契約書です。どうやら、辺境を混乱させて民を“従わせる”目的だったようですね」
村長の手が震えた。
それは、現領主が腐敗していることの証明に他ならない。
「お、お嬢さん……いや、セレナ様。あなたは、いったい……?」
「さあ、何だったかしら。追放された令嬢? それとも、ただの旅人?」
セレナは微笑んだ。
それは、王都で嘲笑された少女ではなく──
新たな力と誇りを持つ、“最強魔導姫”の微笑みだった。
(さあ、王都の皆さま。貴族の皆さま。そして……レオンハルト殿下)
(あなた方が切り捨てたものが、どれほどのものか──少しずつ、思い知らせてあげましょう)
遠く、霧の晴れた空に向けて。
セレナの物語が、静かに、けれど確実に動き始めていた。