そして、辺境に咲く花は――
王宮・謁見の間。
静寂が満ちていた。
それは嵐の前の静けさ。
あるいは、心が凍るほどの静謐。
セレナ=アルヴェリスは、目の前の光景に――わずかに眉をひそめていた。
王太子レオンハルト=シュトラールが、その椅子に座っている。
そして、その足元には――あのミリアンヌ=ロシュフォードが跪いていた。
「忠誠を示してみせた。君にできて、彼女にできなかったことだよ、セレナ」
王太子の声は、どこか乾いていた。
だが、かつてのような威厳は、そこにはもうなかった。
セレナは問う。
「どうして……彼女をこんな形で扱うの」
「彼女は望んだんだよ。そうだろう、ミリアンヌ?」
無理やり引き出されたその返答は、かすれた声で、
「……はい。わたくしは、王太子殿下に……忠誠を」
ミリアンヌの頬には痣があり、唇は裂けている。
その瞳には、虚無と絶望しかなかった。
彼女はセレナの策でその地位を追われ、二度と表舞台に立つことはないはずだった。
だが、王太子の招集に応じ、連れ戻され――そして“再調教”された。
レオンハルトは笑う。
「私は君を許そうとした。君が戻ってくるのなら、全てを赦してやろうと。だがその態度はなんだ? まるで私が悪いとでも言いたげだ」
「悪いのよ、レオンハルト」
セレナは静かに言った。
「あなたは“正しさ”を捨てて、“支配”を選んだ」
レオンハルトの瞳に、かすかな狂気が宿る。
「正しさ? そんなものは……この国では意味をなさない!誰もが私の力を欲しがった。王族であるという“器”に群がり、私の決断一つで生死を決めさせようとした! 君も、例外じゃない!」
「……」
「私は、私を裏切らない者だけを傍に置く。
誰かを信じたくて、選んだ。でも君たちは、違ったじゃないか。君は私の期待を……裏切ったんだ、セレナ!!」
叫びは次第に、声にならぬ叫びへと崩れていく。
王太子の王衣は乱れ、玉座の背に手をかけながら、嗚咽のような声を漏らした。
「君は、私の……光だったのに……」
その言葉に、セレナの表情がわずかに揺れる。
「ならば、なぜ手を差し伸べなかったの?」
その問いに、彼は何も言えなかった。
レオンハルトは狂っていた。
だが、それは最初からではない。
真面目で、聡明で、誠実な少年だった。
セレナと過ごした日々の中で、未来を語り、国を変えようと誓ったはずだった。
だが、その手から滑り落ちたものは多すぎた。
父王の病。
派閥抗争。
ガルフォードの策略。
そしてセレナの処分命令書――
誰かにとって“都合の良い器”でしかなかった王太子は、いつしか“自分を捨てた世界”を支配する側へと変貌していった。
冷徹さと実利を装いながらも、その心は脆く、
破れた理想の上に、偽りの王冠を戴いていた。
セレナは、ミリアンヌに近づいた。
「もう、いいのよ。立って。あなたのことは大嫌い、大嫌いだし許すつもりもないけれど、それでも……そんなふうには使わせない」
「セレナ、君にはそんな権利は――」
「あるわ。これは私の、復讐だから」
言い切ると、セレナは懐から一枚の書状を取り出した。
それは、あの“処分命令書”。
だがそこには、セレナの署名はなかった。
「……! それは……!」
「そう私を“捨てた”処分命令書、でも私だけではなかったのね……レオンハルト。貴方は自分を守るためなら全てを捨てる、側近も肉親も……婚約者も……」
セレナは魔導を展開する。
青白い光が命令書を包み、魔導の紋章が空中に浮かび上がる。
「王太子が、今まで個人の感情で忠臣を処分した――その記録よ。魔導封印を解いて、王都中に流した。
王城の魔導通信網を通じて、もう止まらないわ」
「貴様ッ!!」
レオンハルトが玉座から飛び出した。
魔導の光が彼を阻み、爆風が周囲を駆け抜ける。
セレナは、応じるように詠唱を走らせる。
「《万象穿ちし破式――蒼月の矢》」
青白い光が王太子の足元に撃ち込まれ、彼を膝つかせた。
その姿は、あまりにも無様で――惨めだった。
「君は、やりすぎだ……なんで、こんな事を、なんで……」
呻くような声で、レオンハルトは言う。
「私は君を愛していたのに……ただ……この国を守りたかっただけなのに……!」
セレナは、答えなかった。
だが、涙を浮かべたミリアンヌの手を取って、彼女を抱きしめる。
「もういいのよ。あなたも、自由になって」
――セレナは、絶望に顔を歪め膝をつくレオンハルトを横目に王城を後にした。
彼女の行動により、王太子は退位勧告を受け、幽閉。
ガルフォードは記録改竄の罪で失脚。
ミリアンヌは王城から正式に解放され元の平民へと戻った。
王都の権力構造は変わり、新たな時代が幕を開けようとしていた。
だが、セレナにとって――それは関係のないことだった。
「私は、私の場所に帰る」
そう呟きながら、王都の門を越える。
道は辺境オルトレアへと続いていた。
夜風が彼女の髪を揺らす。
満月が、静かに辺りを照らしていた。
誰もいない道。
彼女は一人で、歩き出す。
王都に巻き起こした復讐の嵐を背に、
誰の拍手も喝采もなく、ただ静かに。
やがて――
魔導姫セレナ=アルヴェリスの名は、“辺境を治める叡智の令嬢”として人々に語られるようになる。
けれど、彼女自身はそれを望まなかった。
復讐は終わった。
だが、心の奥にある傷跡は、消えないままだ。
それでも、彼女は前を向く。
歩むのは――選び取った自分の人生。
その日、オルトレアには春の風が吹いていた。
セレナは、静かに微笑む。
その瞳に映るのは、過去ではない。
――未来だった。
(終)
ご愛読ありがとうございました!
「辺境の魔導姫」はまた外伝的に続けられたらと思ってます!