魔導学府へ――
オルトレアの静かな朝。
山に囲まれた辺境の村は、すっかり春の陽気に包まれていた。魔物の影も盗賊の騒ぎも遠ざかり、平穏な日々が戻っている。
村の広場に咲く花の傍らで、セレナ=アルヴェリスは静かに空を見上げていた。
元・王都の令嬢。元・王太子妃候補。
今は――
「……村の畑、耕してるだけの人ね。ふふ」
少しだけ、肩をすくめて笑う。
ミリアンヌの“処分命令書”を逆に暴露し、レオンハルトを失脚させ、ガルフォードすら政界から追放させた大逆転劇から数ヶ月。
王都を離れ、彼女は再びこの地に戻っていた。
村人たちは彼女を“魔導姫”と呼び、敬意と感謝の眼差しを送る。
けれど、セレナ自身はどこか物足りなさを感じていた。
(私は……これから、どう生きるの?)
そんなある日。村に、見知らぬ訪問者がやってきた。
彼女の名は――フィリア=ノーチェ。
淡い桃色の髪と明るい瞳を持つ、どこか浮世離れした雰囲気の女性だった。
「あなたが……セレナ=アルヴェリスさん、ですね? 初めまして。魔導学府の教師をしている、フィリア=ノーチェと申します」
「魔導学府……?」
その響きに、セレナは思わず眉を上げた。
「ええ。ここから遥か東方、ゼルメア地方の大都市“フリューゼン”にある、王都とは無関係の独立機関です。魔法を志す者のための、学び舎。そして……私は、あなたに“ぜひ来てほしい”と言われて来ました」
「……誰に?」
「学府の理事長代行。詳細は入学してからお話するとのことでした」
その場では即答できなかった。
だが、そんなセレナの様子を見て村人たちは皆、笑顔で背中を押してくれた。
「セレナ様はもう、“閉じた世界”の人じゃありませんよ」
「せっかくだから、もっと広い世界、見てきてください!」
少し悩んだ末、セレナはその誘いを受けることにした。
「じゃあ――行ってみようかしら。ちょっと、見てみたいし」
そうして、彼女は再び旅に出る。
フリューゼンの大地へ。未知の地へ。
⸻
――そして、数日後。
「ここが……ルミナリア魔導学府」
丘の上にそびえる広大な白亜の建築群。空には魔導飛行船が行き交い、魔力の気配が街全体を包んでいる。
王都とは違う、しかしどこか自由で開放的な空気がここにはあった。
学府の門をくぐると、すぐに案内役として現れたのは――
「君が……セレナ=アルヴェリスか。話は聞いている。僕はアーデル=ロヴァン。君のような“特例入学者”が来るとは思っていなかった」
切れ長の瞳、整った顔立ち、そして高慢とも思える口調。しかしどこかその眼差しは真剣で、言葉の端々には皮肉以上の感情が混じっていた。
「……私に何か言いたいことが?」
「いや。ただ、期待しているんだ。君がどこまでやるのか。それを見てから、共に立つ価値があるかを判断しよう」
――この男、ただの高飛車ではない。
セレナは直感的にそう理解した。
(この人……私と似てる)
そして学内を少し案内される中、もう一人の“奇妙な人物”と出会うことになる。
「フィリア先生の推薦で来たって? うわー! セレナ先輩だよね!? 本物!? うわー! 本っっ物だ!!」
無邪気に跳ねるように近づいてきたのは、下級生の少女――ティナ=フェルゼ。
小柄で癖のある金髪、魔力制御は超一級だが性格は暴走気味、という型破りな少女である。
「ねえねえ、どんな魔法使うの!? 闇?氷?爆裂? え、でもやっぱり恋愛系!? 憧れるー!」
「ちょっと、落ち着きなさいってば……!」
初日から振り回されながらも、セレナは静かに笑った。
(きっと、ここでなら……新しいものが見つかる)
そう思えたのだ。
だが、そんな彼女の期待を裏切るように。
王都とは無関係――とされたこの学府にも、また一つの「陰り」が迫っていた。




