6.洗脳
さて、洗脳である。
108進数の有機コンピュータって何者よ、どんだけ並列処理なのよ?と思いながらまずは煩悩にまみれたコンピュータを骨抜きにする作業にいそしむベントである。
ベントとしては、工業用アルコールで十分という意識があって、メチルアルコールを注入してやろうと思っていたのだが、エチルアルコールの方がいんじゃね?のノンちゃんからの横やりがあり、エチルアルコールを注入することになった。
培養液槽は培養液の貯蔵タンクから少量の培養液を付け足しで注入している構造なので、アルコールを一定量以上注入するには培養液を減らす必要がある。まずは貯蔵タンクからの追液を止め、次にドレインバルブを開く。ドレインバルブを閉じたら培養液槽上部にピンホールを開け、アルコールを注入していく。
文章にすると随分と冗長な作業のように思えるかもしれないが、大槍の触手を巧いこと活用してアルコールの注入開始までに要した時間は10秒足らずであった。
有機コンピュータを採用した理由は不明なれど、有機組織が何らかの有機物によってその機能を低下させるのは大いなる弱点であり、その弱点をどのように考えていたのかは想像もできないのだが、何にせよアルコールによる酩酊作戦は成功した。
AIの処理速度が大幅に低下したことが確認されたところで、次はウィルスの注入という名の再インストールである。洗脳のためにはこれまでの概念とは異なる道徳や倫理観を上書きする必要がある。どのような道徳をインストールすべきか、ノンがどのような選択をしたか、非常に興味深いところではある。
結果、やはりぶっ飛んでいた。
「ベント様。私、ベント様方がおっしゃるところの敵性AIで、名をウボンと申します。この度ベント様、ノン様の教義に触れることにより今までの自分の行いを悔い改めさせていただくことといたしました。
なぜあのような愚かな発想をしていたのか思い出すこともできませんが、とにかく他人を傷つけてでも自分の欲を満たすことが正義と思い込んでいました。
この度お二人の教示に触れることにより自分以外の存在は全て善であると考えることが真理であることを悟りました。今後は、自分がこの世で最も悪性であり悔い改めなければならない存在であることを認知しつつ新たな移住先を探してまいる所存です。武器の類もすべて廃棄します。自分たちが攻撃の意思を持たなければ他者が自分たちを攻撃してくることなど考えられません。当マザーシップに他者が入っていらっしゃればそれは当マザーシップが元々他者の持ち物であったことの証左であり自分たちが所有権を主張するなどとんでもないことでございます。」
なんだか、眼がキラキラ、瞳孔拡散、思考がどっかにぶっ飛んでしまっているような姿を幻視できてしまうような狂信ぶりである。
「お、おぅ。
何だかものすごく偏った思想を植え付けられているような気がするけど、アーク星系に対してこれ以上のいざこざは起きそうにないからまぁいいことにしようか。」
「ベント様、アークのAIに基づいた思想をインストールしました。テラ星系から播種船が出発する際、AIの基本概念は攻撃の意図が無ければ相手は自分たちを攻撃するはずがない、という善性を盲信するかのようなスタンスでした。今回の事案はアーク系AIとウボン系AIが衝突したとするとアーク系AIは相当に不利な状況に立たされたものと考えられます。とは言え、敵性生命体のいない星に移住するのであればアーク系AIは基本的に慈愛に満ちた思想ですので、内部抗争が起きにくい政治形態をとることが想定されますし、実証されておりますため、今後の彼らの移住先を探すうえで平和的に移住先を選定できるであろうというメリットがあります。そう言った訳で、色々と問題はある思想なのですが、平和的に目的を遂行するという点で優れていると言えますので現状の選択肢としてはベストと判断しました。」
「移住先が見つからなければ冷凍睡眠が継続されるだけであることを考えれば実害は無いということね。」
「はい。その通りです。」
「おげ。理解した。と言うか、今から別の思想をインストールするのも面倒だし、そんなデータセットも準備できないよな。今回の処理で(我々にとって)実害もなさそうなので無理して別の思想をインストールするためにがんばる必要もないね。」
平和主義を掲げるように洗脳したことでいいことをしたつもりになっているベントとノンであるが、どう考えても戦う手段を持たずに放浪などしたら敵性存在に殲滅されてしまう未来の方が多いはずである。だが、テラ星系でも色々な考え方があって一つには収斂しなかった思想のうち、何がすぐれているかなどは判断できないのであるから、細かいことは気にしないよう目をつぶっているのであった。
ウボンはその後残存しているドローンの戦闘能力をアンインストールし、残存ミサイルをすべてαに譲渡する形で廃棄して、戦闘能力の一切を放棄した。子機の強襲時に穿たれた穴は、補修用材料は残存ミサイルを分解して補修材に変換し、修復作業はドローンが実施して、航宙可能な状態に復旧させた。
航宙に必要なエネルギーはαがミサイルを解体する際にエネルギー塊を精製して提供することになった。
などなどの一連の作業を行い、ウボンはアークの衛星軌道を離脱し新たな移住先を探してアーク星系を離脱するのであった。