メイルーン家の罠と、狼の檻
王都の貴族街、その一角に聳える白亜の邸宅。
ドルザック=メイルーンの居館だ。
かつて辺境への物資横流しを黙認し、セレナの処分にも署名した冷血の男。
王国北部の軍事権を一部預かる名門であり、今も王政会議に強い影響を持っている。
そんな彼からセレナへ招待状が届いた。
「かの魔導姫が戻られたと聞き、祝いの席を設けたく――」
その文面に、嘘臭い仰々しさと、どこか下品な含みを感じながらも、セレナはあえて応じた。
「罠なら、罠らしくしてもらいましょう」
それが“罠ごと踏み砕く”ための最良の舞台ならば、利用しない手はない。
⸻
メイルーン邸の夜会は、華やかに始まった。
貴族たちはシャンパン片手に談笑し、中央の階段から現れたセレナに一瞬、ざわめきが走る。
――その姿は、処分された女ではなく、見目麗しい“魔導貴族”そのもの。
だが――主催者であるドルザックは、目を細めながら低く笑った。
「いやぁ……これはこれは。処分されたはずのあなたが、まさかここまで堂々と」
「あなたのおかげで、経験値はたっぷり積めました。処分のおかげで、ね」
セレナの言葉に、場が一瞬、張り詰める。
だがドルザックは表情を崩さず、笑顔を貼りつけたまま言った。
「それにしてもお強くなられたようで。まさかミリアンヌ嬢まで捕らえるとは。あれは良い“犬”だったのですがね」
「飼い主がゴミなら、犬も腐るでしょう」
毒の応酬。それはすでに、会話というより宣戦布告だった。
やがて夜も更け、パーティの最中。
セレナは邸内の一室に“偶然”通される。そこには──
「……麻痺香?」
香が焚かれていた。吸えば、魔力の流れが鈍る。
さりげない、しかし明確な“拘束”の意図。
「わかりやすいわね、ドルザック」
そう呟いたその時。部屋の扉が開かれた。
「おや、すぐに気づかれてしまいましたか。ま、いいでしょう。演技も飽きていた」
背後から入ってきたドルザックは、もはや取り繕う素振りもなかった。
「私はね、“処分”されたお姫様が尻尾振って戻ってきたなら、もう一度“処理”してやろうと思ってたんですよ」
その言葉と同時に、私兵たちがなだれ込む。
完全武装の兵士、十数名。セレナを取り囲む形で剣を抜く。
「何も知らずにやってきた哀れな娘が、また処分されるだけの話です。今回は誰も庇いませんよ」
ドルザックは勝利を確信していた。
事前に王国会議に根回しも済ませ、多少の騒ぎは「不慮の事故」に処理できる体制も整っている。
だが。
「……本当に、哀れなのはどっちかしら?」
その瞬間、部屋の床が淡く輝いた。
魔方陣。
直前まで沈黙していた部屋全体が、結界術式に包まれる。
「な……!? こんな魔法、設置されていなかったはず――」
「私が招かれたときには、もう敷いておいたもの」
セレナが静かに腕を上げる。
「“力と魔力を奪う檻”よ。少しだけ、おとなしくしてて」
術式が炸裂。部屋の兵士たちの剣が、がらがらと床に落ちる。
全員が膝をつき、呻き声を上げた。
「……ば、馬鹿な……! これが、貴族の娘の魔術かっ……!」
「いいえ、“辺境で鍛えられた魔導姫”の魔術よ」
その場に立つ唯一の支配者として、セレナが一歩ずつ近づく。
「“私を処分した張本人の一人”、ドルザック=メイルーン。あなたを“反逆罪”で訴えます」
「証拠など……貴族の言葉など……!」
「ええ、だから“あなたの私兵が隠していた財務記録”も、ここにある」
セレナが取り出した一冊の帳簿。
それはメイルーン家が辺境への支援物資を不正に横流ししていた記録。
「それを隠していた私兵は、今ごろ私の協力者と“お話し中”よ」
ドルザックの顔から、血の気が引いていく。
「お前は、貴族に……この王国に……逆らう気か……!」
「ええ。私を見捨て、切り捨てたこの国と、“あなたたち貴族”すべてにね」
セレナの魔眼が、蒼く輝いた。
⸻
数日後。
王城の広場で、衝撃の報せが国中を駆け巡った。
ドルザック=メイルーン、公職停止、身柄拘束。反逆と財務汚職の容疑で審議開始。
“処分された女”が復讐に現れ、名門貴族を落とす。
それはただの粛清ではなかった。
――秩序の象徴だった貴族制度が、崩れ始めた瞬間だった。
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セレナは、宿の一室で淡く笑っていた。
「次はあの女ね……」
彼女の“処分”に署名した、貴族たち三人。
ドルザック=メイルーンは、そのひとりにすぎない。
次なる標的は――
高飛車で知られる女伯爵、イヴェリン=マルシェロワ。
復讐の炎は、次の“傲慢の塔”を焼き尽くす。