3.公爵令嬢フェリシアの婚約破棄(3)
婚儀には、フェリシアの身ひとつで良い。
と、バネル家から伝えられていたので、ほんとうに一人で行くことにした。
ストゥーレ公爵家の本邸は、わたしが不在の間もメイドや執事たちに守ってもらわないといけない。
そもそも、我が家に余分な人員を雇えるような財力はない。
リルブロルには聖堂の管理を任せる老夫妻がいるし、もともとひとりで行くつもりだったのだ。
王都から離れるとき、従妹のディアナも見送りに来た。
わたしがお父様の娘であるというだけで持っていた〈すべて〉を、ディアナは叔父の娘であるというだけで手に入れようとしている。
「……寂しくなるわ」
と、手を握って涙をこぼすディアナの口元は緩んでいた。
「マティアス殿下とお幸せにね、ディアナ」
「フェリシアが墓守で一生を終えるだなんて……、私……、私……」
「ディアナ、なにも言わないで。ディアナとの結婚を選ばれたのは殿下だわ」
わたしを抱きしめようとするのは、そっと断った。顔には出さないけれど、さすがに気分が悪い。
そこまで茶番につきあってあげる義理もない。
そして、迎えの馬車に乗る。
我が家の馬車より、はるかに豪勢な馬車が走り出す。
複雑な色合いの視線が絡みつき、わたしは窓から身を乗り出して笑顔で応えた。
爵位と本家を乗っ取りたい叔父としては、継承権第一位のわたしを虐げていたという噂を立てたくない。
お父様と親しかった貴族からの反発を買えば、思わぬ形で足元をすくわれることにもなりかねないからだ。
第3王子から婚約破棄されたわたしが間髪入れず、資産家のバネル家と婚姻関係を結んで裕福な暮らしを送れば、そういった声を未然に防げる。
ほんとうは、わたしをバネル家の籍に入れ継承権を抹消させたかっただろうけど、それは時期尚早、勝負はわたしが18歳になる来年だという判断だろう。
いずれ第3王子殿下を婿入りさせるディアナへの継承の道筋を主張する腹づもりなのは間違いない。
入念で慎重な謀略。
12歳でお父様を亡くしたときから、叔父一家との裏のかき合いには慣れている。
細かな嫌がらせは星の数ほどされてきた。
馬車が王都の市街地を抜け、深く息を吸い込んだ。
窓から入る春の風が心地よく、ウツラウツラとするうちに、いつ以来か分からない深い眠りに落ちた。
Ψ
数日馬車に揺られ、豪勢にして洒脱なバネル家の邸宅に到着した。
わたしは第3王子から婚約破棄されたばかりだ。王家をはばかる体面上、盛大な結婚式をあげる訳にもいかない。
形だけの婚儀をあげ、わたしは人妻になった。
夫となったレンナルトなる男は、わたしを見もしないし、話しかけてもこない。
「すべて対等。妻として遇するつもりもないと、レンナルト様は仰せです」
と、従者らしき男が言った。
どうせ離れて暮らすのだし、わたしとしても異存はない。
レンナルトとしても形式上はストゥーレ公爵家の令嬢を正妻として家格を上げ、自分は愛人なり側室なりとよろしくやるつもりだろう。
放っておいてくれるのなら、それに越したことはない。
形ばかりの祝宴で笑顔をふりまいて、邸宅をあとにする。
我がストゥーレ公爵家発祥の地、リルブロルに向かう馬車の中で、わたしは3年ぶりに眼鏡をかけた。