迷宮11
ついこの前まで、日本中がひとつの巨大な嘘を信じていたじゃないか。
あれに比べると、こんなかわいらしい嘘、誰も殺さない嘘は許されるべきだと思う。
「『あいのこ』って……」
賢い坊ちゃんは、しかし、なかなか言いくるめられそうにない。
「そんな、下種な言葉、わたしは嫌いなのですが……まあ、混血児、というくらいの意味です。外国の人の血が混じっているということですよ。
しかし、そうですね。たまたま自分の親が日本人同士だからと言って、それにいかほどの意味があるのでしょう?」
敗戦国の、やぶれかぶれな人々に。
坊ちゃんは、首をかしげた。
「坊ちゃん。ホモ・サピエンスはどこで誕生したか、ご存じですか?」
「ホモサピエンス……?」
「今の人類の祖先ですよ」
「どこなの?」
「アフリカです」
「アフリカ? 象や、キリンや、ライオンや、シマウマなんかがいるところ?」
坊ちゃんの目がキラキラしてきた。動物が好きなのだ。
「そうです」
タエは、世界地図を持って来た。
「ここが、アフリカ大陸です。坊ちゃんは、日本はどこかわかりますか?」
「うん。先生が教えてくれた。ここ」
さすが坊ちゃん。
習ったことが、すぐに身についている。
「坊ちゃんのおうちは、どこでしょうね?」
しばらく小さい日本の上をあちこち指で押さえて見たりしてから、それとなく縮尺について説明する。
「アフリカから、日本まで、こ~んなに離れていますよね」
「うん」
「そのころは、もちろん飛行機もないし、大きい船も無いし、自動車もトラックも鉄道もありません。だから、アフリカから日本まで人間が来るのには、ものすごく時間がかかったことでしょうね」
「そうだね」
坊ちゃんは感心している。
「もう歩けなくなるくらい歩いたのかなあ」
「そんなに一生懸命歩いたわけじゃないと思いますけれど」
「あっちのほうに、食べ物があるかもしれないと思いながら、ゆっくり移動したのでしょうね。
おじいさんのおじいさんのおじいさんのおじいさんがアフリカを出発して、日本に着くころには、孫の孫の孫の孫くらいにはなっていたかもしれませんね」
坊ちゃんは、いろいろと想像しているのだろう。にこにこしている。
「そんなに長い長い旅の間には、いろんな男の人といろんな女の人が出会って、結婚して、子どもを産んだことでしょうね」
「そうか。じゃあ、日本人だって、ずうっと前の祖先は、いろんなところのいろんな色の人たちだったんだね」
「そうですよ」